タイガーマスクのライバル、ブラックタイガー誕生!


1982年4月21日、新日本プロレス蔵前国技館で初代タイガーマスクのライバルとして初代ブラックタイガーがデビューした。

  正体はマーク・ロコでイギリスマットではタイガーのライバルの一人であるダイナマイト・キッドと抗争を繰り広げ、1979年9月には国際プロレスに初来日、阿修羅・原の保持するWWU世界ジュニアヘビー級王座に2度挑戦していた。1980年に10月、イギリスマットには佐山聡がサミー・リーのリングネームで登場を果たし、9日はロコと初対決。二人の対決はイギリスマットでドル箱カードとなり、サミーはイギリスマットでも絶大なる人気を博し、キッドに次ぐ新しい好敵手の出現でロコも大きな影響を受けた。

  1981年、サミーとロコは世界ヘビーミドル王座決定戦として対戦する予定だったが、サミーが突如イギリスマットから消えたことで、試合そのものがキャンセルされた。実は佐山に新日本プロレスから帰国命令が下っており ロコ戦を前にしていたのもあって佐山も帰国を断ったのだが、営業本部長だった新間寿氏の強引な説得の前に渋々了承し、ロコ戦をキャンセルして日本へと帰国してしまったのだ。帰国した佐山に待ち受けていたのは虎の覆面であるタイガーマスクのマスクだった。4月19日にタイガーマスクに変身した佐山はキッド戦で再デビューを果たし、四次元殺法と名づけられた空中殺法で一大センセーションを巻き起こすことで、アントニオ猪木を凌ぐ人気選手へとのし上がっていった。

  サミー・リーが突然イギリスマットから去ったことでイギリスのファンは落胆するも、ロコは気にする暇もなく試合をこなしていたが、新日本プロレスからオファーがかかる。日本では初代タイガーマスクのデビューと連動して「タイガーマスクⅡ世」が漫画化しており、宇宙プロレス連盟の最後の刺客としてブラックタイガーがタイガーマスクⅡ世と試合を繰り広げていた。これに目をつけた新日本もタイガーのライバルとしてブラックタイガーを誕生させることになり、うってつけの選手ということでサミーのライバルだったロコに目をつけたのだ。

  オファーを受けたロコは最初は素顔のロコとしての来日だと思っていたが、ブラックタイガーという新しいマスクマンとして来日を希望され、既に新日本もタイガーマスクvsブラックタイガーを行うことを発表しており、日本では週刊少年サンデーで連載されていた「プロレススーパースター列伝」でタイガーマスクの新たなライバルとしてブラックタイガーの存在を公表していた。考える猶予もなく”たまにはマスクマンになることも悪くない”と思ったロコは日本限定でマスクマン、ブラックタイガーに変身し日本に来日、だがタイガーマスクの正体は誰かは明かされなかった。 

 タイガーマスクvsブラックタイガー戦はテレビ朝日系列の特番枠である「水曜スペシャル」で生放送され、タイガーの保持するWWFジュニアヘビー級選手権として行われたが、自分も「プロレススーパースター列伝」を読んでいたこともあって、”タイガーマスクの最後の日が来た”と思った。タイガーはねちっこく攻めるブラックの対し、フライングボディーアタックからローリングソバットで活路を見出すも、ブラックのダブルニードロップをかわして場外へ逃れるタイガーに、ブラックはトペ・スイシーダを発射、更に鉄柱攻撃で大ダメージを与える。

  これで主導権を奪ったブラックは攻勢をかけ、暗闇脳天ことツームストーンパイルドライバーで突き刺すが、自身の強さを誇示するためなのかカバーに入らず、KO勝ちを狙ってダウンカウントが数えられる。それでも起き上がったタイガーはブラックの暗闇脳天狙いを切り返して、逆にツームストーンパイルドライバーで突き刺すと、フライングボディーボディープレスで勝負に出るが自爆。ブラックはブレーンバスターの体勢からトップロープに打ちつけるために前へと叩きつけ、タイガーはバックの奪い合いからジャーマンを狙うが、ブラックは急所へのバックキックで阻止、急所へのバックキックは今では定番の反則技だが、初公開したのはブラックでジャーマン破りの技として大きなインパクトを与える。
 主導権を奪えないタイガーは場外戦へと引きずり込み、ロープ越しのフライングボディープレスを投下するも、場外での足四の字固めを仕掛けて逃げを選択、両者リングアウトでタイガーは王座を防衛も、内容的にも負けに等しい引き分けで、この試合でブラックタイガーはタイガーマスクのライバルとして認知された。

  その後ブラックは「ビッグファイトシリーズ」に参戦、猪木が体調不良で欠場となったことでタイガー、ブラック、そしてNWA世界ジュニアヘビー級王者だったレス・ソントンとの三巴の抗争がシリーズのメインとされたが、タイガーはペロ・アグアヨとの防衛戦直前に右膝を負傷し欠場、WWFジュニア王座は返上され、5・6福岡でブラックはグラン浜田との王座決定戦で勝利を収め新王者となる。右膝が回復したタイガーも25日の静岡でソントンを破りNWA世界ジュニアヘビー級王座を奪取、26日の大阪で挑戦者としてブラックと再戦、試合はタイガーがプランチャを自爆、ジャーマン狙いも急所へのバックキックで阻止されるなど大苦戦を強いられるが、暗闇脳天からの背面ダイビングエルボードロップをかわしたタイガーがツームストンパイルドライバーから初公開のラウディングボディープレスで3カウントを奪い王座を奪還、この試合後にブラックは知人からタイガーの正体はサミー・リーであることを知らされたという。  

 後にロコは「タイガーマスクはサミー・リーのさらに上を行っており、タイガーと対等に戦うことに苦労しました。当時の私のキャリアを振り返っても一番のピークだった」と語っていたが、ロコはブラックタイガーとして6回対戦しタイガーの5勝0敗1分、ピークだったロコことブラックタイガーですらタイガーマスクに勝てることが出来なかった。タイガーとブラックの最後の対決が行われたのは1983年2月7日の蔵前国技館大会、これまでタイガーのジャーマンを全て急所へのバックキックで防いできたブラックだったが、タイガーが読んでバックキックを防ぎ、後頭部へのローリングソバットからのジャーマンスープレックスホールドで3カウントを奪い勝利、この試合を最後に二人の対戦は行われず、タイガーは引退して新日本を離れた。ロコはブラック・タイガーとして継続参戦し、ジュニアの一角を担い続けたが、91年にイギリスでの試合中に脊髄を損傷して引退しリングを去った。 

 そのロコは2016年6月に公の場に登場しGスピリッツでのインタビューに答え、上井文彦氏の招きで来日、12月7日に開催された「STRONG STYLE HISTORY」に来場して、初代タイガーマスクこと佐山と再会、オールドファンを狂喜させたが、これが事実上の最後の来日となり、2020年7月31日に死去したことが明らかになった。キッドに続いてブラックタイガーと初代タイガーマスクと激闘を繰り広げた生き証人の一人が去ったことで、時代の流れをまた痛感せざる得ない。ご冥福をお祈りいたします。

(参考資料 Gスピリッツ、ARCHIVES Vol.1初代タイガーマスク。タイガーマスクvsブラックタイガーは新日本プロレスワールドでも視聴できます)

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