プラム麻里子さんの死も決して忘れてはいけない事件だった

三沢光晴の不慮の事故も決して忘れてはいけないことだが、もっと忘れてはいけないのはJWP女子プロレスのプラム麻里子さんの不慮の死だった。

1997年の女子プロレスは対抗戦ブームが下火に差し掛かっていたが、自分は女子プロレスを観戦することも多く、その中でよく見ていたのはJWPだった。なぜJWPだったのかというと、全日本プロレス的な「明るく、楽しく、激しく」みたいでアットホームな感じがして、居心地のよさそうな感じのする団体だったからだ。

プラムさんの死去する12日前の1997年8月4日のJWP大阪府立体育館第二競技場大会。自分も観戦していたがプラムさんの相手は若手の大隅沙理、試合は関節技の得意なプラムさんは1分でSTFで秒殺勝利だったが、このときのプラムさんは長期欠場から復帰したばかりで、WOWOWで放送されていたJWP女子プロレス中継を見ても、ブランクを取り戻そうとして必死でもがいていたように感じたが、自分が観戦した11日後の広島であんな事態が起きているとは思っても見なかった。

プラムさんが亡くなった一報を聞いたのは、当時はまだインターネットが普及していなかったことから、おそらく東京スポーツだったと思う。JWP中継でもその模様が放送され、デビル雅美さんがプラムさんが救急車で搬送された後で、動揺する選手たちに「これから戻るぞ」と声をかけていたのを憶えている。

 17日の後楽園の昼夜興行でプラムさんの死が報告され、その後ワイドショーで女子プロレスのOGたちが「危険な技が多くて」と答えていたが、2009年に奇しくも同じ広島で三沢光晴の不慮の事故があった。今思えばプラムさんからプロレスのあり方について警鐘が促されていたのかもしれない。

 プラムさんの死がきっかけになったのか、女子プロレスに激震が起こり、全日本女子プロレスが経営危機が表面化しアジャ・コングなど次々と主力選手が離脱、JWPも福岡晶やキューティー鈴木など人気選手が引退したことで、観客動員も低下、自分も女子プロレス観戦から足が遠のいてしまった。

 プラムさんの死は女子プロレスだけでなく、プロレス界全体にわたって影響を与えた事件でもあり、決して忘れてはいけない出来事でもある。

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