プロレスの前に立ちはだかったドリフターズ、志村けん


3月29日、コメディアンの志村けんさんが死去した。自分にとって志村けんは物心ついたころからの大スターで、プロレスファンをまだ始めた頃ではなかったこともあって、TBSで放送されていた「8時だよ!全員集合」は毎週のようにみていたが、プロレスにとって志村けん、志村けんが属していたザ・ドリフターズは常に立ちはだかっていた存在だった。

「8時だよ!全員集合」は1969年に放送がスタートし、1970年には視聴率が45%を記録するなど、高視聴率を取ってきたが、1972年に日本プロレスからジャイアント馬場を独立させた日本テレビが「8時だよ!全員集合」の裏番組として「全日本プロレス中継」をスタートさせた。しかし、全日本プロレス中継は「8時だよ!全員集合」を上回るどころか、「8時だよ!全員集合」は視聴率を40%を記録するなど、大差をつけられてしまい。また土曜8時は日本テレビがプロ野球シーズンに入ると巨人軍の中継を最優先させて放送(プロ野球中継が入ると全日本プロレス中継は深夜に放送)されるなど不安定だったこともあって、思うような視聴率を稼げず、1979年4月をもって「全日本プロレス中継」は土曜8時から撤退して、ドリフとの視聴率戦争に敗れてしまった。

 1987年10月から新日本プロレスの「ワールドプロレスリング」も「ギブUPまで待てない!ワールドプロレスリング」を放送していた火曜夜8時から月曜8時に移行したが、当時の裏番組はTBSでは「水戸黄門」「大岡越前」などの時代劇、日本テレビが歌番組の「ザ・トップテン」そしてフジテレビでは「志村けんのだいじょうぶだあ!」が放送されていた。自分はこれまで「ザ・トップテン」見ており、「ワールドプロレスリング」が移行してからはプロレスを見ていたものの、強力な裏番組の前に「ワールドプロレスリング」は勝てず、1988年3月をもって月曜8時から撤退、土曜夕方4時の不定期放送枠に追いやられ。今度は志村けんさんとの視聴率戦争に敗れてしまった。

 そういった意味ではドリフターズ、志村けんさんは、常にプロレスの前に立ちはだかった存在で、プロレスは1度も勝てなかった。これを書くと改めてドリフターズ、志村けんさんの存在の大きさを痛感させられる。

ご冥福をお祈りいたします

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