越中詩郎デビュー40周年に平成最後の維震軍が集結!

1月30日 「越中詩郎デビュー40周年記念大会 侍祭り~平成最後の平成維震軍~」 後楽園ホール 1200人

<第1試合 CARBELL Present Match 30分1本勝負>
○大森隆男 カーベル伊藤(10分14秒 片エビ固め)青柳優馬 ×岡田佑介
※アックスボンバー

<第2試合 WRESTLE-1提供試合 30分1本勝負>
○カズ・ハヤシ(9分58秒 片エビ固め)×アレハンドロ
※ファイナルカット

<第3試合 UNPREDICTABLE WORLD 30分1本勝負>
関本大介 TAJIRI(15分11秒 両軍反則)長井満也 雷神矢口

<第4試合 THE ART OF BATTLE 30分1本勝負>
○藤波辰爾 潮崎豪 佐藤耕平(14分40秒 ドラゴンスリーパー)×NOSAWA論外 MAZADA FUJITA

<第5試合 HEISEI SAMURAI SPRIT 60分1本勝負>
越中詩郎 齋藤彰俊 青柳政司 AKIRA ○真霜拳號withザ・グレート・カブキ(25分15秒 体固め)橋本大地 遠藤哲哉 芦野祥太郎 ×最上九 清宮海斗
※垂直落下式ブレーンバスター

 越中詩郎のデビュー40周年記念大会が開催され、メインは平成維震軍が集結し平成生まれの選手組と対戦。維震軍は新メンバーを投入を予告してXとされたが、矢口壹琅のギター生演奏でセコンドのカブキを加えた。維震軍が登場すると、維震軍の旗を振りながら真霜が登場、新メンバーとして維震軍に加わった。 
 越中はGHC王者の清宮のドロップキックを受けきってヒップアタックを発射すると、場外戦でも芦野にナックル、大地にはひな壇からミサイルヒップを発射するなどエンジンを全開させる。
 再び清宮と対峙した越中は腿パットを連発、場外戦でも彰俊と共にむき出しの床にハイジャックパイルドライバーを敢行する。
 終盤では維震軍のメンバーの援護を受けた越中は大地に侍パワーボムを決めるが、大地はカウント2キックアウトするも、新メンバーの真霜がカブキの毒霧、越中のヒップアタックの援護を受け、最上を真剣からの垂直落下式ブレーンバスターで3カウントを奪い、維震軍が勝利を収めた。

 試合後は記念セレモニーが行われ、ケンドー・コバヤシさんからのビデオメッセージが映し出されると、武藤敬司、長州力、天龍源一郎、大会に出場した藤波が登場して越中を激励、最後は5人で記念撮影に収まり大会を締めくくった。

 昨日もレスラーは元来旅人で風来坊と語ったが、一番相応しいのは越中だと思っている。越中は「カブキさんとか桜田さん(ケンドー・ナガサキ)、タイガー戸口さんのように肩で風を切って胸張って次のテリトリーに行く、新日本が終わってハッスルから声がかかったときは、ああオレはプロレスラーになったんだな」と実感したという。

 越中がデビューした昭和54年のアメリカマット界は各州ごとに団体があるテリトリー制で、ほとんどのレスラーが一つのテリトリーに納まらず、声をかけてもらえば次のテリトリーへ移る渡り鳥のような生活を送っていた、その中で日本人ながらも代表格だったのはカブキ、ナガサキ、戸口、そしてマサ斎藤で越中は渡り鳥になることを望んでいた。

 自分が越中詩郎をテレビで初めて見たのは、昭和57年に当時夕方5時半から放送されていた「全日本プロレス中継」、自分の記憶では若手だった越中はインタージュニア王者だったチャボ・ゲレロと対戦してヒップアタックを放っていた。ヒップアタックを使っているレスラーがいないことから、ヒップアタックで越中という存在を憶えたが、ヒップアタックは元々チャボが使っていた技で越中がラーニングしたものだった。

 1984年3月に三沢光晴と共にメキシコ修行へ出されたが、メキシコ行きが越中の渡り鳥になるきっかけになった。三沢は2代目タイガーマスクに大抜擢されることになり先に帰国、一人メキシコへ取り残された越中は元々アメリカ志望だったものの、当時のアメリカマットはWWFによる全米侵攻が始まっており、越中を受け入れるエリアが見つからなかった。日本に戻っても長州力率いるジャパンプロレスが参戦していたこともあって、全日本マットも選手が飽和状態、完全に居場所はない、そこで新日本プロレスの副社長だった坂口征二の誘いに乗って、新日本へ移籍を決意、そこから越中は高田延彦、藤波辰爾、長州力と出会い、平成維震軍では全日本プロレスで指導を受けたカブキ、全日本移籍の際に引きとめる馬場を説得するばかりか、多額の餞別までくれた天龍源一郎と再会、馬場死去後の全日本に参戦、NOAHでは三沢と再会するなど様々な出会いと別れを経験してきた。もし三沢が生きていたら越中とメキシコへ出され、三沢一人がタイガーマスクに抜擢されたときを二人でどう振り返っていただろうか・・・

 現在の日本マットも新日本を始めとして多団体時代となり、越中も試合数は限定しながらもオファーがある限りは各団体を渡り歩く、皮肉にも越中の望んでいたレスラー像が日本で実現したが、越中が現役で続く限りは旅はまだまだ続く。

 最後に越中詩郎選手、デビュー40周年おめでとうございます!


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