ダニー・ホッジ


NWA世界ジュニアヘビー級王者として一時代を築き、ウイルバー・スナイダーとのコンビでジャイアント馬場、アントニオ猪木のB・I砲からインターナショナルタッグ王座を奪取したダニー・ホッジさん死去した。享年88歳。

ホッジさんはヘルシンキオリンピックで5位に入賞するなど、レスリングで輝かしい実績を持ったままプロレス入りし、1959年にプロレスデビュー、1年後の1960年にはNWA世界ジュニアヘビー級王座を奪取、一時はヒロ・マツダに王座を明け渡したが、12年間にわたって王者として君臨した。

初来日は1967年、旗揚げしたばかりの国際プロレスで、1968年にはルー・テーズを破ってTWWA世界ヘビー級王座を奪取して、ブレット・カリーから防衛を果たしたが、外国人ブッカーだったグレート東郷と国際プロレスの間でブッキング料を巡るトラブルが発生したため、ホッジも国際プロレスから撤退して王座も返上した。

日本プロレスがNWAに加盟したことで、ホッジも日本プロレスに参戦、1969年にはスナイダーと組んで当時日本で無敵を誇っていた馬場&猪木のB・I砲を降してインターナショナルタッグ王座を奪取、スナイダーとのコンビはアメリカでも実現したことはなく急造でのタッグだったが、無敵を誇ったB・I砲から初めてタッグ王座を奪ったことで二人がいかに強豪チームだったこともうかがい知り、シングルでもホッジは猪木と対戦した際にはパンチでKOするなど競合ぶりを見せたが、意外にも馬場の保持するインターナショナルヘビー級王座へ挑戦する機会は恵まれず、NWA世界ヘビー級王者だったドリー・ファンク・ジュニアと共に来日した際にはポリスマンとしての役目を果たすなど、脇役的な存在として扱われた。

日本プロレス崩壊後は全日本プロレスに参戦したが、1976年に自動車事故を起こし首を骨折する重傷を負ったためNWA世界ジュニア王者のまま引退したが、なぜ実力がありながらジュニアヘビー級王者としてとどまったのか、テーズによると些細なことですぐキレてしまう性格で、ホッジがキレていることがわかると、テーズがすぐ場外へエスケープすることもあったことから、キレやすい性格がNWA世界ヘビー級王者として推されず、馬場の保持するインターヘビー級王座からも挑戦させてもらえなかった原因だったのかもしれない。

一度テーズとビル・ロビンソンが揃って日本でトークショーを開催された際に、「もしも現在の総合格闘技に全盛期のホッジが出場したなら」と質問が出た際に、二人は揃って「1分以内に対戦相手は目をえぐられ、鼻をもがれ、さらに両耳を引きちぎられるだろうね」と答えていた。キレる性格もあり、リンゴを軽く握りつぶす握力、猪木をKOするパンチの強さを考えると「総合格闘技最強伝説」が出てもおかしくはない、そのこともあって晩年のホッジは複数のMMA団体のコミッショナーに就任した。

2005年10月には宮戸優光の招きで来日しロビンソンとトークショーを行い、2008年10月には “プロレス・エキスポ” 立会人として来日してリンゴを握りつぶすなど健在を見せつけていたが、これが最後の来日となり、晩年は認知症を患っていたという。

ご冥福をお祈りいたします

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