レスリング一家、エリック一家の栄枯盛衰


1984年2月9日、都内のホテルで一人のレスラーが亡くっているところを発見された。そのレスラーの名前はデビット・フォン・エリック、”鉄の爪”を異名に取るフリッツ・フォン・エリックの次男坊で、次期NWA世界ヘビー級王者ともいわれた逸材だった。

父であるフリッツは1954年にプロレスデビューを果たし、当時はまだ第2次世界大戦の影響も残っていることもあって、敵対国だったドイツのナチスをモチーフにしたキャラでヒールとして売り出し、たちまちトップスター選手の仲間入りを果たした。

引退して腰を据えたかったフリッツは1966年にはテキサス州ダラスのプロモート権を購入して、NWA傘下の団体であるビックタイムレスリング(後のWCCW)を設立する。テキサスに定着する前のフリッツはNWAの各エリアを回る生活を過ごしており、キャンピングカーで家族と一緒に住んでいたが、ある日長男だったジャックジュニアが車とキャンピングカーを繋ぐ配線部分に触れて感電して幼少で亡くなっていることから、エリックがテキサスに定着を望んだ理由は、長男の事故死が大きく影響したのかもしれない。

 ダラスに定着してからはフリッツは絶対的なベビーフェースに転向、たちまちテキサスの英雄となり、子供達であるケビン、デビット、ケリー、マイク、クリスもたちまち有名人となって、学校で賞を受賞すればテレビのニュースに報道されるほど若くしてから世間の注目を集め、エリック一家はテキサスでは信仰、家族、国の象徴として崇められるようになった

1976年にケビンを皮切りに、1977年にデビット、1979年にはケリーと息子達がプロレスデビューを果たし、運動能力の高いケビンと、天才肌のデビット、映画スターのようなルックスと体格を持つケリー、そして共通する甘いマスクでエリック3兄弟はたちまちテキサスでヒーローとなっていった。

エリック三兄弟のうち、ケビンとデビットは父フリッツと共に1979年に全日本プロレスに初来日して、ケビンとデビットはジャイアント馬場&ジャンボ鶴田の師弟コンビと対決したが、フリッツの現役としての来日はこれが最後となり、二度とフリッツと一緒に来日することはなかったが、1981年5月にはケビンとデビットが再び全日本に来日するとグレート小鹿&大熊元司の極道コンビの保持していたアジアタッグ王座を奪取する。アジアタッグ王座は極道コンビにとって代名詞的な王座で一時代を築いていたが、エリック兄弟が奪取したことで極道コンビの時代に終止符を打たれ、1か月後の6月に石川敬士&佐藤昭雄組に敗れて王座を短期政権に終わったが、エリック兄弟にとっても日本における初タイトルとなった。

父フリッツにとって大きな野望があった。息子の中からNWA世界ヘビー級王者を誕生させることだった。フリッツはNWA王者の候補にも挙がり、何度も王座にも挑戦してきたが、NWAはフリッツには60分フルタイムの試合は出来ないなど王者としての資質は欠けるとして王者になることが出来なかった。1975年にフリッツがNWA会長に就任したのも野望の一環で、任期は1年間だったものの、大プロモーターとして認められたことで、NWA会長の座から降りても絶大なる発言力を誇示しており、団体名もWCCWと改め、テキサス州ダラスはNWAの中で屈指の黄金テリトリーとなっていった。

その息子達の中で一番期待をかけていたのはデビットだった。天才肌のデビットはNWAのプロモーターだけでなく、当時の世界ヘビー級王者だったリック・フレアーも「デビッドがチャンピオンとなっていれば長期政権を築くことができた」と高く評価していた。1984年にマイケル・ヘイズからUNヘビー級王座を奪取したデビットは天龍源一郎との防衛戦を行うために来日、帰国後はフレアーの保持するNWAヘビー級王座に挑戦することが決まっていた。ところが防衛戦直前の2月10日に宿泊したホテルで一室にある電話のそばで倒れていたところを、シリーズに参戦していたブルーザー・ブロディが発見、病院に運ばれたが発見された時点で既に死亡していた。

デビット死去の一報は全日本プロレスの外国人係だったジョー樋口からWCCWのスタッフに伝えられ、アメリカでは深夜だったこともあり、当時はまだ携帯電話もなかったこともあって、フリッツにデビットの死の一報が伝わったのは夜明けだった。デビットの死を知ったフリッツは外へ出て空を見つめ、ケビンは誰とも会いたくなく、森の中にしばらく引き籠っていた。WCCWは早速発見者であるブロディに連絡を取り、ブロディもエリック兄弟とは親交が深かったこともあって心痛な思いで詳細を報告し、検死の結果、死因は薬物中毒の噂も飛び交ったが、急性腸炎で感染症を起こし腸が腫れて破裂し出血し心不全も併発していたという。元々腸(潰瘍性大腸炎?)に持病を抱えていたデビットは来日直前で既に体調を崩して嘔吐しており、フリッツだけなくケビンもそのことはわかっていたことから、ケビンはデビットの日本行きを辞めるようにフリッツに進言していたが、フリッツは帰国後に手術を受けさせることを条件にして日本に行くように指示し、デビットも父の命令は絶対だったこともあって逆らうことが出来ず、そのまま日本へ送り出してしまった。

デビットの死はダラス中にたちまち伝わり、女性ファンもデビットの死に号泣した。遺体はテキサスに移送された。デビットの葬儀の日には学校が休みとなって、議会も召集されるなど、ダラス中が喪に服しデビットの死を悼み、フレアーを始めとするレスラー達だけでなく、ファンも大勢駆けつけるなど、ハリウッドスター並みの盛大な葬儀となった。

フリッツはデビットの追悼興行をテキサススタジアムで開催し40000人を動員、メインはデビットが挑戦するはずだったNWA世界ヘビー級王者のリック・フレアーに三男のケリーが挑戦、ケリーがアームホイップを狙うフレアーを逆さ押さえ込みで3カウントを奪い、フリッツでさえ成し遂げなかったNWA世界ヘビー級王者となり、デビットを追悼するための駆けつけた40000人のファンを大喜びさせた。

しかしフレアーはデビットと比べて王者としての力量に欠けるケリーを高く評価しておらず、NWAも長くは王者は任せられないと判断していた。ケリーはNWA王者として初めて日本に遠征して5月22日の田園コロシアムで鶴田の挑戦を受けて引き分けで防衛するも、25日の横須賀ではフレアーが挑戦して、フレアーがエビ固めで丸め込んで3カウントを奪い王座を奪還、ケリーは18日天下に終わってしまったが、これがエリック一家にとって転落への始まりでもあった。

1986年にフリッツがNWAで実権を振るい始めたジム・クロケット・ジュニアと対立し、WCCWはNWAから脱退してWCWAと団体名を改めるが、その矢先にケリーがオートバイ事故で右足に重傷を負ってしまう。エリックはデビットとケリーの穴埋めにリッキー・ヴォーンというレスラーをエリック一家の一員として仕立てランス・フォン・エリックと名乗らせるも、この案にはケビンだけでなくケリーも「ファンを裏切る愚案だ」と反発、二人の予感は的中して、ファンはランスはエリック一家ではないと見抜かれてファン離れを起こしてしまい、WCWAは人気が急落、ダラスに対抗勢力が出来るとランスは離脱して対抗勢力に移籍してしまい、激怒したフリッツはランスはエリック一家の一員ではないと暴露するが、さすがのファンも「勝手すぎる」とますます怒らせて、ファン離れを加速させてしまう。

そこでケビンはデビットの穴埋めに1983年にデビューしていたマイクをメインに引き上げた。マイクは有能のスポーツマンだったがケガも多く、レスラーとしてなかなか大成することが出来ず、一家の期待に応えられないことに苦しんでいた。そんなある日遠征先のイスラエルでマイクは肩を脱臼し、手術後にブドウ球菌に感染してしまう。マイクはダラスへ戻ったが、自宅に戻るとマイクは毒素性ショック症候群を発症して倒れ、医師に診てもらった時点で危篤状態に陥ったが、熱が下がったため奇跡的に持ち直した。

マイクは1週間後に退院し、会見でマイクはリング復帰をアピールしたが、身体はやせ衰え、また退院後から突然信号に怒鳴ったり、駐車中の車を叩くなど奇行が目立つようになっていく、マイクはリング復帰を果たすが、しばらくして飲酒運転と大麻所持で逮捕され、保釈はされたものの、マイクは姿を消しエリック一家やWCCWは警察に捜索願を出して2~3日後、1987年4月12日に遺体となって発見される。検死の結果精神安定剤の過剰摂取で、警察は自殺として処理したが、デビットに続いてマイクの死はエリック一家に大きな衝撃を与えた。

エリック一家の不幸の連続の間にもアメリカマット界は激変、WWEとクロケットが独占したNWAと二分化されつつあり、WCAWもエリック一家の度重なる不幸でイメージが損なわれた影響もあって空席が目立ち、かつての黄金テリトリーの面影はなくなり経営も悪化するなど時代から取り残されようとしていた。フリッツは時代の波に歯止めをかけるべく、ジェリー・ローラーのCWAと合併してUSWAを発足、WWEの侵攻で瀕死状態に陥っていたAWAを巻き込んで一大勢力を作り上げてWWEやWCWと対抗しようとしていた。そのタイミングでデビューしたのは末弟のクリスだった。クリスは生まれつき身体も弱かったが、リングで活躍していた兄達に憧れていたことから、亡くなった兄達の後を継ぐためにプロレスデビュー決意する。エリック一家にとってクリスは凋落しつつあるエリック一家にとって復活を懸けた最後の挑戦だった。

しかしクリスには身体も小さく、喘息の持病と薬剤の影響で骨も脆いという問題を抱えていた。それでもクリスは筋肉増強剤であるステロイドを常用してどうにか体は作り上げてていたものの、見かけだけでレスラーとしての力量は技量も欠け、遂に腕を骨折してしまい欠場、父だけでなく兄達の期待に応えられないことに落胆したクリスも21歳の若さでピストル自殺で死去してしまう。これが大きな痛手となったのか利益配分のトラブルでフリッツはローラーと袂を分かってUSWAから離脱、再びWCWAをスタートさせたものの、経営破綻でWCWAは消滅、エリックはプロモートから撤退したが、エリック一家の不幸はこれだけでは終わらなかった。

1990年夏にケリーがビンス・マクマホンからのオファーを受けてWWFに進出することを決意する。ケリーも一家の度重なる不幸でエリック一家の人気が急落したことで、ケリー自身がWWFという大舞台で活躍することでエリック一家の復興させることが出来ると考えた上での決断だったが、ケリーにはある秘密を抱えていた。ケリーは1986年のオートバイ事故の時点で右足を切断しており、レスラーとしては再起不能の状態だった。ところがフリッツはケリーのイメージダウンを懸念して切断の事実を隠し、リングシューズの形をした特注の義足を着けてカンバックさせるが、対戦相手から右足を攻めてもケリーが反応せず、また試合中に義足が抜けるハプニングが起き、ケリー自身もドレッシングルームで、シャワー中でも絶対にリングシューズを脱がなくなるようになるなど、レスラー達からも「ケリーの右足は義足なのでは?」という噂が飛び交いようになり、ケリー自身も右足の痛みを和らげるために鎮痛剤の過剰に摂取し始めていた。

ケリーはWWFに登場するも、ビンスの命令でリングネームはテキサス・トルネードと改められ、エリック一家の代名詞であるアイアンクローまで封印させられたが、ケリーは右足の痛みが通常の鎮痛剤では収まらなくなり、麻薬であるコカインに手を出して不法所持で逮捕される。判決は執行猶予となり、フリッツはリハビリ施設に入所させるためにケリーをWWFから離脱させたが、ケリーの薬物依存は治らず執行猶予期間中にも関わらず処方箋の偽造してコカインを入手しようとしたことで逮捕され、実刑として刑務所行きが決定してしまう。
刑務所へ入れられるのはエリック一家の恥だと思ったのか、ケリーは刑務所行きを拒否して自殺をケビンに仄めかす、ケビンは”なんでもいいが死ぬな”と説得、「刑期を終えたらヤクの売人のいないアラスカへ行こう」と励ますが、1993年2月にケリー親しい友人に別れを告げた後で、牧場を経営していたフリッツを訪ね、ケビンは”ケリーを引き留めて欲しい”と言おうとしてフリッツに電話をかけたが、フリッツがなぜか「今忙しい」と電話を切り、ケリーの言うがままに息子達が誕生日にフリッツにプレゼントしたショットガンとジープを貸し、1時間経ってからフリッツはケリーの後を追うと、森の中にジープが止まっており、クリスと同じピストル自殺を遂げていたケリーが遺体で発見された。

しかしケリーの死でエリック一家の負の連鎖は収まらず、ケリーまで死んでしまったことでフリッツはに長年にわたって付き添ってきた夫人と離婚、息子のケビンだけとなったフリッツの生活はすさみ、そんなある日ケビンに「死ぬ度胸があるか」向かって銃を向ける。この時のフリッツは脳腫瘍を患っており精神状態がおかしくなっていた。ケビンは「父さん、生きるほうが度胸がいる」と説得するが、フリッツは銃を向けたままで「怖いんだろ」と迫る。この時のフリッツは息子達が次々と亡くなったことで苦しみから逃れるために、ケビンと一緒に心中を図ろうとしていたのかもしれない、ケビンはフリッツに「銃を下ろせ」と言って”腫瘍に殺されるのはごめんだ”と思って家を出た、ケビンの説得に応じたのかフリッツは自殺を思いとどめたものの、フリッツは1997年にガンで死去した。

エリック一家もケビンだけとなったことで、何もかも嫌になったケビンは自暴自棄になり、ガンショップで銃を盗み犯罪を起こして刑務所へ行こうとした。ガンショップで確かに拳銃は盗んだものの、ガンショップの主人が”愛してるぜ、ケビン”と声をかけたことでケビンは我に返った。ガンショップの主人はエリック一家の長年にわたるファンだった。ケビンは盗んだ拳銃を返し店長に謝って抱きしめ、店内にいた客たちもケビンを励ました。もしこのまま銃を持ち出していたらケビンも死んでいたのかもしれない、死を選びかけたケビンを我に呼び戻してくれたのは一家を応援してくれたファンだったのだ。

ケビンはこれまでの呪縛を振り払うためにテキサスを引き払うことを決意し相続した全財産を処分、WCCWの権利も相続していたが、版権や映像のアーカイブも全てWWEに売却、ハワイへ引っ越して、表舞台から去り事実上のセミリタイアとなったが、2004年にWWEがエリック一家の殿堂入りを発表すると、ケビンは久しぶりに表舞台に登場、インダクターにはエリック一家と抗争を繰り広げていたフリーパーズのマイケル・ヘイズが務めた。2012年にはNOAHの招きで日本に久しぶりに来日し、GHC管理委員に就任、息子であるロスとマーシャルを修行するためにNOAHに入団させた。2017年7月にケビンは久しぶりにアメリカマットに登場してNOAHでの修行を終えたロスとマーシャルと組んで一夜限りの復帰を果たし、エリック一家の伝家の宝刀であるアイアンクローも披露、この試合で事実上の引退試合となった。ロスとマーシャルは現在MLWのリングで活躍し、ケビンは現在でもハワイの自然の中で余生を過ごしているという。
(参考資料=Hulu ダークサイドリング)

(参考資料=Hulu ダークサイドリング)

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