1974年2月13日、国際プロレスに辞表を提出したストロング小林が会見を開き、フリー宣言を果たし、ジャイアント... 続きを読む →
スタン・ハンセン全日本プロレス電撃移籍を独占スクープしたプロレス専門誌
1981年5月、新日本プロレスがアブドーラ・ザ・ブッチャーを全日本プロレスから引き抜いたことを発端として、新日... 続きを読む →
ジャイアント馬場&アントニオ猪木のタッグBI砲誕生②日本プロレス最強チームに強豪チームが挑戦!
1967年10月31日の日本プロレス、大阪府立体育会館でジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲がインターナシ... 続きを読む →
ジャイアント馬場&アントニオ猪木のタッグBI砲誕生①猪木の日本プロレス復帰と、大木金太郎の力道山襲名問題
1966年3月、日本プロレスの春の本場所「第8回ワールドリーグ戦」に参加する予定だったアントニオ猪木が新団体設... 続きを読む →
国際プロレス旗揚げ…アントニオ猪木争奪戦とヒロ・マツダの野望
1966年4月24日、アメリカへ渡っていた吉原功がヒロ・マツダと帰国し新団体「国際プロレス」を旗揚げすることを... 続きを読む →
アントニオ猪木が引き抜かれた…太平洋上の略奪!
1965年12月のある日に豊登から連絡を受けた新間寿氏は、リキスポーツパレスの近くで豊登が自宅替わりに住んでい... 続きを読む →
発表!9月の月間MVP、ベストバウト、ベストシリーズ&イベント、インパクト
9月の月間MVP、ベストバウト、ベストシリーズ&イベント、インパクトが決定しました。 9月のMVP (画像はプ... 続きを読む →
力道山死去後の日本プロレスの窮地を救った外国人ブッカー、ミスター・モトの生涯
1963年12月8日、力道山が死去し、豊登、芳の里、遠藤幸吉、吉村道明による4人よる合議制がスタートするが、新... 続きを読む →
アブドーラ・ザ・ブッチャーの引き抜きから始まった、外国人引き抜き戦争という仁義なき戦い
1981年5月8日、新日本プロレス川崎市体育館大会で全日本プロレスの外国人選手であるアブドーラ・ザ・ブッチャー... 続きを読む →
日本プロレス殿堂入り第1弾としてアントニオ猪木、藤波辰爾、天龍源一郎が殿堂入り!
9月14日 日本プロレス殿堂会 日本プロレス史70周年記念大会「LEGACY」後楽園ホール 514人(試合内容... 続きを読む →
IWGPタッグ王座の前身、坂口征二の独壇場だった北米タッグ王座
1973年8月24日、アメリカ・ロサンゼルスオリンピックオーデトリアムにて、アントニオ猪木&坂口征二の黄金コン... 続きを読む →
日本に襲来した覆面暗殺団、ジ・アサシンズ!
1965年9月に「覆面暗殺団」を名乗る二人のマスクマンが初来日を果たした。名前はジ・アサシンズA、ジ・アサシン... 続きを読む →
1981年8月9日、北の果て羅臼に消えた国際プロレス①国際プロレス崩壊を決定づけた3月31日の惨劇
1978年11月の「日本リーグ争覇戦」中に国際プロレスの吉原功社長が新日本プロレスの新間寿営業本部長と接触して... 続きを読む →
特技は首吊り!アントニオ猪木が怪人と異種格闘技戦
1979年2月6日、アントニオ猪木は大阪府立体育会館でミスターXと対戦したが、 様々なハプニングもあってミスタ... 続きを読む →
猪木vsウイリー戦の後で行われたヤマハブラザーズvsオカマコンビ!
1980年2月27日、新日本プロレス蔵前国技館大会でアントニオ猪木が極真空手のウイリー・ウイリアムスと対戦、プ... 続きを読む →
猪木、敵地・韓国で最初で最後のインターナショナルヘビー級王座に挑戦
1975年3月27日、韓国・ソウル市奨忠体育館でアントニオ猪木が大木金太郎が保持していたインターナショナルヘビ... 続きを読む →
ロングタイツ着用…猪木が左足切断の危機!
1975年8月1日、ロスサンゼルス・オリンピックオーデトリアムでアントニオ猪木は坂口征二との黄金コンビで保持し... 続きを読む →
腰痛で引退寸前の藤波辰爾が奇跡の復活!
1989年6月22日、新日本プロレス佐久市総合体育館大会、この日は土曜日夕方4時で放送されていた「ワールドプロ... 続きを読む →
誕生、権威下落、V字ターン…IWGPヘビー級王座物語
1980年に異種格闘技戦にひと段落をつけた猪木が”プロレス界における世界最強の男を決める、”世界中に乱立する... 続きを読む →
馳浩と山田邦子が歴史的グータッチ…「ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング」とは?
1987年4月7日、火曜日夜8時、テレビ朝日系列で新日本プロレスを中継する「ギブUPまで待てない!!ワールドプ... 続きを読む →

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