2002年1月、武藤敬司が小島聡、ケンドー・カシンらと共に新日本プロレスと契約を更新せず、全日本プロレスへ移籍する大事件が起きた。2000年6月に三沢光晴を含めた所属選手、スタッフが大量に全日本プロレスから離脱してプロレスリングNOAH旗揚げへと動き、新日本は馬場元子社長を中心に川田利明、渕正信、太陽ケア、和田京平レフェリー、木原文人リングアナと少数だけとなった全日本プロレスと永島勝司氏を通じて交流を開始、永島氏のルートで武藤敬司が全日本に派遣という形で全日本に参戦するようになっていた。
しかし全日本との交流に反発し、格闘技路線を推進していた新日本プロレスのオーナーでアントニオ猪木が強権を発動、永島氏と現場監督だった長州力はマッチメークから外され、蝶野正洋と獣神サンダー・ライガー、リングアナの田中秀和、広報の倉掛欣也、営業の山中輝夫、企画部の渡辺秀行を中心としたマッチメーク委員会が設立されるも、マッチメーク委員会も猪木の推進する格闘技路線には反発していた。
2001年10月8日の東京ドーム大会を渡辺氏がプロデュースを任されることになったが、社長だった藤波辰爾の意向でNOAHの秋山準を参戦させたことで、猪木の怒りを買ってしまう。秋山の参戦はこちらにて触れていることから割愛するが、観客も喜んだものの、猪木の怒りは治まらず、その後もマッチメーク委員会が出すカードに猪木が成田空港で会見をしてケチをつけて揺さぶりをかけるため、渡辺氏も次第に猪木の牛耳る新日本に嫌気を差し始めていた。
2002年1月4日に行われた東京ドーム大会後に渡辺氏は辞表を提出すると、猪木の格闘技路線推進に反発していた武藤敬司に合流、これに武藤の子飼いだった小島、猪木の背後にいる猪木事務所を嫌っていたカシン、そして猪木によって新日本の株式上場計画を握りつぶされた経理関係のフロントなどが5~6人のスタッフ加わり、全日本プロレスへ移籍する事態が起きる。新日本の心臓部を持っていかれた形となった新日本は、2・1札幌大会で猪木が「オレは怒っている」と武藤らに対して怒りをアピール、また全日本との窓口にも係わらず武藤らの移籍を知らされなかった永島勝司氏も責任を取らされ退社に追いやられるなど、新日本は大混乱となった。
しかし全日本プロレスに移籍したまでは良かったが、難題が待ち受けていた。その一つがテレビ中継だった。全日本は旗揚げから日本テレビが放送を独占していたが、三沢らが離脱すると中継は打ち切りにされ、代わりにCSのGAORAが全日本を中継していたものの、全日本を発信するコンテンツとしてはまだまだ役不足だった。その頃には武藤もK-1を運営していた石井和義、PRIDEを運営していた森下直人に接近し始めており、その縁で渡辺氏はフジテレビに全日本を中継して欲しいと持ちかけていた。
フジテレビはこれまで全日本女子プロレスを中継していたが、
K-1やPRIDEなど格闘技の中継に集中するため、 2002年3月をもって全女の中継を打ち切ってプロレスからは撤退しており、また日本テレビが捨てたコンテンツを放送することは出来ないと断るだけでなく、プロレスという言葉すら使って欲しくないと言われてしまっていた。フジテレビにとってプロレスはK-1やPRIDEを放送することで真剣勝負ではなくエンターテイメントであるいう認識なっていたのだ。
そこで武藤と渡辺氏は既にK-1やPRIDEがあることなら、コッテコテのエンターテイメントを追求すればいいと考え、思いついたのはプロレスラーと名乗れないならファンタジーファイターと名乗ればいい、それが武藤と渡辺氏の考えたWRESTLE-1だった。しかしフジテレビ側は放送にはGOサインを出さない、理由は全日本プロレスに誰が所属しているのか知らず武藤敬司と馳浩しか知名度がなかったからだった。そこで渡辺氏は武藤のラインをフルに活用して、ZERO-ONEから橋本真也、新日本プロレスからは蝶野正洋、K-1からはボブ・サップとサム・グレコ、PRIDEからマーク・コールマンやケビン・ランデルマン、ヒース・ヒーリングを起用することで、ようやく企画が通り、WRESTLE-1放送にGOサインが出た。
サップはWCWでプロレスデビューを果たしたが、WCW崩壊後は様々な仕事を転々するも、同じWCWに参戦していたグレコの誘いでK-1と契約、当時K-1の衛星団体として扱われていたPRIDEに参戦、またこの年のK-1 GPでも3度優勝を果たしているアーネスト・ホーストを降すなどして活躍、また様々なバラエティー番組に出演することで格闘技だけでなく、一般的にも知名度を高めていた。フジテレビが「WRESTLE-1」に乗り気なったのは、サップを使えば必ず視聴率が上がるという考えがあったからかもしれない。 渡辺氏は新日本ではプロレスのリングでMMAもどきの試合をやることに疑問を持っていたが、今度は格闘家がプロレスもどきの試合をやることに少し皮肉に感じていたという。
早速全日本サイドは参戦するコールマン、ランデルマン、グレコ、そして宇野薫を道場に呼んで受身の練習をさせた。武藤も渡辺氏も猪木の推進する「プロ格」と差別化するために、格闘家にはプロレスをさせるつもりでいた。格闘家達もプロレスのスキルを教えると、MMAとは全く違うものであり簡単ではないと感じ始め、 ヒーリングは朝から道場に来て夜まで徹底的に受身を特訓、受身など 簡単にこなせるプロレスラー達に対してリスペクトが自然と生まれ始め、また馳浩も忙しい時間を割いて道場へ通い、格闘家にプロレスを指導するなど、コールマンらは真剣に真摯にプロレスに取り組んでいた。

2002年11月17日 WRESTLE-1横浜アリーナ 12807人
<第1試合 60分1本勝負>
SATA…yarnVSアブドーラ・ザ・ブッチャー
<第2試合 60分1本勝負>
ケンドー・カシン THE APEMAN NIGO VS ラ・パルカスペル・パルカ
<第3試合 60分1本勝負>
太陽ケア カズ・ハヤシVSサム・グレカラス ドス・カラスJr
<第4試合 60分1本勝負>
小島聡 馳浩VSマーク・コールマン ケビン・ランデルマン
<第5試合 ZERO-ONE提供試合 60分1本勝負>
橋本真也VSジョシー・デンプシー
<第6試合 60分1本勝負>
ビル・ゴールドバーグVSリック・スタイナー
<第7試合 時間無制限1本勝負>
ザ・グレート・ムタVSボブ・サップ
元K-1日本人ファイターで当時PRIDEに参戦していた佐竹雅昭が SATA…yarnとして参戦、DSEのルートで全日本にスポット参戦していたゴールドバーグ、ドスカラスJrとしてPRIDEやDEEPにも参戦していたアルベルト・デル・リオを加えて、全7試合がラインナップ、メインはムタがサップと対戦となったが、闘魂三銃士の盟友である橋本はZERO-ONEの提供試合、蝶野は実況席でのTV解説に留まった。
第2試合は、パルカ組の蛍光塗料の骨コスチュームで反映させるために試合序盤で照明が落とされる演出がなされたが、動きがなんとか判る位は試合中にマスクを脱いで正体を宇野であることを明かし、試合もカシンが雪崩式腕十字でラ・パルカを降し、宇野とパルカ組でダンスを踊って締めくくられる。
第3試合で登場したグレコはマスカラスの実弟であるエル・シデリコのマスクを着用して登場、試合途中でマスクが取れるハプニングもあったが、WCWでプロレスを経験したこともあってカズやケア相手に見事に渡り合い、キックだけでなくクローズラインを披露、最後はドスカラスJr.がジャーマンでカズを降す。
第4試合で登場したランデルマンは持ち前の跳躍力を生かしてフランケンシュタイナー披露、コールマンとダブルインパクトを決め、小島も”いっちゃうぞ”エルボーを狙う際にはビジョンに”いっちゃうぞ”の文字が映し出される演出がなされたが、最後は小島がラリアットでランデルマンを降す。
セミで登場したゴールドバーグは、映画撮影中で多忙の中来日するという演出がなさされ、アメリカから移動中のため後5分で登場しますというアナウンスがされると、ビジョンにはゴールドバーグがヘリコプターに乗り、またリムジンで移動してから、自家用ジェットで空港へ降り、そのままワゴン車に乗り込む映像が映し出されて会場に到着するという演出が組まれ、試合もゴールドバーグがスピア―からジャックハマーで勝利となる。
メインはムタがボブ・サップと対戦、試合もムタが場外戦でリードを奪うが、サップがショルダータックルやラリアットで反撃、だがビーストボム狙いをムタが毒霧を噴射して阻止、閃光魔術を連発する。、しかし月面水爆をカウント2でキックアウトしたサップはドロップキックでムタを吹き飛ばし、ダイビングヘッドバットで3カウントを奪い勝利となった。
大会の模様はスカイパーフェクトTVでのPPVでも生放送されたが、まだ武藤や渡辺氏が考えたファンタジーファイトを理解できなかったのか、通常の全日本プロレスと見比べてしまい、物足りなさを感じ、またフジテレビでの放送も見たがサップ中心に扱われていたことから、フジテレビはプロレスの良さを放送する気はあるのかと疑問に思わざる得なかった。
視聴率もゴールデンタイムで放送されたのにも係わらず8.4%と期待はずれの結果となった、フジテレビもサップ中心を中心に据えて育てていけば伸びていくコンテンツと考えたのか、継続することになる。
第2回は1月19日、東京ドームで開催された。
2003年1月19日 WRESTLE-1 東京ドーム 45,371人
<第1試合 60分1本勝負>
SATA…yarnVSアブドーラ・ザ・ブッチャー
<第2試合 60分1本勝負>
石森太二 アンソニー・W・森 ヘンリーIII世菅原VSミラノコレクションA.T YOSSINO コンドッティ修司
<第3試合 60分1本勝負>
ケンドー・カシンvsサブゥー
<第4試合 60分1本勝負>
ウルティモ・ドラゴン カズ・ハヤシVS ウルティモ・ゲレーロ レイ・ブカネロ
<第5試合 60分1本勝負>
小島聡 馳浩VSテリー・ファンク ヒース・ヒーリング
<第6試合 60分1本勝負>
マーク・コールマン ケビン・ランデルマンVSヤン・ザ・ジャイアント・コンビクト シン・ザ・ジャイアント・コンビクト
<第7試合 60分1本勝負>
橋本 真也VSジョー・サン
<第8試合 60分1本勝負>
武藤 敬司 ビル・ゴールドバーグVS“クロニック”ブライアン・アダムス ブライアン・クラーク
<第9試合 60分1本勝負>
ボブ・サップVS アーネストホースト
第2回は前回参戦しなかったヒーリング、ジャイアント・ノルキア、ウルティモ率いる闘龍門からはT2P、サブゥー、レジェンドのテリー、武藤もムタではなく武藤敬司として参戦したが、1月に石井和義氏が脱税で逮捕、大会直前にDSEの森下直人社長が急死したこともあって、K-1サイドの意向が反映されるようになり、メインのサップvsホーストも、ホーストが前年度のK-1 GPでサップに敗れていることから、K-1でのリベンジをプロレスでという形となってホーストがグランドコブラでサップを降したが、これもまたプロレスの良さを放送する気はあるのかと疑問に思わざる内容だった。

それは渡辺氏も納得しているわけでなく、全日本にテレビ中継をつけるまでの我慢と考えていた。ところがDSEの後を引き継いだ榊原信行氏がK-1からミルコ・クロコップを引き抜いたことを発端に、K-1とPRIDEの関係は一気に崩れ、ファンタジーファイトのWRESTLE-1は2回で終わり、フジテレビに全日本プロレスを放送させる計画は頓挫してしまった。
WRESTLE-1はスポーツ班が担当していたわけでなく、バラエティー班の担当で、スポーツ班とは違う感覚でプロレスに取り組んでいたのだろうが、まだ日本ではエンターテイメント的なプロレスが生まれにくい土壌だったこともあり、K-1とPRIDE関係にも振り回されてしまった。しかし後に起きるサップの反乱のことを考えると、WRESTLE-1も長続きしていたかどうかわからない、これでWRESTLE-1の名前は封印されたかと思ったが、2005年に違う形で復活することになった。
(参考資料=GスピリッツVol.14『東京ドームの光と影」)
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