負けたら即引退?橋本真也vs小川直也!③ 高視聴率を記録も、橋本と小川の運命は変えられた…


小川直也との4度目の対決で敗れた橋本真也は藤波辰爾に「本当に今は情けない気持ちで、本当に社長、すみません」と頭を下げて会見を終えると、記者がこのまま橋本が引退するのではと藤波に質問する。藤波は「引退?絶対させません!」と否定したが、この頃から橋本に引退の二文字がよぎるようになった。

橋本は再び長期欠場してしまうと、藤波は絶対に橋本を引退させまいとして、小川と再戦させることを決め、橋本もこのまま引退したくないことから、コンディションを整えるために減量にも挑戦した

2000年1月4日には同じUFOの村上一成と抗争となっていた飯塚高史と組んで小川&村上のUFO勢と対戦。試合は飯塚が魔性のスリーパーで村上からギブアップを奪い勝利となると、2月20日の両国国技館でリング上で橋本と小川が対峙して4月7日の東京ドームで橋本vs小川が行われることが正式決定するが、これに飛びついたのは「ワールドプロレスリング」を放送していたテレビ朝日だった。

 当時のワールドプロレスリングは土曜日深夜に放送されていたが、ドーム興行などは時折り特番でゴールデンタイムで放送されることがあった。新日本も武藤敬司だけでなく蝶野正洋のT-2000の人気だけでなく、橋本vs小川も話題性が取れると考えて、4月7日かつてレギュラー放送していた金曜8時の枠で特番を組んだ。そこで橋本とは親交のあり以前はワールドプロレスリングも担当していたプロデューサーである加地倫三氏が特番のプロデューサーを任されることになり、テレビ朝日は新日本プロレスの意向として橋本に引退をかけるように打診した。理由は視聴者が感情移入するのは連勝の小川ではなく、追い詰めれた橋本と考えており テレ朝も新日本も久しぶりに金曜8時に放送されることもあって、ただ再戦させるだけではつまらないと考え、また裏番組も改編期だったこともあってフジテレビが「オールスターものまね王座決定戦」、日本テレビが「ぐるぐるナインティナイン春のスペシャル」と強力な特番を組んでいた。テレビ朝日は橋本に引退をかけさせれば大いに盛り上がるだけでなく視聴率もとれると考えていた。テレビ朝日側の要請を受けた橋本は「テレビ朝日が会社を挙げて生中継をやると言っているんだから、オレも引退をかける」と覚悟を決める。

猪木は3月11日横浜アリーナで行われる「第2回力道山メモリアル」に橋本と小川にタッグを組むことを要請しており。当日は天龍源一郎とLA道場から派遣されたビックバン・ジョーンズ組と対戦することになったが、橋本が会場入りする前に村上に襲われて流血すると、試合も橋本がそのダメージを引きずったまま試合に臨んでしまって敗れてしまい、これに激怒した「小川!4月7日、引退を懸けて戦うぞ!」と叫び、こうして特番のタイトルは「橋本真也34歳、小川直也に負けたら即引退!スペシャル」となった。

 19時54分に放送がスタート、ヘリコプターから東京ドームが空撮され、田畑祐一アナウンサーがオープニングを実況、佐々木健介vs獣神サンダーライガー、蝶野正洋vsグレート・ムタ、飯塚vs村上などが組まれたが、飯塚vs村上は飯塚の勝利で盛り上げたものの、橋本vs小川を軸に置いたため、健介vsライガーは7分で健介が勝利、蝶野vsムタは16分でムタの反則負けと淡々と終わった。

 そして21時に橋本vs小川が始まる頃には立会人としてかつて金曜8時の主役だった猪木、坂口、藤波がリングに登場してからリングサイドに座り、著名人もリングサイドで観戦する姿が映し出された。

試合は両者ともオープンフィンガーグローブを着用して行われ、序盤から小川がマウントパンチで先手を奪いに来るが、橋本がエプロンに立つと挑発する小川に水面蹴りで倒す。

橋本はストンピングからローキック、上からのパンチ、ミドルキックを浴びせ、オープンフィンガーグローブを外した橋本は生の拳でナックルを放っていく、これには村上がリングに入って橋本を突き飛ばし、飯塚や永田裕志も入って一触即発となる。
村上は小川をいったん場外へ出すと、じっくり呼吸を整えて花道からリングに戻り、橋本に背負い投げを狙うが、橋本は堪えてコーナーに押し込んでキックを浴びせ、花道へ逃げた小川に花道上でDDTを敢行する。
リングに戻ると橋本がタックルを狙うと、切った小川がマウントを奪ってパンチを浴びせ、切り返した橋本は足を取って逆片エビを狙うが、小川はロープに逃れる。

橋本は小川の足にローキック、組み合って膠着してから、小川のキックをキャッチした橋本は小川の右足の内側にローキックからアキレス腱固めで捕らえる。小川は強引にSTOを狙ったが橋本はDDTで切り返すと、右腕からマットに突っ込んでしまった小川は右肩を脱臼させてしまう。
橋本は動けなくなった小川にエルボードロップから右腕を腕十字で捕えるが、運悪くこの腕十字で外れていた小川の右肩が戻ってしまい、小川はすかさずSTOを炸裂させる。

右腕の痛みが残る小川に橋本はローキックも、小川はSTOで応戦、再びSTOを決めてからスリーパーで絞めあげる。橋本はロープに逃れるが、小川はSTOを決め、タイガー服部レフェリーはダウンカウントを数えると、橋本は立ち上がれずKO負け、リベンジを期待されながらも橋本は敗れ、観戦していたファンもまさかの結末に騒然とするしかなかった。
 試合後に猪木が橋本に「橋本、ありがとう」小川に「小川、ありがとう」と声をかけて、「1・2・3ダー!」と叫んだが、橋本が敗れたショックからか、猪木のダーに応じるファンは少なかった。

 橋本は観客にも深々と頭を下げ、バックステージインタビューでも「オレも男だ」というだけで、引退という言葉は出ずも、このまま橋本が引退していくのかと思われていた。

 視聴率も平均視聴率15.7%、瞬間最高視聴率も24%を記録するなど、高視聴率を取ったが、加地氏もさすがに橋本が負けるとは想定しておらず、「とんでもないことになってしまった」と思っていた。

 橋本vs小川が終わった3日後に橋本は猪木事務所を訪れ、猪木と対面、猪木と支援者でもあり、小川が所属している芸能事務所「ケイダッシュ」代表取締役会長である川村龍夫氏も「このまま引退させるのは惜しい」としてUFOに勧誘するが、橋本は丁重に断り、橋本が表舞台から消えてこのまま引退するかと思われていた。
 そこで加地氏が担当している「スポコン!」という番組で橋本の復活を願うプロレスファンの兄弟が千羽鶴を折っている姿を取り上げ、放送されると、全国から100万羽以上の折り鶴が送られ、最初は番組のヤラセと疑っていた橋本も、折り鶴の後押しを受けて復帰を決意、10月9日の東京ドームでの藤波戦で復帰を果たした。

 ところが橋本が「僕に出来ることをすることがプロレス界のためだと思ってます。あえて新日本プロレスのレスラーという誇りを持って独立したいと思います」と独立宣言して、「新日本プロレスリングZERO」の設立を発表する。実は本隊に戻っても居場所のない橋本に藤波が新ブランド設立を薦めており、社内独立のはずだったが、新日本が馬場元子体制の全日本プロレスと交流していたにもかかわらず、橋本が独自で全日本と袂を分かった三沢光晴のNOAHと接触していることがわかると、藤波はとりあえず表向きは橋本を解雇して体裁を取り繕い、橋本を利用してNOAHとの交流を図ろうとしていた。ところが団体名をZERO-ONEと改めた橋本は旗揚げ戦に成功すると、新日本と手を切って本格的に独立してしまい、小川も橋本との戦いを契機に次第に猪木と距離を取り始めて、橋本と親密になり、ZERO-ONEのリングに上がり、タッグチームOH砲を結成し、小川自身もPRIDEに参戦してMMAでも活躍。小川が所属したUFOは猪木と蜜月関係にあった芸能事務所「ケイダッシュ」代表取締役会長の川村龍夫氏がイベントプロデューサーを務める格闘技イベント「UFO LEGEND」を東京ドームで開催して、日本テレビでゴールデンタイムで放送されたものの、平日の開催だったため興行的には不振、視聴率も思ったよりの数字が取れなかったため、失敗に終わり、UFOの名のつく大会は「LEGEND」で最後となって、事実上消滅した。

 二人はDSEが主催する「ハッスル」にも参加して、小川はエースとなったが、橋本が左肩を脱臼して欠場すると放漫経営が祟ってZERO-ONEが崩壊し、橋本はリング復帰を目指すも、2005年7月に急死する。

 橋本の長期欠場、急死は小川のレスラー人生も大きく変え、2005年3月、ハッスル両国大会で行われた川田利明との試合では、ルールとして観客ジャッジメント形式取られ、プロレスでの勝敗とは別に観客のジャッジが勝敗を決めることになったが、試合では小川が勝利となるも、観客のジャッジで川田が勝ったことがきっかけに、小川は迷走し始め、HGの台頭や、TAJAIRIと天龍源一郎などが参戦するようになると、小川はエースながらも次第に脇に追いやられるようになる。

 ハッスルからDSEが撤退すると、小川は高田モンスター軍入りしてヒールに転向するが、中途半端なヒールはファンから受けず、ハッスルから離脱して旗揚げしたばかりのIGFに移ったが、引退した猪木にスリーパーで絞めあげられるなど迷走ぶりは変わらず、IGF側とトラブルとなるといったん離脱して、筑波大学に進学して学業に専念したが、この頃から小川は周りを自身の側近で固めるようになり、表向きは猪木を師匠としながらも、猪木の言うことを聞かなくなっていったという。

 2012年にIGFに復帰して大晦日に藤田和之と対戦し、小川が藤田に対する不信感もあってグタグタな試合となってしまったが、今思えば小川自身が橋本を潰したように、今度は自分が橋本のように潰されるのではと勘繰ったのか…、そのあとも小川はIGFに参戦し続けたが迷走ぶりは治ることはなかった。

 小川は再びIGFから離脱して2018年6月に引退を表明すると、息子の育成のために柔道界へ復帰した。それ以降はプロレスには携わらないと思われていたが、昨年7月に湘南で行われた「負けたら即引退!スペシャル」で実況を担当した辻よしなりアナのイベントに小川が登場すると、橋本vs小川の一連の抗争を振り返ったが、小川にとって橋本は最も信頼でき、唯一心を開くことが出来た存在だったのかもしれない。

 もし「小川直也に負けたら即引退!スペシャル」で橋本が勝っていたらZERO-ONEを旗揚げする決心をしていただろうか?「小川直也に負けたら即引退!スペシャル」での小川vs橋本はまさに橋本だけでなく小川の運命を変えた一戦だった。

(参考資料 宝島社「証言1・4 橋本vs小川」金沢克彦「子殺し」ベースボールマガジン社Vol.16「引退の余波」)

 

コメントは受け付けていません。

WordPress.com でサイトを作成

ページ先頭へ ↑

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。