ターザン後藤


全日本プロレス、FWM、IWA JAPANに参戦し、インディーマットで活躍してきたターザン後藤さん(本名=後藤政二)が29日に亡くなられていたことが、ミスター雁之助さんのTwitterで公表された、享年58歳

後藤さんは大相撲廃業後に全日本プロレスに入門、佐藤昭雄の指導を受けて1981年にデビュー、先輩だった越中詩郎や後輩だった三沢光晴、国際プロレスから移籍してきた冬木弘道や菅原伸義(アポロ菅原)らと共に全日本プロレスの前座戦線を沸かせ、凌ぎを削ってきた。1985年5月31日の松戸大会ではにはテレビマッチのメインに初登場し石川敬士と組んでザ・ロードウォリアーズと対戦した。

その年にアメリカ武者修行に出るも、当時WWEの全米侵攻の影響でNWAのテリトリー制は崩壊していたため、後藤もアメリカでは活躍できず、全日本プロレスからの帰国命令も出なかったことで、そのままアメリカに定住し、当時の夫人だったデスピナ・マンタガスと結婚、プロレスラーの傍ら調理師として生活していた。

1989年に大仁田厚の誘いでFMWに参加するために帰国、その後は大仁田と二人三脚でFMWで活躍、最初はタッグを組んでいたが、次第に敵対して1991年8月4日の汐留大会で日本初の電流爆破デスマッチで大仁田と対戦、試合には敗れたものの、電流爆破マッチのインパクトを呼んだのか、この年のプロレス大賞ベストバウトを受賞、電流爆破マッチはこの二人から始まったといっても過言ではなかった。

その後、大仁田と共にFMWは躍進するも、次第に絶対エースである大仁田とブッカーで現場を取り仕切る後藤の間に隙間風が生じるようになり、1995年に2度目の大仁田の引退試合の相手に決定していたにもかかわらず、後藤はFMWを離脱、その後ミスター雁之助、フライングキッド市原と組んで真FMWを結成してIWA JAPANに参戦した。

後藤は佐藤昭雄の誘いを受けてIWA JAPANを離脱してFFFに参戦するが、FFFが旗揚げしないまま崩壊し、その後はWARに参戦した後はインディー団体を転々、2001年には馬場元子体制の全日本プロレスにも参戦したが、主にインディー団体を主戦場にしていた。

2017年7月16日に大阪朝日放送で放送されていた『新婚さんいらっしゃい!』に登場、現在に夫人とラーメン屋で修行しているとされていたが、近況も聞くこともなかったことから、おそらくこの時点で引退状態だったと見ていいだろう。

大仁田と袂を分かつ理由は墓の中まで持っていくとしたが、本当に墓の中まで持っていってしまった。わかるのは大仁田とはFMWというインディー団体を共に支えた仲でもあり、愛憎の関係だったことなのかもしれない。

ご冥福をお祈りいたします。

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