「四角いジャングル」に振り回された異種格闘技戦


1978年、週刊少年マガジンにて梶原一騎原作の「四角いジャングル」の連載が開始された。

「四角いジャングル」は最初こそは主人公の赤星潮を主人公にして行方不明の兄を探すためにアメリカへ渡り、打倒ベニー・ユキーデを目指すためにマーシャルアーツの世界に飛び込む物語のはずだった。

1976年2月6日、日本武道館で行われたアントニオ猪木vsウイルアムス・ルスカを皮切りに、新日本プロレスは異種格闘技路線をスタート、新日本のみならずキックボクシング、マーシャルアーツ、ムエタイら立ち技格闘技の対抗戦も注目を浴び始め、さらに極真空手も数々の話題を振りまくなど「格闘技ブーム」が巻き起こった。そのため新日本を中心としたMWA(世界格闘技連盟)を設立、全日本キックボクシング連盟、世界キックボクシング連盟など様々な格闘技団体が参加する。この格闘技ブームの火付け役だったのは「タイガーマスク」「巨人の星」「あしたのジョー」などの劇画作家である梶原一騎だった。

 梶原は格闘技好きだったこともあって、沢村忠を主人公にした「キックの星」、大山倍達を主人公にした「空手バカ一代」の原作を担当、漫画週刊誌に連載することでキックだけでなく、空手までメジャーな存在まで押し上げ、また映画製作会社である三協映画を設立して映画界にも進出、極真空手のドキュメント映画である「地上最強の空手」を製作、「地上最強の空手PART2」では猪木vsモハメド・アリ戦も収録され、更に新日本と極真が全面協力した作品である「格闘技世界一 四角いジャングル」も公開され、作品では猪木だけでなくウイリー・ウイリアムスなど様々な格闘技のスター選手を登場するなど、格闘技界で中心人物にとなり、連載している「四角いジャングル」もいつしか主人公の赤星潮がメインではなく、ストーリーが現実に追いついていく、ノンフィクションのドキュメンタリーな作品へと変貌していった。

 梶原は猪木vsウイリー・ウイリアムス戦実現に動いており、猪木の側近である新間寿氏にvsウイリー戦への前段階としてミステリアスムードを持つ、覆面格闘家を猪木と対戦させることを提案、新間氏も猪木と対戦する格闘家の人材が尽き始めていたことから乗り気となり、そこで梶原は身長195cm、体重147kgの巨漢で、全米プロ空手で46戦して26勝20敗、勝ちは全てKOで20敗は全て反則負けと言う異様な戦績を残し、ルール無視のあまりにも荒っぽい試合ぶりでプロ空手協会から追放処分されていたと言う格闘家・ミスターXを誕生し、早速は連載している「四角いジャングル」の中でミスターXで登場させた。

 初登場は藤波辰巳がアメリカでWWFジュニアヘビー級王座を防衛した後で、敗れた相手が報復をかけるつもりで、シャワーを浴びる藤波に襲撃しようとしていると、藤波がシャワー室から出てきた途端、相手はKOされており、怪訝に思いながら会場から出た藤波は車を走らせていると、大きな人影がダッシュして車上を飛び越え、慌てて車から降りた藤波にマスク姿の大男がミスターXと名乗って猪木への挑戦を表明するだけでなく、車を端を片手で持ち上げるデモストレーションを披露するというものだった。

それが誌面におけるミスターXの初登場だった。その後ミスターXはウイリーだけでなく、ベニー・ユキーデなどの大物格闘家と絡ませ、後ろ回し蹴りで新聞記者の咥えたタバコを蹴り落とすなどデモも行うなど、誌面を通じてミスターXの存在を印象付けることで、ファンの幻想を大きく膨らませた。

 猪木vsミスターX戦はシリーズ最終戦の1979年2月6日、大阪府立体育会館大会で行われることになり、猪木が保持しているWWF世界マーシャルアーツヘビー級王座がかけられることになった。肝心の猪木は前年の11月のヨーロッパ遠征で全身ガタガタになって帰国し、1月のボブ・ループとのNWF選手権でも大苦戦強いられたことで万全な体調とは言い難かったが、ミスターX戦までに何とか体調を整え、2月6日のミスターX戦に臨んだ。そしてミスターXが来日して調印式に現れたが、現れたミスターXは劇画とはイメージが違い、明らかに異なる肥満系で、マスコミも”このミスターXは本物なのか”と疑問に思う者が多く、館内は「四角いジャングル」の影響もあって超満員札止めを動員して、それだけミスターXへの期待は大きかったのだろうが、リングに上がったミスターXを見て館内から失笑が起きてしまった。

試合は3分10ラウンド制で行われるも、ミスターXの放ったミドルキックは猪木には効いておらず、また猪木のアリキックから逃げ回り、また当たるとグラつくなど、館内からは失笑や「逃げるな!」と野次が起きてしまう。第2Rでは猪木はミスターXのニーリフトを脇腹に浴びてダウンするが、パンチやキックなどは猪木に効いておらず、また失笑が起きたことで猪木が苛立ちを見せる。猪木はローキックで切り崩した後で延髄斬りを放ち、卍固めから腕十字へ移行してミスターXを追い詰め、第3Rでは猪木がローキックから一本背負いで投げると、腕十字で捕獲してギブアップを奪い勝利も、期待外れであっけない結末に館内は野次が飛び交った。

ミスターXの正体は誰だったのか?当初の予定ではベニー・ユキーデの実兄であるアーノルド・ユキーデのブッキングでジョー・ヘスという空手家がミスターXを務める予定だったが、試合を正式に決定した後でアーノルドとヘスの間でギャラの配分でトラブルが起きると、来日をキャンセルしてしまい。まさかの事態に梶原も慌てて新間氏に相談、新間氏もチケットも売れてしまっていることから今更試合はキャンセルするわけにはいかないということで、マーシャルアーツの団体WKAのハワード・ハンセンに代役のブッキングを依頼、来日したのが猪木と対戦したミスターXだった。代役のミスターXを見た梶原は「これで大丈夫なの?」と聴くが、新間氏も「えーっと、恐ろしくパワーがあって空手とボクシングの二刀流と言う事なんですけど何しろ急場の事なんで…。」と答えるしかなく、梶原もイメージからかけ離れていたことで大きく落胆、結局「四角いジャングル」の中で、本物のミスターXは密かに来日したウイリーによって、猪木との試合を前にして潰されたとして読者に釈明した。

猪木vsウイリー戦で異種格闘技路線はひと段落となり、「四角いジャングル」もそれと同時に連載は終了、この頃には猪木と対戦する格闘家も人材が尽きており、格闘技ブームもピークを過ぎてしまっていた。その後も新日本と梶原の関係は続き、梶原の提案でタイガーマスクを実在のプロレスラーとしてデビューさせる。ところがタイガーマスクの版権使用料を巡って猪木、新間氏とトラブルとなり、また猪木が梶原に無断で空手の新流派を興していたことで、梶原が暴力団員と共に猪木を監禁するという事件を起こす、この頃の梶原は傲慢な振る舞いは多くなり、周囲から煙たがれる存在となっていた。実際は猪木は早々に退席して、新間氏が対応したというのが定説になっており、新日本もタイガーマスクのことも絡んでいたためひた隠しにしていたが、その後に月刊少年マガジンの副編集長に対して傷害事件を起こしたとして逮捕されたことで、猪木への監禁事件も公となり、新日本もタイガーマスクのリングネーム返上を余儀なくされ、梶原も連載中の作品は打ち切られて単行本は絶版となるなど、名声は地に落ちてしまう。

梶原は2か月後に保釈されたが、今度は壊死性劇症膵臓炎で倒れ、一時は生命も危ぶまれたが、4度にわたる手術の末、一命をとりとめる。梶原は執行猶予付きの有罪判決を受けると、漫画原作者からの引退を宣言して、自伝的漫画である「男の星座」の連載を開始したが、1987年に死去、享年62歳だった。

1990年代からK-1、PRIDEが台頭すると、再び格闘技ブームが起き、一時はプロレスを凌駕するまでになった。梶原は常々「どの格闘技が最強なんだ」と考えていたが、K-1、PRIDEを梶原一騎が見たらどう描いたのだろうか、それとも梶原が望んでいた世界だったのだろうか…

(参考資料 GスピリッツVol.36「アントニオ猪木の格闘技世界一決定戦」、講談社「四角いジャングル」猪木vsミスターXは新日本プロレスワールドで視聴できます)

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