新日本プロレス 2004年11月13日 大阪ドーム事変②ハッスルポーズ阻止の裏側


大会当日に自分も大阪ドームを訪れたが、当時の大阪ドームは経営破綻しており、中に入っていたテナントも撤退するなど閑散、まるでこのときの新日本を象徴しているかのようだった。自分は入り口に到着するも開場を待っていたのは4~5名だけ、開場までには2~3人は来たものの長蛇の列とはならなかった状況を見て、自分も大阪ドームで新日本の力が落ち込んでいると改めて実感してしまった。

 急遽参戦することになった小川直也は当時「ハッスル」のエースだったが、新日本にとってハッスルは新日本とストロングスタイルと相対するエンタメプロレス。小川自身も新日本を「某老舗メジャー団体」と皮肉り、小川自身もこの頃になると猪木と決別していたため、新日本との関係は良好ではなかった。しかし猪木からオファーを受けた小川はハッスル普及の一環と割り切って新日本に参戦を決意、猪木と再会した際には表向きは師匠と称えていた。今回のマッチメークも小川と川田がハッスルのスタイルで臨むことが必至とされ、小川自身も「猪木さんにも一緒に“ハッスルのポーズ”をやって貰う」と宣言していた。 

 この発言に新日本の選手たちはどう思っていたか、当時新日本の所属だった成瀬昌由のブログ『成瀬昌由の自由人ブログ』によると、「猪木さんが小川を呼んだのだから、ハッスルはやらしても良いのではないか」といえば、「小川と共に猪木さんもあのポーズを一緒にやるという報道もあるし、邪魔してはいけないのではないか?」という意見もあった。しかし成瀬がトレーナー室で猪木がマッサージを受けていた際に小川は「お疲れ様です会長!今日の試合“コレ”やりますんで、宜しくお願いします!」と声をかけ、猪木は「お~ぅ」と答える姿を成瀬は目撃してしまう。 

  第7試合を終えると最終的な作戦会議が行われた。成瀬によると「セミ前の試合になったあたりで、最終的な作戦会議が行われた。ここで言っておくが、俺はやや血走って先走っていた感があったが、あくまでも俺達のプライオリティーとしては今回の小川直也の“ハッスルのポーズ”に対して、先ずは徹底的に断固阻止というのが一番。そして、もし小川サイドがあくまでも強硬に“ハッスルのポーズ”をやるというならば、そこは俺達も強行な手段を使ってでも絶対に阻止をしなければならない。そしてもし、本当に猪木さんがリングに上がって小川と共にあのポーズをやろうとしたならば、俺達はたとえ相手が猪木さんでも、全員で猪木さんの前に人柱となって立ちふさがり、殴られようがなにされようが、何が何でもリングに上げさせてはならないと、俺や真壁リーダー、そして永田さんも一緒になって俺達の意見に同調してくれました。」とハッスルポーズ断固阻止で意見が一致した。

そしてセミで行われた天山、棚橋vs小川、川田は小川、川田がハッスルのコスチュームで試合に望み、試合中には高田モンスター軍の島田二等兵とアン・ジョー司令長官もリングサイドに現れるが、それと同時に新日本本隊の選手達がほぼ勢ぞろいでリングサイドに陣取った。試合は小川が棚橋に勝つも小川がハッスルポーズを取ろうとすると永田を始めとする選手らがリングに雪崩れ込んで阻止し、そのまま花道奥へ下がらせる。永田の説得で小川もハッスルポーズを取るのを諦めて下がろうとするが、蝶野正洋が「やりたいならやれ」とリング内でアピールすると再び騒然となるが、それでも小川はハッスルポーズを取ることはなく退散、猪木も現れなかった。蝶野にしてみれば小川にハッスルポーズを取ることを許したのではなく、「この状況の中でハッスルポーズをとれるものならやってみろ」と迫っていたのかもしれない。

 この試合の真意は一体何だったのか?観戦していた上井文彦氏は「絶対にハッスルをやらせるな!」と大声で叫び続け、猪木の心情を。『オマエら、ここまでやられて怒らないの!? 俺がこんなプロレスを許していると思うのか!?』って問いかけてるんですよ」と理解し、成瀬も「猪木さんからも『ハプニングやアクシデントをどのように乗り切るかで、プロとしての値打ちは決まるものだよ』と言われていたので、今回の急な小川直也の緊急参戦は、猪木さん流の自分達に対する“試練”というか、『新日本プロレスのリング上で、しかも自分達の目の前であのポーズをやらせてもイイのか?おぃっ!』と自分達を試しているのであろうと俺は直感的に理解した」としている。確かにハッスルポーズを阻止したことで新日本勢は支持を受けたのも事実だった。 

 だが小川にしてみれば、猪木の承諾という大義名分を得たとしてハッスルポーズを狙ったはずが、新日本の選手らの反発に遭い、肝心の猪木は出てこないどころか、大会後の猪木が「世界で通用するものではない。米国の物まねをしてもだめ」「(ハッスルポーズは)中指立てるポーズを大衆の前でやっているようなもの」「ハッスルを引きずっていると、地に落ちる。勢いある時に変化をしないと。流行は長続きするものではない」と痛烈に批判されたことで、一転して小川は梯子を外される結果となってしまった。誇りとしていたハッスルを猪木によって全否定された小川はハッスルを飛び出してIGFに参戦するまで猪木と疎遠の関係となっていった。

しかしメインではセミでの溜飲を挙げた雰囲気から一転してしまった。(続く)

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