MSGタッグリーグならではのドリームタッグ!アントニオ猪木&ハルク・ホーガン!


 1980年、全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」に対抗して、新日本プロレスもタッグリーグ戦に進出、WWFと提携していたこともあって冠名も「MSGタッグリーグ戦」とした。  

 第1回はアントニオ猪木がWWF王者だったボブ・バックランドと帝王コンビを結成し、スタン・ハンセン&ハルク・ホーガン組を破って優勝、しかし昭和56年度の第2回はバックランドのスケジュールの都合がつかず、猪木はヘビー級に転向したばかりの藤波辰己との師弟コンビでエントリーする。最終戦では1位がアンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グレイ組となり、2位で同点の師弟コンビはハンセン&ディック・マードック組と優勝戦進出決定戦を行った。試合はマードックが藤波にブレーンバスターを狙ったところで猪木がドロップキックを放ち、藤波が丸め込んで3カウントとなって優勝決定戦に進出。しかし優勝決定戦では猪木がグレイに場外でひきつけられている間に、藤波がアンドレの18文キックを喰らうとジャイアントプレスで圧殺され3カウントとなり、猪木は優勝を逃した。  

<第3回MSGタッグリーグ戦の出場チーム>
 アントニオ猪木&ハルク・ホーガン組
 坂口征二&藤波辰巳組 
キラー・カーン&タイガー・戸口組 
アンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グレイ組 
ディック・マードック&マスクド・スーパースター組
アドリアン・アドニス&ディノ・ブラボー組 
エル・カネック&ペロ・アグアヨ組
ウェイン・ブリッジ&ヤング・サムソン組  

前年優勝を逃した猪木はスタン・ハンセン移籍後に外国人エースとなったホーガンと組んでエントリーしたが、この年の猪木は体調を崩し2度に渡って欠場してことから、新日本側は苦肉の策としてホーガンを日本側の助っ人に回した。ホーガンとのタッグも新日本だけでなく猪木にとっても苦肉の策であり、また当初は藤波に叛旗を翻していた長州力も、はぐれ国際軍団のアニマル浜口と組んでエントリーが発表されたが、新日本の敷いたレールに乗るのを嫌った長州は、国際軍団との共闘を拒否し、そのままアメリカへ遠征に出てエントリーは幻に終わった。  

開幕戦では猪木組と前年度優勝チームのアンドレ組と対戦し、グレイを狙い撃ちにした猪木組は猪木が延髄斬りで3カウントを奪い白星発進、勢いに乗った猪木組は白星を重ね、ダントツで1位通過と思われていたが、全くのノーマークだったカーン&戸口組が2位でマークし、猪木組との公式戦でもリングアウトながらも勝利を収め、坂口&藤波を1点差で差し置いて優勝決定戦に進出した。

 
優勝決定戦は戸口がホーガンの額に噛みついてナックルを浴びせるなどして流血に追い込んだが、交代を受けた猪木もナックルアローでカーンを流血に追い込んで仕返しする。しかしカーン組は体調不安の残る猪木を狙い撃ちにして試合の主導権握っていく、猪木組は猪木とホーガンによるショルダーアームブリーカーの競演から試合の流れを変え、戸口が猪木をコブラツイストで捕らえたところでホーガンがカットに入ると、カーンをアックスボンバーで排除、最後は戸口にもアックスボンバーを炸裂させてから、猪木が延髄斬りからの卍固めで捕らえてギブアップを奪い、猪木&ホーガン組が優勝を果たした。

 猪木&ホーガン組は前年度覇者として第4回もエントリーするも、この年の6月にはホーガンのアックスボンバーで猪木がKOされたことで、二人の立場は微妙に変わりはじめ、公式戦でもチームワークの悪さを露呈したが、それでも1位で優勝戦へ進出。公式戦で敗れたマードック&アドニス組を破って2年連続を果たしたものの、優勝を契機に猪木&ホーガン組は解消。アメリカに戻ったホーガンは翌年にアイアン・シークを破りWWF王者となって、全米を代表するスターレスラーとなった。 

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