1990年5月に全日本プロレスから天龍源一郎を始め数選手が退団、それに伴い三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太ら後の四天王がトップへと引き上げられたが、ジュニアヘビー級だった菊地毅も例外ではなく、天龍らが離脱したことで引き上げられ、メインに出場するようになった。
菊地は1987年にジャンボ鶴田の推薦で全日本に入門、小橋と共にデビューして同期かと思われたが、入門したのが1ケ月先ということで小橋より菊地の方が先輩だった。だが、菊地は体格がなかったこともあって体を大きくしていった小橋に先を越され、ジュニア戦線中心に活躍していた。
メインに引き上げられた菊地は三沢率いる超世代軍に組み込まれ、全日本入りするきっかけとなった鶴田と6人タッグで対戦する機会が多くなったが、三沢&川田&菊地vs鶴田軍の鶴田&田上&渕正信というカードが組まれると、菊地は軽量ということで鶴田軍に捕まり、鶴田のカウンターキックを食らい、アトミックホイップで叩きつけられ、渕には拷問のような関節技を極められながらも、長時間捕まってから三沢か川田に繋ぐ、それが菊地にとっても一番の見せ場でもあったが、最後は鶴田や田上相手に真正面から挑んで敗れことがほとんどで。菊地自身も「なんでこんなにボコボコにされなければいけないんだ?」と弱音すら吐くこともあったものの、三沢&川田&菊地vs鶴田&田上&渕正信は全日本にとっても定番カードとなって、TVマッチになると良く組まれるようになった。ジャイアント馬場はやられながらも最後は大逆転する吉村道明的なものを期待していたのかもしれない。
菊地は小橋と組んでダイナマイト・キッド&ジョニー・スミス組を破ってアジアタッグ王座を奪取したが、シングルのベルトである世界ジュニアヘビー級王座には渕という大きな壁が立ちはだかっており、何度も挑戦してもなかなか奪取することが出来なかった。1993年2月の武道館大会、菊地はまた渕の保持する世界ジュニア王座に挑戦したが、鶴田が一線を退き、三沢が三冠ヘビー級王座を奪取していたこともあって世代交代が進んだことで、菊地にも追い風が吹いて王座奪取への期待を膨らませたが、渕はバックドロップ1ダース(12連発)で菊地を降し世代交代を阻んでしまい、菊地自身も一時代を築くチャンスを失ってしまった。
その悪夢の3年後である1996年にやっと渕を破り世界ジュニアヘビー級王座を奪取したが、ジュニアは菊地より先輩ながらも前座で燻っていた小川良成の時代に傾こうとしており、2度防衛した後で小川に敗れ王座から転落、王座に返り咲くことなく、超世代軍も三沢、川田、小橋もそれぞれの道を歩み始めて形骸化され、菊地は川田&田上の聖鬼軍に加わり、また永源遥&渕の悪役商会と組んで、馬場&ラッシャー木村率いるファミリー軍団と対戦することが多くなっていった。
2000年に三沢がNOAHを旗揚げすると菊地も合流、アジアタッグ王者時代パートナーだった小橋と再び組むことで最前線へ出る機会も増え、新日本プロレスとの対抗戦でも金丸義信と組んで獣神サンダー・ライガー&田中稔を破りIWGPジュニアタッグ王座も奪取したが、GHCジュニアヘビー級は金丸、丸藤正道やKENTAが中心になっていたことで王座戦線にはなかなか割って入ることが出来なかった。
2009年にNOAHを契約満了で退団したが、2009年5月4日、後楽園ホールで開催した「マッスルハウス8」に菊地が登場すると、全日本やNOAHで見られなかった奇天烈なキャラクター性を前面に出したことがきっかけになって、DDTなどインディー団体からオファーが殺到、そのかいもあってSMAURAI TVの「インディーのお仕事」が制定する「2010年日本インディー大賞」のニューカマー賞、これはファン投票で決められる賞で、菊地の存在がファンから認められた証となり、この時が菊地にとって第2の全盛期でもあった。
2013年に東日本大震災が発生すると菊地は地元に根付くように仙台中心の活動となり、そして2021年5月3日にプロレス酒場GOLD主催興行でBEST OF THE SUPER Jr.XVIで対戦した金本浩二相手に引退試合行い、リングを去っていった。引退する理由は超世代軍時代からのツケが首にきたことで手術を要するためだったという。
全日本プロレス、NOAHと活躍した菊地毅はまさに平成の火の玉小僧だった。ご苦労様でした。
5月7日の主なニュース