ジム・クロケット・ジュニア


元NWA会長でアトランタのプロモーターだったジム・クロケット・ジュニアさんが死去した。享年76歳。クロケットさんは父親でジム・クロケット・シニアはプロレスや野球、演劇まで手掛けるアトランタの大プロモーターでNWAの会員でもあった。1973年にシニアが死去するとプロモーションはシニアの娘婿であるジョン・リングレー氏が後を継いだが、クロケット・ジュニアがリングレーの不倫スキャンダルを暴き立てたこと失脚に追いやり、クロケット・ジュニアが後を継いだ。

クロケット・ジュニアはリック・フレアー、リッキー・スティンボードなどトップスターに据えたことで、NWA内では背広派の有力なプロモーターとなり、1980年にはNWA会長に就任し、フレアーをNWA世界ヘビー級王者へと押し上げた。また選手権の立会人としてフレアーと共に全日本プロレスに来日した

しかしクロケットジュニアがNWA会長に就任した頃ののNWAは不況で閉鎖するプロモーションが続出していたことで斜陽期に入っており、1984年にNWAを脱退したビンス・マクマホンのWWF(WWE)が全米侵攻を開始すると、WWFに太刀打ちできるプロモーターはクロケット・ジュニアしかおらず、AWAとの共同事業であるプロレスリングUSAを立ち上げ、またNWA会長に再任されるとWWFが各プロモーションを買収したのに対抗して、クロケットもジョージアやフロリダ、セントルイスなどのNWA有力エリア買収、事業を拡大することで対抗したが、プロレスリングUSAはAWAのボスであるバーン・ガニアと上手くいかずに撤退、事業拡大もビル・ワットのUWFを買収したのが運の尽きで、UWFが莫大な負債を抱えていたことを知らずに買収したことで、負債を抱え込むことになり、事業拡大に伴う経費の増加や自身の浪費、またケーブルテレビ市場でもPPVではWWFに惨敗を喫したことで上手くいかず、資金繰りが苦しくなったことで、クロケットジュニアはテッド・ターナーにプロモーションを売却、プロモートから撤退してWCWが誕生したが、クロケットジュニアはNWA会長としてWCWに携わったものの、1991年に完全に身を引いて表舞台から消えてしまった。

クロケットジュニアさんは自分がプロレスファンを始めてから、初めて見たNWA会長で背広を着たエリートという印象を受けた人だった。ご冥福をお祈りいたします。

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