ペロ・アグアヨ

新日本プロレス、全日本プロレス、旧UWF、ユニバーサルプロレスリングに来日し、メキシコでは「山犬」「メキシコのアントニオ猪木」と異名を取った、ペロ・アグアヨさんが亡くなったことが死去した。享年73歳

アグアヨさんはデビューはCMLLの前身であるEMLLだったが、UWAへ移籍し、UWAのラインで1979年2月に新日本プロレスに来日してから、新日本の常連選手となり、メキシコでも抗争を繰り広げていたグラン浜田からUWA世界ライトヘビー級、WWFライトヘビー級王座奪取、初来日時には藤波辰巳の保持するWWFジュニアヘビー級王座にも挑戦したが、WWFジュニア王座への挑戦は1度だけで、1982年5月2日の福岡でWWFジュニア王者となっていた初代タイガーマスクに挑戦する予定だったが、初代タイガーが負傷欠場で王座は返上され、王座決定戦には初来日で話題を呼んでいた初代ブラックタイガーと星野勘太郎の間で争われることになったことで、WWFジュニアへの挑戦は実現出来なかった。

その後は新日本プロレスを退社した新間寿氏のルートで旧UWFの旗揚げシリーズに参戦して浜田との抗争を繰り広げ、新間氏がUWF撤退後は、浜田と一緒に全日本プロレスへと参戦したが、全日本への参戦は1度切りで終わり、ユニバーサルプロレスにも参戦したが、日本マットには定着できなかった。

 長らくルード(悪役)として活躍してきたアグアヨが、1986年からリンピオ(善玉)に転向、1988年3月にはエル・カネックを破りUWA世界ヘビー級王座を奪取するも、EMLLを経由してAAAの旗揚げに参加、リンピオのエースとして活躍、2000年に息子であるペロ・アグアヨJrと共に新日本に来日して引退ツアーを行い、2001年に引退していた。

 だがアグアヨ・ジュニアが2015年に急死、近年では体調を崩し表舞台出ることはなくなっていたという、息子であり後継者だったアグアヨ・ジュニアの死はアグアヨにとって精神的に堪えていたのだろうか…

ご冥福をお祈りします

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