獣神サンダー・ライガー、vsヘビー級への挑戦!

 1989年6月22日 新日本プロレス長野県佐久市総合体育館のメインで藤波辰己がビックバン・ベイダーと対戦、ベイダーの奇襲を受けた藤波はラリアットで反撃するが、ヘッドロックで捕らえた際にベイダーのバックドロップを喰らい、腰を負傷して一気に動きが鈍くなってしまう。それでも痛い腰をかばって試合を続行させた藤波はベイダーをバックドロップで投げようとするが、腰の痛みで上手く投げられず、首固めで強引に丸め込んで勝利となるも、納得いかないベイダーが藤波に襲い掛かり場外へ放り投げる。ベイダーはエプロンに立つと背後から獣神ライガーがドロップキックで場外へ追いやり、スライディングキックを浴びせた。この模様はワールドプロレスリングでも放送され、ライガーもバックステージで「体重差があろうが、相手の重心さえ崩せば勝てる!」と豪語して、ヘビー級との対戦を積極的にアピールした。

 ライガーはドーム元年と言われた1989年4月23日に東京ドームでデビュー、当時テレビ朝日では土曜夕方に永井豪原作のアニメ「獣神ライガー」が放送されており、そのアニメとのタイアップでライガーのデビューが企画され、ライガーにはイギリス遠征中のYを抜擢、Yは獣神ライガーに変身してデビュー戦で小林邦昭を降し、5月25日の大阪城ホールでは馳浩を破りIWGPジュニアヘビー級王座を奪取していた。

 当時の新日本プロレスはヘビー級、ジュニアと階級に別れてマッチメークされており、ジュニアの選手がヘビー級に挑む機会はなかなか訪れなかったが、現場監督に就任したばかりの長州は藤波が椎間板ヘルニアで長期欠場したのもあって、ノーテレビの会場でメインの6人タッグ戦にライガーを抜擢してベイダーと対戦させ、ライガーは勝つことは出来なかったが、豪語したとおりベイダーをスピードで翻弄してキリキリ舞いさせた。ライガーは後年「そう、あの頃は強くなりたいの一心で練習をした。猪木さん、藤原さんのような強さを目標にしていた。ジュニアの頂点に立っても、それが自分の中に合って、ジュニアもヘビーも関係ない!1vs1でやったらどっちが強いんだ!という気持ちですよ」と答えていたとおり、新日本がヘビーとジュニアを分けようとしてもリングの中では関係ない、その考えがvsヘビー級へとライガーを駆り立てていったが、アニメが終わり、獣神ライガーが獣神サンダー・ライガーとなり、IWGPジュニアヘビー級王者に君臨したことで、vsヘビー級は一旦休止となったが、vsヘビー級は諦めたわけではなかった。

1994年2月24日、日本武道館大会で橋本真也vs獣神サンダー・ライガー戦が実現した。ライガーはこの年の東京ドーム大会ではウルティモ・ドラゴンを破り、IWGPジュニアヘビー級王座を奪還したばかりだが、橋本も前年の9月にグレート・ムタを破ってIWGPヘビー級王座を奪取しただけでなく、1週間前の両国国技館大会では天龍源一郎を破るなど、絶頂期に差しかかろうとしていたことから、まさに橋本、ライガー共に絶頂期となったところで、ヘビーとジュニアの王者同士の対戦が実現となったのだが、実は1993年10月15日の後楽園大会で行われた「SGタッグリーグ」公式戦で橋本は蝶野正洋、ライガーはワイル・ペガサスと組んで対戦しており、橋本が勝利を確信してペガサスをセーブして、背中を見せている間に、ライガーが蝶野を回転十字固めで破るという大金星を収めていた。

ライガーはこの戦いのために特別コスチュームを用意した。ライガーは以前に山本小鉄から「オマエ、鍛えているのに、もったいないな、なぜ身体を隠しているんだ」と指摘されたことがあった。この時はライガーも「いや、これがライガーのキャラなんで」と答えるしかなかったが、橋本戦に向けて「脱ぐのはここだな!」と考えていた。マスクは角を取って、視界を見えるように目の網の部分を取っ払い、口のところも呼吸しやすいように大きく開け、また全身タイツをやめて上半身裸、見事に盛り上がった大胸筋を見せる、まさしく実戦用バトルライガー、いや本来のライガーのあるべきスタイルだったのかもしれない。

 レフェリーは二人の教官である山本小鉄が務め、リングアナである田中秀和氏も「IWGP無差別級決戦60分1本勝負」とコールすることで決戦を多いに盛り上げた。

両者は握手でスタート、ライガーはロープへ走って牽制、打撃を構えると橋本も構え、橋本がヘッドロックを仕掛けて力任せで絞り上げる。ライガーはロープへ振るがマッチアップはタイミングが合わなかったのか避け、今度はフィンガーロックとなり、橋本が押し込むとライガーがブリッジで耐え、橋本はスタンディングで脚へローキック、袈裟斬りからボディースラムと豪快な攻めで先手を狙う。
 ライガーはレッグシザースから、橋本の脚を固めにいくが、リストロックの攻防で橋本が制して爆殺ミドルキックも連発も、ランニング掌打から仕掛けたライガーは掌打の乱打で正面突破すると、浴びせ蹴りの骨法殺法で攻勢をかけ、橋本もたまらずコーナー付近でダウンしてしまう。

 ライガーは橋本に再び浴び蹴りから胸板へローキックを放つと、だがロープへ振り返した橋本はドロップキックを発射、ライガーはたまらず場外へ吹き飛ばされ、リングに戻っても橋本がストンピングからラリアット、風車式ストマックブロックからエルボードロップと再び自身の流れに戻してアームロックに捕らえ、体格を生かして動きを封じにかかり、腕を固めたままローキック、ストンピングと左腕攻めから、爆殺ミドルキックを浴びせる。
 橋本のキックは誰もが受けることを嫌っていたが、「それを受け止めてこそプロレスラーじゃん!来るならこいや!」と敢えて受けて立っていた。だが実際受けてみて橋本のキックの威力の凄さを感じていたのかもしれない。
 橋本は左腕へショルダーアームブリーカーから爆殺ミドルキック、ローキックとライガーを蹴りまくる、逆水平の連打もロープへ振ったさいに、ライガーがスライディングで橋本の股をくぐって脚めがけて低空ドロップキックを連発から膝十字固めで反撃、そして橋本の巨体にロメロスペシャルを狙うが、橋本はロープに逃れ、ライガーはインディアンデスロックと足攻めで流れを変え、橋本チョップや頭突きで抵抗してもライガーは掌打で黙らせる。
 しかし技が解けたところで橋本は腕十字で切り返すと、ライガーはレッグロックで切り返し、橋本は再度腕十字で切り返し、技を解いたところでフロントスープレックス、シュミット流バックブリーカーも、ライガーは掌打からライガーボムを狙うが、橋本が堪えると、突進するライガーにトラースキックで迎撃する。
 橋本はブレーンバスタースラムで叩きつけると、ニールキックを狙うがライガーは避けて突進も、迎撃した橋本はニールキック、だが勝負を狙ったDDT狙いをライガーが膝十字で切り返し、ヒールホールドへと移行、足めがけてコーナーから低空ドロップキック、足四の字固めで充分に足を攻め、踏ん張りがきかなくなったところでライガーボムを決めるが、橋本はカウント2でキックアウトしても、ライガーは続けて雪崩式DDT(ライガー自身は雪崩式ブレーンバスターを狙ったつもりが、腹がまで腕が回りきれなかったという)を敢行して橋本を追い詰める。


ライガーは串刺しでの浴びせ蹴りからフィニッシュだった雪崩式フランケンシュタイナーも敢行、ジャーマンスープレックスホールドも決め、橋本の後頭部めがけてミサイルキックも発射も、突進したところで橋本が左での逆一本背負いで反撃すると、爆殺ミドルキックを浴びせ、ライガーは掌打で応戦も、橋本はここ一番で出る水面蹴りからハイキック、垂直落下式DDTで3カウントを奪い、ヘビー級王者としての意地を見せたが、試合後は互いにベルトを持ってノーサイドとなった。

 ライガーは橋本戦では空中戦を敢えて封印しレスリングで真正面から挑んだが、ライガーは後年「ええ。僕のスタンスは楽しむこと、マスクマンとしての夢とか、こうしたらどうなることよりも、自分が楽しむことをやってみたい。もちろん楽しいことをやる前には、それなりに厳しく鍛えて、辛さもあるし、努力しなければならないけど、その先の楽しさのために行動する。橋本戦もそうでした。僕はライガーのファンであり、プロレスファンなんですよ、今までと同じようにこれからも楽しんでプロレスをやっていきたいですね」と答えていた。最終的には橋本の力にねじ伏せられ敗れてしまったが、強いライガーを充分に見せつけ、敗れはしたがライガー自身も充分に楽しめ満足できた一戦だった。

 だがこの一戦でライガーのvsヘビー級への挑戦は続き、2000年にはG1 CLIMAXに出場して後藤達俊を破り、2001年、2006年と3回G1へと出場してヘビー級の厚い壁へと立ち向かっていった。

 そのライガーのプロレス人生も2020年1月の東京ドームで幕を閉じようとしている。
(参考資料 日本プロレス事件史Vol.13「マスクマンの栄光と悲劇」新日本プロレスブックス「獣神サンダー・ライガー自伝」、新日本プロレスワールド、ライガーvs橋本戦は新日本プロレスワールドで視聴できます)

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