WJプロレス 最初で最後の大阪でのビックマッチ!

 2003年8月21日、自分はWJプロレス大阪府立体育館大会を観戦した。

 WJプロレスは前年の2002年に新日本プロレスを退社した長州力と永島勝司氏によって旗揚げした団体で、長州のタニマチである北海道を中心に活動する企業家の福田政二のバックアップを得た長州と永島氏は新団体旗揚げを決意、古巣の新日本から佐々木健介や越中詩郎、鈴木健三(KENSO)、NOAHから大森隆男を引き抜き、フリーだった天龍源一郎、大仁田厚、安生洋二からも参戦を取り付け、「プロレス界のど真ん中を行く」を標榜して3月1日に横浜アリーナで旗揚げ戦を行うが、同日にNOAHの日本武道館大会、K-1 WORLD MAXの有明コロシアムが開催され、また当日の天候も大雨だったこともあって、観客動員は思ったより集まらず、また旗揚げシリーズで行われる予定だった長州vs天龍の7連戦も双方の負傷で3戦目で頓挫するなど、成功とは言い難いものに終わってしまった。

7月20日には両国でWJが初のビックマッチ開催され、初代WMG王座を決めるトーナメントが行われて佐々木健介がWMGヘビー級王者となるも、ベルトの完成が間に合わず、チャンピオンベルトがないまま王座がお披露目となるなど裏方の不手際が目立ち、また地方巡業でも素人同然のフロントが中心だったこともあって観客動員でも苦戦を強いられていたが、金遣いの荒くて浪費癖のある永島氏は過去に仕掛けた栄光だけを振りかざすだけで営業にも出ず、長州が選手に専念するために経営にはほとんどタッチしないなど、フロントに協力的ではなかったこともあり、メジャー感覚の抜け切れない二人によって、社長となっていた福田氏が用意した資金2億円はあっという間になくなってしまっていた。

 プロレス転向を希望していた格闘家のジャイアント落合が練習中の事故で死亡する事態が起き、この事件で獲得寸前だったスポンサーにも逃げられてしまう。旗揚げ前には「プロレス界のど真ん中を行く」を標榜したが、”ど真ん中”からはずれ、大阪大会の時点でWJは団体としては破綻寸前の状態だった。自分は前売りでチケットを買って会場を訪れたが、開場を待っているファンは数人程度、会場前には超満員で長蛇の列を見込んでいたのか、大量のカラーコーンが並べられるも、集まる気配のないまま開場、観客も数える程度で席がまったく埋まる気配すら感じられず、エアコンだけが熱気のない館内を冷やしていた。

当日の対戦カード
①20分1本勝負 和田城功vsマンモス佐々木
②45分1本勝負 WMGタッグトーナメント一回戦 越中詩郎 新崎人生vsドット・シェーン マイク・シェーン
③20分1本勝負 高智政光vs宇和野貴史
④45分1本勝負 WMGタッグトーナメント二回戦 天龍源一郎 長州力vs大森隆男 鈴木健想
⑤45分1本勝負 WMGタッグトーナメント二回戦 越中詩郎 新崎人生vs安生洋二 矢口壹琅
⑥20分1本勝負 石井智宏vs木村浩一郎
⑦60分1本勝負 WMGヘビー級選手権試合<王者>佐々木健介vs<挑戦者>ダン・ボビッシュ
⑧60分1本勝負 WMGタッグトーナメント優勝決定戦 天龍源一郎 長州力vs越中詩郎 新崎人生

 大阪大会では初代WMGタッグ王者を決めるトーナメントとWMGヘビー級王者となった健介の初防衛戦が組まれたが、トーナメントには6チームが参戦。タッグトーナメントに関しては当初はあと2チームを揃えて8チームとしたかったのかもしれない。
 大阪大会の出場選手は所属選手や常連外国人選手、インディーから参戦してきた選手が中心となったため、ベイダーやスティーブ・ウイリアムス、ドン・フライらが参戦した両国大会と比べて大きくスケールダウンしてしまい、健介の挑戦者もNOAHを離脱しWJへ戦場を移そうとしていたベイダーを予定されていたが、負傷を理由にドタキャンされ、格闘家でWJのトップ外国人選手として売り出そうとしていたボビッシュに変更、おそらくベイダーも予算面の問題でギャラを支払う余裕がなく、キャンセルを余儀なくされたと見ていいだろう。


 また1週間後には新日本プロレスが同じ府立体育会館で蝶野正洋vs高山善廣による新日本初の金網デスマッチを行う予定になっていた。これは後で聞いた話だが、新日本大阪大会は当初はG1 CLIMAXの日程に組み込まれていたものだが、おそらく新日本側もWJの状況はわかっていたのか、内外共にガタガタだったWJにとどめを刺すべく、スライドしたものだったという。

 第1試合ではマンモスが登場して和田と対戦、当時のマンモスはWMFの所属だったが天龍に弟子入りしており、その縁でWJに参戦していたが、長州からの指示で大技やハードコアを封印して基本的な技を中心に試合を組み立て、最後はキャメルクラッチで勝利。
 第2試合からトーナメントに突入も1回戦はたった1試合だけ行われ、越中と新崎組が双子の兄弟であるドット&マイクと対戦し、越中がマイクを横入り式エビ固めで丸め込んで勝利で2回戦へ進出する

 第4試合では2回戦が行われ、長州&天龍が大森&健想と対戦、優勝決定戦に相応しいカードは実質上の”1回戦”で行われ、ヘビー級王座決定トーナメントでは健想が準優勝、大森は1回戦では天龍を破っていることから、二人への期待が大きかったのだが、天龍が53歳で健想から3カウントを奪い勝利、試合後も健想も大森も悔しさを露わにせず、あっさりとした感じで終わったが、実はWJ内部では所属選手へのギャラの未払いも発生しており、健想はWJに見切りをつけて、この大会を最後に退団することになっていた。

 第5試合では越中&新崎が安生&矢口と対戦し、越中がミサイルヒップで矢口から3カウントを奪い決勝に進出。第6試合では石井が木村と対戦して垂直落下式ブレーンバスターで勝利、石井はWJ旗揚げ前に長州のトレーニングパートナーとなったことで知り合った縁でWJ入りし、長州の指示でWARでのキャリアを捨てて、高智や宇和野と共に若手として扱われていたが、3人の中で群を抜けていたのは石井で長州も最も期待をかけていた。石井の現在のスタイルである”ど真ん中”はWJ時代から培ったものだった。

 セミのWMG選手権はWMG選手権は健介がラリアットでボビッシュを降し王座を防衛、メインで行われたトーナメント決勝戦も長州が新崎をリキラリアットからのサソリ固めでギブアップを奪い勝利、初代WMGタッグ王者となったが、両試合ともあっさりしたもので観客が少なかったせいもあって盛り上がりのないままで終わったが、その中で一番印象に残ったのは石井の試合だけだった。

 WJが起死回生のために総合格闘技イベント「X-1」を開催、期待の新人である中嶋勝彦がMMAマッチでデビューするも、試合中に金網マッチ中に金網が外れる事態も発生、観客から失笑が起き、野次も飛び交う、「X-1」は長州プロデュースとされていたが実際は名義だけを貸していたに過ぎなかったものの、自身の看板に傷をつけられただけでなく、笑われることを嫌った長州は怒り最後まで観戦せず会場を後にしたため、長州の行動に永島氏だけでなく健介まで怒り、亀裂の一因にもなったが、長州の気持ちは誰も知ろうともしなかった。

そして選手兼任営業の谷津嘉章が給料未払い等を暴露したことで、WJの苦しい経営状況が表面化、後になってわかったことだがWJは大阪府立体育会館の使用料を支払っていなかったという。
 後年になって谷津が永島氏と組んで新聞に経営状態を暴露することで、抗争を仕掛けようとしていたことしていたことを明かしたが、長州はNGを出すどころか身内の恥を晒されただけでなく、ジャパンプロレス時代に1度裏切られ、2度までも裏切った谷津と絶縁する。

 WJは所属選手に対して契約を守れなかったとして所属契約を解除、健介だけでなく越中や大森も離脱しまい、WJは石井など若手選手が中心となったが、中嶋が健介の元へ走ったのがきっかけとなったのか、WJは事実上開店休業にまで追いやられた。

 WJが失敗した理由は長州にしろ永島氏にしろ「90年代の新日本を盛り立ててきたのは自分らだ!」という自負を抱えていたが、それは新日本プロレスというブランドがあった上での成功で、長州や永島氏だけの功績ではなかったことを二人は気づいていなかったがでなく、旗揚げはゼロからの出直しにしなければいけなかったが、メジャー感覚が抜け切れず、無駄な金だけが出て行ってしまった。

 後に福田氏は貸し付けた2億円を焦げ付かせた長州と永島氏に対して裁判を起こし、長州は現役を続けることで借金は完済したものの、高齢の永島氏には支払い能力がないことから少しずつに支払いとなるも、旗揚げ戦の横浜アリーナだけでなく大阪府立体育会館の使用料も最終的に踏み倒され、そのせいか長州名義では大阪府立は使用できなくなってしまった。

 永島氏は「オレと猪木と組んでいる時は、揉めることがあっても、お互いの気持ちはわかりあっていたからやれた。でも、オレは長州力という人間の気持ちはわからなかった。あれは難しい男だよ、オレとアイツは最初から一蓮托生ではなかった」、長州は「永島に関しては知らないことが多すぎましたね、WJのときに彼の金銭のだらしなさがが出てきましたね、それは僕の失敗でもあるんだけど、あまりに永島のプライベートを知らなさ過ぎた。ええ嘘だろう!というのが多すぎた」と答えていたが、長州と永島氏は仕事上ではパートナーだったとしても、いざ同居すると互いの嫌な部分を見るようになって亀裂が生じた、それもWJが崩壊の一因だったと思う。

 長州と永島氏にとってWJは失敗作だったかもしれないが、インディーから再生され、現在では新日本のトップの一角となった石井智宏、途中で健介の下へ走ったが、NOAHのトップの一角になった中嶋勝彦、この二人のレスラーを輩出したのもWJの数少ない功績だった。二人が活躍する限りWJプロレスという団体は決して否定されるものではない。

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