WWE、WCWでも活躍し、新日本プロレスでは前田明(前田日明)の凱旋マッチの相手を務めたポール・オーンドーフさんが死去した。享年71歳。近年のオーンドーフさんは体調を崩して入院している姿をYouTubeで公開していた。
アメリカンフットボールで活躍したオーンドーフさんはヒロ・マツダの指導を受けて1976年にプロレスデビュー、NWAの各エリアに参戦して、マツダのルートで1980年に新日本プロレスに初来日してパワースラムを武器に活躍、新間寿氏からも第2のスタン・ハンセンと将来の外国人エース候補として期待していた。
1983年にイギリスマット武者修行を終えた前田が凱旋すると、オーンドーフは新間氏の指名で凱旋マッチの相手を務めることになった。新間氏もおそらくだが初代タイガーマスクが凱旋した際にダイナマイト・キッドが相手を務めてライバルストーリーを作り上げたように、前田とオーンドーフの間でもライバルストーリーを作り上げて、オーンドーフも外国人エースとして押し上げようとしたと思う。ところが前田のスパーリングを見たのか、前田の使うスープレックスは危険と見て使わないようにと要求すると、前田のセコンドとして来日していたカール・ゴッチが怒り、前田に”構わず使え”と指示、前田はリバース・アームソルトでオーンドーフを速攻で降して勝利を収め、ゴッチは「パーフェクト」と前田を褒めたが、新間氏だけでなく山本小鉄も褒めるどころかオーンドーフを引き立てようとせず一方的に潰してしまった前田に”とんでもないことをしてくれた”と頭を痛めたという。

この頃のゴッチは新日本から嫌われており、ゴッチの弟子だったマツダとの関係を重視していたが、ゴッチとマツダは師弟関係も、マツダがフロリダマットのプロモーターでゴッチ嫌いだったエディ・グラハムの片腕になったことで破綻していた。今思えばゴッチはオーンドーフがマツダから指導を受けたことを知ったことから、マツダに対して含む部分もあって、前田を使ってオーンドーフを潰させたのかもしれない。
オーンドーフは10月に前田と再戦したがリングアウト負けを喫したが再戦は注目されることはなかった、この頃は新日本が正規軍vs維新軍団の抗争が軸になったことでオーンドーフは注目される存在ではなくなっており、その後は日本に来日することはなかったが新日本を離脱してWWFに遠征した前田の面倒を見ていたという。UWFインターからの1度オファーを受けたが、前田との試合がトラウマになったのかスープレックス恐怖症となってしまい、オファーを断っていた。
しかしアメリカマットではWWFでハルク・ホーガンの抗争相手を務め、WCWでは養成所のパワープラントの教官も務めた。またバックステージではビックバン・ベイダーとトラブルになっても殴り倒すなどケンカ強さも持っていたという。2015年にはWWE殿堂入りを果たした。
アメリカでの評価が高くても、日本では前田との試合が全ての評価が決まってしまったことで不運で不遇なレスラーとなってしまった。
ご冥福をお祈りいたします。
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