IWA JAPAN最初で最後の大勝負!川崎球場進出

1995年8月20日、IWA JAPANが川崎球場へと進出、デスマッチ王者を決める最凶トーナメントを開催、大会名も「KAWASAKI☆DREAM~インディーだって夢を見る」と銘打たれた。

1994年3月にW☆INGが放漫経営の末崩壊し、その後続団体として誕生したのがIWA JAPANだった。IWA JAPANのオーナーは浅野紀州氏だったが、実質上現場を仕切っていたのはW☆INGで外国人ブッカーを務めていたピクター・キョネスで、カルロス・コロンのWWCから独立してIWAプエルトリコを旗揚げしており、IWA JAPANはIWA プエルトリコの日本支部としてスタートしていた。IWA JAPANには自身が率いていたプエルトリコ勢だけでなく、自身の人脈を生かして、かつて全日本プロレスのトップだったテリー・ファンク、ディック・スレーター、新日本でも活躍していたディック・マードック、アメリカのインディーで大活躍していたキャクタス・ジャックなど大物を次々と招聘おり、全日本ではアイドルだったテリーも本来の姿であるハードコアスタイルを前面に押し出してからはFMWだけでなくECWにも参戦するなど存在感を発揮しつつあった。

 日本人選手は当初は荒谷信孝とW☆INGから継続して参戦していた金村ゆきひろ(金村キンタロー)を看板として押し出そうとしていたが、荒谷は旗揚げして9ヶ月で離脱、金村も4ヶ月目でFMWへ引き抜かれて離脱してしまい、中牧昭二や小野浩志の”血みどろブラザース”が中心ではでは役不足だったこともあって、日本人選手の駒不足に悩まされるも、4月21日に大仁田厚の引退試合の相手だったターザン後藤が、ミスター雁之助、フライングキッド市原と共に離脱して真FMWを結成し、IWA JAPANに参戦することで実質上の日本人エースとなったことで日本人選手の駒不足も解消され、またWARから冬木弘道率いる冬木軍、旗揚げしたばかりの大日本プロレスからケンドー・ナガサキなどが参戦、また大仁田が引退したばかりのFMWも観客動員が低下するなど、IWA JAPANはたちまちインディーの中心的存在になっていった。

 そこでIWA JAPANが大勝負に出て川崎球場に進出することになった。川崎球場は大仁田FMWの聖地でもあったが、大仁田が引退した後のFMWはまだ川崎球場でビックマッチを開催する余力はなく、IWA JAPANにとって”FMWの時代は終わり、これからはIWA JAPANの時代”と示す大チャンスだった。さっそくキニョネスは自身の人脈をフルに活用して、IWA JAPANの常連だったテリー、キャクタス、レザー・フェースだけでなく、FMWにも参戦していたタイガー・ジェット・シン、全日本プロレスでは三冠ヘビー級王者にもなったテリー・ゴーディの参戦を決め、またUWFインターナショナルの常連でNWA世界ヘビー級王者だったダン・スバーンの獲得にも成功した。スバーンはMMAの経験もあることから、パンクラスやK-1、新日本プロレスが獲得に動いていたが、キニョネス自身が動き、スバーンの代理人に直接交渉して参戦が決まった。

 川崎球場はテリー、キャクタス、シン、ゴーディ、レザー、雁之助、IWA JAPANの所属となっていた中牧昭二、小野浩志ら8選手がエントリーする最凶デスマッチトーナメントと、スバーンの保持するNWA世界ヘビー級王座に後藤が挑戦するという二枚看板で行われたが、違う種類のデスマッチを3試合行うことから、進行をスムーズするため、川崎球場のグラウンドの広さ利用して、グラウンドには三つのリングが設置された。

 まずデスマッチトーナメントの1回戦はシンが雁之助とバーブドワイヤーボード・チェーンデスマッチで対戦して、シンがチェーンで絞めあげた後で、コブラクローホールドで3カウントを奪い勝利。テリーvsレザーはテリーが球場の金網のてっぺんにまで上がってレザーを絞首刑にして、最後はチェーンを巻いての左ストレートで勝利。キャクタスvsゴーディはスクランブルバンクハウス画鋲デスマッチで対戦して、ゴーディが画鋲の上でのパワーボムを決めるも、キャクタスがゴーディの顔面めがけて画鋲を投げて怯んだ隙を突いてのDDTで3カウントを奪い勝利となる。

 中牧vs小野の血みどろブラザーズ対決はもスクランブルバンクハウス画鋲デスマッチとなったが、敗者引退マッチとして行われることになった。理由は川崎球場大会の直前である8月9日の後楽園で後藤が「俺に負けたら引退しろ」と中牧に迫って対戦となったが、中牧が敗れたにもかかわらず、引退しなかったことに小野が怒り、自らの進退をかけて中牧と対戦となったのだ。中牧が画鋲の上でのフルネルソン式フェースバスターで3カウントとなり、小野は公約を守ってこのまま引退する。

 準決勝では全日本プロレス以来となるテリーとシンがバーブワイヤーボード・ガラスウインドクラッシュデスマッチで対戦し、テリーが場外のガラスケースに転落すると、パイプイスの金属部分で右膝をメッタ刺しにしたが、テリーがスピニングトーホールドで反撃すると、キャクタスがシンのサーベルを持って乱入してテリーへの一撃を狙ったが、シンに誤爆してしまい、テリーが押さえ込んで3カウントとなってテリーが決勝に進出。
準決勝のもう1試合である中牧vsキャクタスは五寸釘、有刺鉄線ボードを使った四面地獄デスマッチで行われ、中牧が五寸釘や有刺鉄線に叩きつけられて大流血となり、最後はキャクタスがDDTで3カウントを奪い、キャクタスが決勝に進出する。

 メイン前に行われたスバーンvs後藤のNWA世界ヘビー級選手権は、両者ともイスを手にしてイスチャンバラを繰り広げるも、スバーンが得意のスープレックスで投げまくり、最後はスリーパーで後藤を絞め落として勝利となり、王座を防衛する。

 テリーvsキャクタスは1月8日の埼玉・本庄市でノーロープ有刺鉄線スクランブルバンクハウスデスマッチで対戦し、キャクタスがイスに灯油をかけて着火させてのファイヤーチェアーで一撃を加えるも、テリーの子牛の焼印で胸を押しつけて逆襲し、テリーがDDTで勝利しており、日本国内では2度目の対戦で、アメリカでも数回行われていないこともあって、アメリカではドリームカードでもあり、川崎球場のメインにふさわしいカードとなった。

  試合形式は有刺鉄線爆破ボード&超大型時限爆弾というFMWと似たような形式で行われた。試合もキャクタスの攻撃を受けたテリーがボードへ倒れこむと大爆発を起こし、テリーの体が煙で見えなくなるほどの凄い威力であることを見せつける。テリーは爆発後のボードの上でのパイルドライバーで反撃してスピニングトーホールドを決めるも、シンが乱入して準決勝の報復として爆破有刺鉄線ボードをテリーを叩きつけ、テリーはまたしても被弾してしまう。
 シンの援護を得たキャクタスはダブルアームDDTで勝負に出たところで、10分が経過して大型時限爆弾が作動するが、小爆発に終わってしまい、後年テリーも「FMWと比べてそよ風みたいなものだった」と語るぐらい不発に終わってしまう。それでもテリーとキャクタスは試合を続け、6メートルのギガラダーを投入、キャクタスがギガラダーからダイビングエルボードロップを投下してから、再度昇ると、テリーが体当たりしてキャクタスを落としたが、キャクタスがテリーを覆いかぶさる形となって3カウントとなり、キャクタスがリベンジを果たしてトーナメントを優勝するも、キャクタスはギガラダーから転落した際に左耳を有刺鉄線に直撃させて大裂傷で千切れる寸前であり、またキャクタスだけでなくテリーも爆破で大火傷を負うなど、互いに代償が大きかった。

 IWA JAPAN初の川崎球場大会はグラウンドに用意された三つのリングが不評だけでなく、最後の時限爆弾も不発に終わってしまったことで課題を残し、観客も28757人と動員したが満員マークはつかなかったものの、後に大会は週刊プロレスによってセルビデオにて販売された。

 しかし1996年になると浅野氏とキニョネスの間で亀裂が生じ、キニョネスは経営から撤退と共にIWAプエルトリコ軍も撤退、大仁田が復帰して盛り返したFMWに鞍替えしてしまい、中牧も離脱してしまう。IWA JAPANは全日本プロレスで辣腕を振るっていた佐藤昭雄をブッカーとして招き、ECWと提携して盛り返すかと思われたが、今度は後藤ら真FMWが佐藤と共に離脱してしまい、一時は活動停止寸前にまで追いやられたが、山田圭介(ブラック・バッファロー)が代表に就任して新体制が発足、ザ・グレート・カブキを招いて危機を乗り切った。

 山田とカブキが去ると、IWA JAPANは浅野氏が中心の体制となり、シンだけでなく武藤敬司体制となった全日本プロレスからリストラされたスティーブ・ウイリアムスなどのかつてのレギュラー外国人選手やWWEで活躍したビック・ブーバーやテッド・デビアス、ハックソー・ジム・ドゥガンが参戦、時には浅野氏自らリングに上がって試合を行い、NOAHとの提携やUMA路線で存続したが、浅野氏が体調を崩したことがきっかけとなり、2014年に活動を休止した。

 自分もIWA JAPANを2度とも(一度は伊賀で開催された)観戦したが、全盛期はまさしく川崎球場大会が開催された1995年あたりだった。WWEでミック・フォーリーとなってビックネームとなっていたキャクタスも気軽にファンサービスに応じ、伊賀の町を歩いていたが、今となっては懐かしさを感じる。

(参考資料 ベースボールマガジン社「日本プロレス事件史Vol.23 最強決定戦!」)

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