ジャパン女子プロレスでは四天王の一角を担い、LLPWでは初代社長兼レスラーとしても活躍した風間ルミさん(本名=斉藤ルミさん)が死去した、享年55歳。風間さんは3月のZERO1靖国大会にゲストして招かれてるなどプロレス関連のイベントにも参加していたが、8月30日の自身のTwitterで体調不良を訴えており、9月5日以降は更新を途絶えていた。そして関係者が風間さんと連絡が取れないため、自宅を訪れると倒れている姿を発見され、病院へ搬送されたが、死亡が確認されたという。
グラン浜田や山本小鉄の指導を受けた風間さんは、1986年8月17日にジャパン女子プロレス旗揚げと共にデビューを果たし、シュートボクシング出身だったこともあって、神取忍と共に即戦力ルーキーとして扱われ、トップの一角を担い、アイドルレスラーとしてもレコードデビューを果たした。


しかしジャパン女子プロレスは華やかな旗揚げだったものの、実情は火の車で経営陣がコロコロ変わるなど悪戦苦闘を強いられ、フロントへの不満を選手を代表して訴えてきたのも、周りから頼りにされてきた風間さんだった。しかし、ジャパン女子から契約を解除された風間さんは神取と共にジャパン女子を離脱、数名の選手と共にLLPWを旗揚げ、自身が社長に就任した。


LLPW旗揚げと共に女子プロレスでは対抗戦ブームとなり、風間さんは社長として最前線に打って出て、全日本女子プロレスでデンジャラスクイーンとして活躍してきた北斗晶と抗争を繰り広げたが、93年11月にホームであるLLPWのリングで敗者髪切りマッチで北斗と対戦し、宙吊りチョークスリーパーの前に敗れ、丸坊主にされるという屈辱も浴びてきた。
その後、丸坊主頭になったことを利用してヒールに転向しつつも、社長としてLLPWを運営してきたが、2002年には神取に社長を禅譲して退陣、2003年8月には引退し、スーパーバイザーとしてLLPWに携わってきた。
そして神取が参議院議員になると公設秘書に就任、裏方として議員となった神取を支え、神取が政界から退陣後はタレントや飲食業に携わりつつも、プロレス界に係わってきた。
LLPWでは神取が強さを、風間ルミが華やかさの部分を請け負ってきたが、周りから慕われていたこともあって親分肌でもあったことから、その分気苦労も多かったのではないだろうか、その気苦労が体調の変化に現れていたのではないだろうか…
ご冥福をお祈りいたします。
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