ケンドー・ナガサキ


日本では日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレス、FMW、SWS、NOW、大日本プロレスに上がり、アメリカマットでも活躍したケンドー・ナガサキ(本名=桜田一男)さんが死去した。享年71歳。死因は明らかになっていないが、心臓にペースメーカーを埋め込む手術を受けており、今年になって1月5日にレジェンドが集まるイベントに参加、死去する前日には知人のパーティーにも参加していたことからペースメーカーの故障が原因と言われている。

 立浪部屋の力士から1971年に日本プロレスに入門してデビューを果たし、坂口征二に追随して新日本プロレスへ移籍しようとしていた 大城大五郎をセメントで潰したことでケンカ最強伝説が生まれた。
 日本プロレス崩壊後は全日本プロレスに合流、若手だった大仁田厚や渕正信、ハル園田を指導するも、ジャイアント馬場は日本プロレス残党を冷遇しており、ナガサキも大城に対するセメント事件が原因になったのか、馬場とはソリが合わず厄介者扱いされていた。大木金太郎の招待で韓国遠征に出たことがあったが、その際にサムソン・クツワダ共にマスクを被りタイガーマスクに変身させられたことがあったという。
 力士時代同期でプロレスデビューを果たしていた天龍源一郎の付き添いという形で渡米したことをきっかけにしてアメリカマットを主戦場にするようになり、カナダ・カルガリーではスチュ・ハートからセメントの強さを買われてブレット・ハートを指導、1980年にフロリダに転戦した際にブッカーを務めていたザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク)から剣道をキャラにしたレスラーに変身するように命じられ、全日本から剣道着一式を送ってもらい、ペイントをして誕生したのがケンドー・ナガサキであり、生みの親はファンクスだった。
 日本にはたびたび帰国していたが全日本ではなく提携していた国際プロレスに派遣され、また外国人覆面レスラーであるドリーム・マシーンに変身させられて外国人側で全日本マットに参戦するなど、冷遇に近い扱いを受けたが、ナガサキ自身も日本に留まるつもりはなかった。自分はドリーム・マシーンの正体がナガサキであることは後年知ることになった。
 ナガサキは坂口征二の誘いを受けて新日本プロレスに参戦、新日本へ戦場を移すにあたっては馬場からの引き止めはなかった。ナガサキは最初こそはランボー・サクラダのリングネームで日本側に立ったものの、1シリーズでケンドー・ナガサキに戻り、将軍KYワカマツをマネージャーにしてミスター・ポーゴとのタッグで活躍したが、ポーゴとは折り合いが悪かったという。またUWFから参戦していた前田日明との対戦も実現して前田のキックに対して受身を取り、グラウンドでも互角に渡り合い、海外武者修行に出ていた後藤達俊や武藤敬司の面倒を見た。

 新日本との契約が切れた後はアメリカを再び主戦場にしつつFMWにも参戦したが、同時期にメガネスーパーのエージェントになってSWS設立に参加、天龍を口説き落として全日本離脱~SWS移籍に一役を買った。SWS分裂後はNOWを旗揚げも、慣れない団体運営に苦戦して僅か4年で崩壊、その後、グレート小鹿と共に大日本プロレスに参加してエースとなって、ケンカ強さを買われてMMAにも挑戦したが、大日本の方向性を巡って対立しケンカ別れに近い形で退団、フリーで活動しつつ、ちゃんこ屋やスナックなど経営するなどしていたが、体調不良で全て廃業、心臓の手術も受けたためレスラーも引退していた。

 2019年12月15日、大日本プロレス横浜文化体育館で行われた25周年メモリアルで公開されたオープニングVTRで、植木嵩行と対談という形でナガサキは大日本とは和解を果たしていた。大日本は来年25周年を迎える矢先で旗揚げにかかわったナガサキの訃報は残念である。

ご冥福をお祈りします。

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