FMWではインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座やWEWハードコアタッグ王座も奪取し、数々のインディーも渡り歩き、一時期は全日本プロレスやZERO1にも所属した保坂秀樹さんがガンで死去した、享年49歳の若さだった。
保坂さんはサブミッション・アーツ・レスリングに入門、1991年はW☆INGの旗揚げにも参加したが、W☆INGが分裂すると、保坂さんは分裂した一派と共にWMAに所属したが、WMAは旗揚げもしないまま崩壊。その後はPWCへ移籍も、経営難だったこともあってすぐ離脱し、リングスにも参戦、FMWへ移りミスター・ポーゴと共に大仁田厚と抗争を繰り広げたが、大仁田に敗れるのは保坂の方が圧倒的に多かった。それでもその努力も認めれてインディベンデントワールドジュニア王座も奪取、FMWがエンタメ路線に転換するとマンモス佐々木とのタッグでハードコアタッグ王座も奪取することで安住の地を得たかに見えた。
しかし、FMWが崩壊すると全日本プロレスに移籍、しばらくしてZERO1にも移籍したが右膝の骨折で長期欠場したため、いつの間にか解雇されてしまうも、天龍源一郎の付き人になったことでフリーとして全日本プロレスに復帰、その後はWMFや再びZERO1にも参戦、ローカルインディーにも参戦し数々の団体を渡り歩いてきた。
ミスター・ポーゴ死去後はミスター・ポーゴ二世として大仁田と抗争を繰り広げるも、2019年に、医師から大腸がんステージ4で、肝臓にもがんが転移していることを告知され、手術を受けて闘病中も、TwitterやFACEBOOKを設けて近況は報告していた。
自分が保坂さんを最後に見たのは2016年4月23日の超花火天理大会で、保坂さんは子供向けのプロレス教室で雨が降る直前ながらも子供たちを指導していた。
ご冥福をお祈りします。

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