2003年7月16日、NOAH大阪府立体育会館大会で小橋建太、本田多聞が保持するGHCタッグ王座に高山善廣、真壁伸也が挑戦した。
真壁は中学時代から柔道を経験して二段となり、大学時代から学生プロレスで活躍、1996年に新日本プロレスに入団したが、同期には藤田和之や鈴木健三(KENSO)がおり、藤田は全日本学生レスリング選手権大会で4連覇を達成したレスリングエリート、健三はラグビー日本代表チームと輝かしい実績を持っていたのに対し、真壁は学生プロレスでしかバックボーンのない真壁は身体能力・技術に著しく劣る上に、地味な風貌と一言多い性格が災いしてか、理不尽なシゴキを受けたが「要するに、辞めさせるために殴ってるわけよ。理不尽な暴力でふるいにかけてるんだよな。殴られて殴られてまた殴られて。その繰り返しでも、お前生き残れんのかよ? だったら認めてやるぜっていう世界だったからさ」、新日本にとっては学生プロレスしか実績のない真壁を辞めさせたかったのかもしれない。真剣にトレーニングに打ち込んでも、先輩らに無視される状況が続くが、そんな真壁に声を掛けたのは山本小鉄だった。真壁は小鉄に理不尽な仕打ちを受ける現状を訴えると「バカ野郎! 誰よりも強くなれ。誰よりも強くなったら、お前に対して誰も文句を言えなくなる」と励ました。小鉄も身長が低いにも関わらず日本プロレスに入門して先輩らにシゴキを受けたことがあったことから、真壁を見て当時の自分を思い浮かべていたのかもしれない。

しかし長州は不遇ながらも真剣にトレーニングを励む真壁に目をかけて、若手ながらもパートナーに抜擢してIWGPタッグ王座に挑戦するなどチャンスに恵まれるようになり、2000年のヤングライオン杯に準優勝を果たすと2001年にプエルトリコへ武者修行に出されたが、若手の出世コースであるアメリカやメキシコ、ヨーロッパではなく、治安の悪いプエルトリコへの武者修行は島流しで、この時でも真壁は新日本にとっていらない存在だった。2002年に凱旋帰国を果たすが、運悪く真壁に目をかけていた現場監督の長州は新日本を去っており、10月14日の東京ドーム大会で行われた凱旋マッチも理不尽なシゴキを受けていた一人である佐々木健介とのシングル戦を訴えていたが、健介も新日本を退団したためシングル戦は組まれず、プエルトリコ時代に組んでいた藤田ミノルと組んで棚橋弘至&健三と対戦するが、藤田が僅か31秒で健三に敗れてしまい、納得のいかない真壁は再試合を訴え、再試合では真壁が健三をドラゴンスープレックスホールドで3カウントを奪うが、後輩の棚橋から「先輩の意地を見せろ!」と言われるなど大きなインパクトを与えるまでには至らなかった。
真壁はこれを機会にヒールとなるが、凱旋時にドタバタもあって売り出されることもなく、棚橋や中邑真輔の台頭、新日本でも格闘技路線が敷かれていたこともあって真壁は注目されることはなく、契約更改でも団体側の低評価に契約を保留、現場責任者だった蝶野正洋とも衝突するなど、真壁は燻る日々が続いていたが、そんな真壁が目をつけたのは高山善廣でタッグを組むようになると、高山がNOAHにも参戦していたこともあって、真壁自身もNOAHに参戦をアピールするようになった。
最初の狙いは秋山&齋藤彰俊組の保持するGHCタッグ王座だったが、秋山も真壁に興味を抱いたのか「真壁は飼い主(高山)に育てられた犬」と挑発したものの、6月6日の武道館大会で王座が小橋&本田へと移動してしまう。当時の小橋は3月1日に三沢光晴からGHCヘビー級王座を奪取するなどGHCヘビー、タッグも二冠を保持しており、絶対王者として一時代を築こうとしていた。
しかし、真壁は「秋山が負けてもオレらには挑戦権はある、それと秋山、オレを飼い犬扱いしやがって許さねえ。NOAHに殴りこんでやる!」と標的を小橋&本田に軌道修正し、6月29日のNOAH後楽園大会のセミ終了後に真壁が乱入すると「お~~い、ノアオタクの皆さんこんばんわ~!おぃ小橋!いい加減俺のタイトルマッチ組め!(大ブーイング) おぃおぃわかったノアオタクわかった、黙れバカ。」と挑発して館内は大ブーイングとなり、秋山が現れると「おい!秋山、テメーもだ!!来い、オラ! 腰抜けー!腰抜けー!」と挑発したため、怒った橋誠が真壁に襲い掛かるが、真壁は返り討ちにする。


これでスポット参戦ながらもNOAH参戦を強引に勝ち取った真壁は7・1盛岡では高山&杉浦貴と組んで秋山&彰俊&橋と対戦して、入場時に秋山を襲撃して大暴れするだけでなく橋をラリアットで降して勝利を収め、翌日2日の秋田大会では小橋&本田&KENTAとも対戦して小橋にイス攻撃するなど暴れまくってKENTAを降して勝利を収めたことで、自力でGHCタッグ王座への挑戦権を勝ち取り、7月16日大阪での選手権が決定した。
大阪大会には新日本から永田、獣神サンダー・ライガーも出場、永田は秋山とシングル、ライガーはこのシリーズは新設されたGHCジュニアタッグ王座の初代王者組を決めるトーナメントが開催されていたこともあって、ライガーは大阪プロレスの所属だった村浜武洋と組んでエントリーしており、決勝まで進出して丸藤正道&KENTAと王座決定戦で対戦することになっていた。また秋山もこの年に開催されるG1 CLIMAX出場を狙っており、永田も小橋の保持するGHCヘビー級王座への挑戦を狙っていた。
大会のメインはGHCジュニアタッグ王座決定戦で、GHCタッグ選手権はセミに組まれた。開始前に真壁が小橋を挑発するが、本田がいきり立った小橋を下げ、向かって真壁を本田が受け止めて開始となり、真壁の張り手を受けきった本田は組みついて投げ、なお向かってくる真壁をフロントネックロックで捕らえるが、高山がカットすると、本田がタックルを浴びせるが、体を入れ替えた高山はマウントナックルを浴びせ、小橋がカットも高山と睨み合いになる。
本田が小橋を下げようとすると、背後から真壁がスピアーを浴びせて小橋と本田を同士討ちにさせ、本田のエルボーを受けきって串刺しエルボーからマウントナックルを浴びせ、代わった高山もビックブーツ、ミドルキック、串刺しニー、サッカーボールキックで続く。
高山は本田をスリーパーで捕らえると、真壁がストンピングの連打で援護、エルボーの連打からニーリフト、場外へ本田を出してから真壁が鉄柵ホイップ、高山がビックブーツと小橋に見せつけるかのように本田を痛めつける。
高山はコブラツイストで捕らえ、肩固めで切り返しを狙う本田を腕十字、代わった真壁はボディースラム、ニーリフト、ボディーブロー、エルボーの連打、逆片エビ固めで捕らえ、高山もストンピングで援護する。
高山組は連係狙いも本田はラリアット、スピアーで反撃してから、やっと小橋が登場して真壁にマシンガンチョップを乱打、さすがのまかべっも前のめりに倒れ、真壁の串刺しを迎撃した小橋はランニングネックブリーカーから滞空式ブレーンバスターで叩きつける。
小橋は真壁に逆水平を連発も、控えの高山にも逆水平を浴びせたところで真壁はスピアーで反撃、場外戦で高山が鉄柵に叩きつけると、真壁が鉄柱にテーブルをセットして小橋の顔面を何度も叩きつけ、高山もビックブーツで援護してから真壁がラリアット浴びせ、館内は大ブーイングとなる。
真壁は怯んだ小橋にエルボーを連発、控えの高山がロープ越しでスリーパーで捕らえ、交代した高山は串刺しビックブーツから、真壁が入って代わる代わるボディースラムで投げてから、高山がバックドロップで投げ、二人掛りでストンピング、ダブルショルダータックルを浴びせる。
高山が小橋を花道へ出すと、真壁がイスを持ち出して制止に入る西永レフェリーを突き飛ばして小橋に一撃を浴びせるが、その間に本田が高山の背後を奪ってロープ越しで出っとエンドを敢行する。
真壁は構わず小橋に何度もイスで殴打するが、受けきった小橋は袈裟斬りを乱打からローリング袈裟斬りを浴びせ、場外マットを剥がしてDDTで脳天から突き刺してから鉄柱に何度も叩きつける。
高山が助けに入るが、小橋は逆水平、本田が頭突きを浴びせると、本田が回転地獄五輪で高山を捕らえてグロッキーとなり、小橋は孤立した真壁をマウントナックルで真壁を流血に追い込み、リングに戻ってナックル、逆水平を浴びせる。
代わった本田も頭突きの連打で続いて回転地獄五輪で捕獲、代わった小橋も逆水平も真壁はエルボーで打ち返し、小橋は逆水平で真壁をなぎ倒してからキチンシンクの連打、河津掛け、代わった本田もスリーパーで捕らえ肩固めを狙うも、逃れた真壁はバックドロップで投げて、自軍に戻っていた高山に代わる。
代わった高山は本田にビックブーツ、控えの小橋にもビックブーツを浴びせ、場外で小橋に鉄柵ホイップからビックブーツで場外へ蹴り出すと、リングに戻って本田に串刺しジャンピングニーからダブルアームスープレックスで投げる。
高山はPKからマウントナックルを浴びせるが、本田は下からの回転地獄五輪で捕獲も真壁がカットに入る。小橋は高山に逆水平からフライングショルダーも、ローリング袈裟きりをガードした高山はキチンシンクを浴びせ、真壁に代わって高山と共にエルボードロップを連発、高山が本田を排除し、トレイン攻撃から真壁と共に孤立した小橋にランニングネックブリーカー&バックドロップの合体技を決める。
勝負に出た真壁はラリアット、カットに入る本田にはスピアーを浴びせ、真壁は小橋にパワースラム、ジャーマンスープレックスホールドを決めたが、本田がカットに入って真壁にデットエンドを決め、救出に入った高山には小橋が豪腕ラリアット、真壁には後頭部にローリング袈裟斬りからハーフネルソンスープレックスで投げる。
そこで本田が入り真壁に合体スタンプ式フェースバスターを決めると、小橋がハーフネルソンスープレックス、カットに入る高山が本田を排除すると、往復ビンタ、ラリアットで抵抗する真壁に豪腕ラリアットを炸裂させ、最後も横殴り式で豪腕ラリアットを炸裂させて3カウントを奪い王座を防衛した。



試合後に高山が「真壁があれだけのことをやって、思い切り暴れたから、小橋がいつものただのスポーツマンから殺人鬼になったんだろ」とコメントしていたが、真壁は新日本での活躍できない鬱憤を小橋にぶつけたが、それで小橋の隠れていたキラーを呼び覚ましてしまった。テレビ解説を務めていた三沢光晴からも高評価を受けたことから、真壁にとってNOAH殴り込みは有意義のあるものとなった。
だが新日本に戻ると格闘技路線を推進していた新日本での真壁の評価は変わらず、リングネームを真壁刀義に改めても不遇が続き、2005年のG1 CLIMAXにエントリーしたが、中邑との公式戦ではアキレス腱を断裂の重傷を負って長期欠場を余儀なくされ、真壁も一時は引退を考えるようになった。また新日本とNOAHの関係もオーナーだった猪木が意向で関係を途絶させてしまう。
新日本プロレスがユークス体制になると、2007年になってからやっとトップヒールとして覚醒し、タイトル戦線に加わるようになり、本間朋晃と共にベビーターンを果たすとG1 CLIMAXで中邑を降して初優勝を飾る。
2010年にNOAHとの関係も改善され再び交流が開始になると、本間と共に再びNOAHへ殴りこんでグローバルタッグリーグにエントリーし、3月には杉浦の保持するGHCヘビー級王座にも挑戦、5月には中邑を降して念願だったIWGPヘビー級王座も奪取、逆に王者となって潮崎豪の挑戦も受けて退けた。

真壁にとってNOAH参戦は暴走キングコングに覚醒する夜明け前であり、小橋との対戦も真壁にとってレスラー人生にとって大きな糧となった。
(参考資料=ベースボールマガジン社 日本プロレス激闘60年史)
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