新日本プロレスvsUWFインターナショナル②武藤敬司vs髙田延彦、10・9という長い一日


新日本プロレスの現場監督である長州力とUWFインターの社長である髙田延彦との電話会談で10・9東京ドームが急転直下で決定したことで営業部長だった上井文彦も長州に命じられるままドームを押さえたことで、残り49日でチケットが売れるかどうか不安に思っていた。ところがいざ販売となると奪い合いになるほど売れ、UWFインター側にもチケットを回したが、UWFインターの選手にもチケットがないか問い合わせが来るなど、まさに瞬殺でチケットが売れてしまった。

マッチメークを一任された長州はメインで髙田と対戦するのは武藤敬司しかないと考えていた。当時の武藤は5月の福岡ドーム大会で橋本真也を破りIWGPヘビー級王座を奪取し、この年のG1でも決勝トーナメントの準決勝でリック・フレアー、決勝戦で橋本を破り、IWGP王者初のG1制覇を達成するなど、乗りに乗っていた時期でもあった。
長州の頭にあるのは、他のカードでの勝敗はどうでもよく、メインでUインターの象徴である髙田さえ敗れれば、Uインターにとって決定的なダメージを与えられる。橋本も選択肢にあったが、猪木の後継者を自負する橋本ではUWFという大きな存在を塗りつぶすことができない。UWFを潰すには真逆のアメリカンプロレスカラーに染まった武藤しかない。武藤なら例え髙田が仕掛けてきても柔道仕込みのグラウンドで対処できる。それが武藤を起用した理由だった。

武藤にとってUWFはスペースローンウルフ時代から対戦していたことがあり、UWFのスタイルはつまらないと発言したこともあって前田日明ともトラブルになったこともあったことから因縁があったが、長州のようにUWF幻想を消すなど大それたことは考えておらず、自分の与えらえた仕事をこなす。例え髙田が仕掛けてきても、リングに上がったら必死でプロレスをやるだけと思っていた。

9月23日の横浜アリーナで東京ドーム前哨戦として新日本vsUWFインターの対抗戦が行われ、UWFインターからは提携時代に新日本に参戦していた安生洋二と中野龍雄が参戦すると、新日本プロレスは現場監督だった長州自ら出陣したがパートナーはXとされたが、長州が起用したのは当時・ヤングライオンだった永田裕志だった。

大会直前で長州が苗代湖でキャンプを張った際に「もしかしてオマエを対抗戦に出すかもしれないぞ」と永田に伝えていたが、永田自身は安田忠夫が抜擢されるのでという話を聞いており、当日は第1試合で高岩竜一との対戦が決まっていた。永田は高岩に勝った後で控室へ戻ると、長州から「Xはオマエだよ」と肩を叩かれ、館内もXとして永田が現われると館内はどよめいた。永田は元々第2次UWF志望で大学時代には田村潔司がアマレスを習いに来ていたこともあり、UWF分裂後は田村だけでなく垣原もまだUWFインターに道場がないことから練習しに来るなど親交があった。永田は新日本プロレス入りしたが「まさか僕が、かつて入ろうとしていたUインターの選手たちと闘うことになるとは、夢にも思いませんでしたね。」と後年語っていた通り、対抗戦という形でUWFインターと対戦することになるとは思いもしなかった。

試合も永田は安生の繰り出すキックを裁いてフロントスープレックスで投げるなどUスタイルにも対応できるところを見せつければ、代わった長州も安生の打撃を裁いてグラウンドで得意のクロスフィックスで動きを止め、安生を相手にしながらも中野を挑発する余裕すら見せ、中野と対峙してもクロスフィックスからのグラウンドで動きを封じ込める。
試合は長州の期待に応えるべく永田が中野からマウントを奪ってパンチを浴びせるも、安生の顔面への膝蹴り、スリーパー、ニーリフトで攻め込まれ、永田は右眼を腫らせてしまう。
代わった長州も安生にサソリ固めを狙うが、安生はヒールホールドで切り返すも長州は動じない。試合は長州のブレーンバスターの援護を得た永田がバックドロップ。スロイダーで投げるも、中野が首相撲で捕らえてからのニーリフトの連打で反撃し、最後は腕十字で永田がギブアップとなって前哨戦はUインターが勝利も、評価を得たのは永田だった。

試合後に永田は長州から「おまえ、(安生を)拳で殴っただろ。わざとか?』って言われると、永田は「いや、違います」って言った。長州は「そうか。オマエがいま『わざとです』って言ってたらクビだったよ」と答えた。確かに長州からしてみれば安生はドーム大会で大事な役者の一人で、負傷欠場したら大事になってしまう。この時点で長州もUWFインターとの対抗戦はビックビジネスと考えていた。幸い安生も負傷はしなかったものの、永田は長州からは「今日の主役はオマエだ」とほめられ、放送席で試合を見守っていたアントニオ猪木からも「よくやったな、大したことはないだろ。アイツら」とねぎらいの言葉をかけられるだけでなく、この日参戦していたWCWのスティングやスティーブ・リーガルからも「ナイス、ファイト!」と握手攻めにあうなど、永田にとって高評価される試合となった。

そして10・9東京ドームを迎えたが、当時のドーム観客動員記録となる67000人を動員、チケットもあまりにも売れすぎたため、”だぶり”券、つまり席を1ブロック分重複して売ってしまったのだ。完全に新日本プロレス側のミスだったが、急に移動させる席も用意できないことから、席が重複してしまったお客さんには立ち見にしてもらって、後で払い戻すなどして対処したが、それぐらい館内も大盛況だった。

対抗戦は武藤vs髙田を含めて全8試合が組まれ、当初は蝶野正洋vs宮戸優光も組まれていたが、この時点で宮戸は退団していたことから実現しなかった。

第1試合では石澤常光と永田のヤングライオンが金原弘光&桜庭和志と対戦して石澤が三角絞めで勝利、第2試合では大谷晋二郎が山本健一を羽根折り腕固めで破り新日本勢が2連勝となるが、第3試合では飯塚孝之が高山善廣に腕十字で敗れ、第4試合では獣神サンダー・ライガーが佐野直喜にタイガースープレックスホールドで敗れるなど2勝2敗のタイスコアとなってしまう。
第5試合では長州が安生と対戦し、安生を見事封殺した長州がサソリ固めで安生を降すも、第6試合では佐々木健介が垣原賢人の膝十字固めの前にギブアップとなり、3勝3敗となる。そしてセミでは橋本が中野を三角絞めで降して4勝3敗で新日本がリードし、全ては大将戦である武藤vs髙田にかかるも、当初は武藤が保持するIWGPヘビー級王座、髙田が保持するプロレスリング世界ヘビー級王座をかけるダブルタイトル戦を予定していたが、Uインターの特別顧問だったルー・テーズの反対で世界ヘビー級王座はかけられず、髙田が武藤に挑戦するという形となった。実際はUWFインターが宮戸の方針でテーズには多額のベルト使用料を支払っており、団体の経営悪化に伴って使用料が支払えなくなったためベルトをテーズに返還したというのが真相で、テーズも最高顧問から退いてUWFインターから撤退していた。

入場する髙田が花道でガウンを脱ぎ捨ててリングインしたのに対し、武藤は新テーマ曲である「TRIUMH」に乗ってガウンを纏って胸を張り、腰に巻いたIWGPベルトを見せながら入場、「入場ってある種、一番レスラーとしてエクスタシーを感じる時だよな。5万人、6万人、オレが動いたらそれに反応して歓声をあげてくれる。みんながその一点を見つめてくれる気持ちよさっていうのは、味わったものしさわからない快感だよ」と後年語った通り、この日の武藤はオーラを感じさせる入場だったが、放送席で見ていた猪木は武藤の入場シーンを大いに気にくわなかったという。

両者握手で開始、髙田がグラウンドを仕掛けても武藤は見事に対応し、髙田が腕十字を仕掛けても武藤が巧みに切り返すなど決定打を与えず、髙田がヒールホールドを仕掛けても武藤は巧みにディフェンスする。グラウンドの攻防が続き、武藤が袈裟固めで捕らえながらUスタイルにない頭突き、ストンピングを浴びせると、驚いた高田にキックやソバットを浴びせ、髙田は思わずダウンしてしまう。

立った高田はローキックやミドルキックの連打で反撃、武藤は思わず尻餅をつくも、髙田がローキックの連打でからミドルキックを狙うが、キャッチした武藤はグラウンドを仕掛けると、今度は髙田が膝十字で捕らえ、ヒールホールドへ移行も武藤はロープエスケープする。

髙田は今度は首相撲からニーリフトも巧みにデフェンスした武藤はジャーマン、バックドロップと投げてムーンサルトプレスを狙うが、これだけは絶対食らいたくないと考えたのか髙田が避けて自爆してしまう。
髙田はミドルキックの連打から腕十字を狙うが、武藤はひっくり返してロープエスケープ、髙田はローキックも連打、バックドロップから再び腕十字も武藤はロープの位置を確認してロープエスケープする。
髙田はミドルキック、ニーリフトも嫌った武藤はタックルも高田はニーで迎撃、そしてミドルキックを狙うが、キャッチしたドラゴンスクリューを決め、髙田は右膝を押さえると、これを逃さなかった武藤は足四の字固めで捕らえる。

髙田はなんとかロープエスケープするし、武藤は抵抗する髙田にドラゴンスクリューから足四の字固めを狙うが、髙田は下からのキックで逃れ、痛めた右脚でローキックを繰り出し、ニーリフトからハイキックを炸裂させて武藤はダウンする。

武藤が立つと髙田は延髄斬りを放つが、すぐ立ってこれない髙田の隙を突いた武藤は再び足四の字固めで捕らえ、髙田はロープへ逃れようとするが、動けなくなり遂にギブアップ。武藤が勝利を収め、IWGPヘビー級王座を防衛した。

試合も最初こそは武藤が髙田に付き合ってグラウンドで渡り合うも、途中からUWFスタイルにない頭突きやストンピングで髙田のペースを狂わせにかかり、髙田がキックで活路を見出そうとしたが、攻めが単調になったところで武藤が一気に勝負に出た。武藤がフィニッシュに選んだ足四の字固めもまさにUWFスタイルにないアメリカンプロレスの象徴的技、髙田からギブアップを奪ったことにより、足四の字固めは武藤の必殺技の一つとなった。

結果は新日本プロレスが5勝3敗で勝利、3敗はしたものの、Uインターの象徴である髙田が足四の字固めでギブアップを奪われたことはUWFファンにとって大きな衝撃を与え、敗れて去っていく髙田に失望し「なぜギブアップした!」「前田が泣いているぞ!」と罵声を浴びせた。長州にしてみれば団体の象徴である髙田さえ破ればUWFインターという団体に決定的なダメージを与えられる。まさに狙い通りの結果となった。

当時新日本プロレスはダイヤルQ2(NTT東日本・西日本が提供していた電話による情報料代理徴収サービス)にて試合結果速報、週刊プロレスも電話サービスにて結果を速報していたが、10・9当日は電話回線がパンク状態となって、なかなかつながらない状況となり、自分も結果を知りたいばかりに何度も電話を掛けたが1時間半後にやっと電話がつながって結果を知ることが出来た。一番10・9に長い一日を感じたのはプロレスファンだったのかもしれない。

2日後の10月11日に開催されたUインター大阪大会、自分も観戦していたが大会前に髙田が武藤のドラゴンスクリューのダメージを受けて右膝靭帯の損傷で欠場することになったため挨拶したが、髙田に対してファンから「責任を取れ!」「前田が泣いているぞ!」「UWFの面汚し!」と罵声が飛び交うと、髙田が突如キレ「うるせえな!こら!」と怒鳴ってしまう。髙田は冷静さを取り戻して改めて挨拶したが、この髙田の姿を見て、UWFインターは敗れてしまったんだと実感した。

大会には長州や健介、永田、石澤、対抗戦初抜擢の安田忠夫の新日本プロレス勢が参戦し、メインでは安生&垣原が長州&永田を破り、UWFファンは対抗戦に勝ったと大喜びしたが、自分はキレた髙田を見て10・9で全てが終わったと実感して会場を後にした。
その後UWFインターの興行には新日本プロレス勢が参戦するも、マッチメークは新日本に握られ、1996年1月4日の東京ドームでは髙田が腕十字で武藤を破りリベンジを果たしてIWGPヘビー級王座を奪取するが、10.9のインパクトが強すぎたため、髙田のリベンジはインパクトの弱いものとなり、3・1UWFインター武道館大会で王者となった髙田は越中詩郎を迎え撃って破り防衛を果たすも、観客動員は満員にはならず、対抗戦も新日本プロレスにとっては大きなプラスとなったが、UWFインターにとっては髙田がIWGPを取っても経営のテコ入れにはならず、4・29東京ドームで橋本に敗れ短期政権に終わった。

UWFインターvs新日本プロレスの対抗戦路線の中で安生洋二が高山善廣、山本健一(山本喧一)を巻き込んでゴールデンカップスを結成、新日本プロレスとの対抗戦にひと段落つけると、天龍源一郎のWARと対抗戦を開始するが、ゴールデンカップスは「Uの砦を守るとか、これっぽっちも考えていない。」「Uというものに縛られたくない。チームスポーツじゃないんだから。闘いをエンジョイしたいだけ。ファンもそういうものをプロレス界に期待しちゃいかん。」をテーマにして、これまでのUWFインターの概念を覆して、対外的に活躍したが、おそらくUWFインターに新規のファン層を獲得するために安生が考え出したものだと見ていいと思う。ゴールデンカップスも対外的には活躍したが、ゴールデンカップスは宮戸は否定的だったように、古くからのUWFインターファンは否定的な立場を取って離れてしまい、またゴールデンカップスも新規のファン層も獲得するまでには至らなかった。全日本プロレスや石川敬士の東京プロレスとも交流を開始したが、経営悪化の歯止めにはならず、12月27日の後楽園大会で解散となった。

自分はUWF信者の友人に10・9の結果を知らせ、友人は「なぜ足が折れてもギブアップしなかったんだ!」と言っていたことを思い出しているが、現在思うことがあるとすれば、なぜ髙田は足四の字固めでギブアップをしたのか、レフェリーストップ負けなら髙田だけでなくUWFインターにとってもまだ救いようがあり、テレビ解説をした猪木も「なぜ髙田が仕掛けようとしなかったのか」と疑問に思っていた。猪木も髙田に団体が守る気があれば仕掛けていたはず、それをもしようとしなかったことで疑問に抱いていたのではないだろうか、これは自分の解釈かもしれないが、髙田はギブアップ負けを選んだことで、宮戸が築き上げたUWFインター、また”最強”の象徴と祭り上げられていた髙田延彦という最高傑作を髙田自ら壊したかったのではないだろうか、後年、宮戸は「3人がキチンと手を組んでいれば新日本プロレスとの対抗戦だって、逆に新日本プロレスが負けて潰れていたと思う」と語っていたが、3人がそう思っても肝心の髙田はどうだったのだろうか、UWFインターの経営が厳しくなっただけでなく、最強と祭り上げられたことに髙田は疲れ切っていたのではないだろうか、だから選挙に打って出て何もかも逃げ出したかったのではないだろうか…

2021年10月9日、GLEATが「LITED UWF」を開催、スターダム大阪城ホール大会でも朱里が鹿島沙希を武藤vs髙田を彷彿させるようにドラゴンスクリューから足四の字固めで降し、新日本プロレスエディオンアリーナ大阪大会でも飯伏幸太がグレート・O・カーンにドラゴンスクリューからの足四の字固めを披露するなど、武藤vs髙田を彷彿させるような攻防が見られた。武藤敬司vs髙田延彦はまさに新日本プロレスの最高傑作のひとつであった。

(参考資料=新日本プロレスワールド、日本プロレス事件史Vol.11、田崎健太著「真説・長州力」 「証言 UWF最終章」、福留崇広 著「さよならムーンサルトプレス 武藤敬司35年の全記録」 「リングの記憶 第三世代~天山広吉×小島聡×永田裕志×中西学」 武藤vs髙田戦など新日本vsUWFインターの対抗戦は新日本プロレスワールドにて視聴できます)

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