全日本プロレスで開催された「3軍対抗戦」…鶴田、最後の三冠戦


1992年全日本プロレスは「新春ジャイアントシリーズ」にて超世代軍(三沢光晴、川田利明、小橋健太、菊地毅)、鶴田軍(ジャンボ鶴田、田上明、渕正信、小川良成)、ハンセン軍(スタン・ハンセン、ジョニー・エース、ジョー・ディートン、ビリー・ブラック)による「’92新春三軍対抗戦」が行われた。

ルールはシリーズ中にシングル、タッグ、6人タッグの試合形式による対抗戦を行い、対抗戦終了時点での最高勝率チームを優勝とされ、優勝したチームには、テリー・ゴーディ&スティーブ・ウイリアムス組が保持している世界タッグ王座への優先挑戦権が与えられることになった。

世界タッグ王座は昨年度の最強タッグが開幕するまでは三沢&川田組が保持していたが、当時の最強タッグのルールで開幕前に王座は返上、前王者だったゴーディ&ウイリアムス組が三沢&川田組を破って優勝し王座を奪還していた。

超世代軍、鶴田軍もお馴染みのメンバーとなったが、ハンセン軍の副将格にエースが起用された。ハンセンのパートナーは昨年の最強タッグまではダニー・スパイビーだったが、2年連続で最強タッグの優勝を逃しただけでなく、スパイビー自身の伸び悩みもあってチームを解消、エースの抜擢は将来性に期待したのもあったが、自分らはエースにハンセンのパートナーが務まるのかどうか不安があり、また残りのメンバーもディートンやブラックでは、超世代軍、鶴田軍と比べると戦力不足なのではという不安も抱かせた。 

三軍対抗戦は1月2日後楽園大会での開幕戦からスタート、鶴田軍-5戦3勝2敗、超世代軍-7戦3勝4敗、ハンセン軍、6戦3勝3敗と序盤は鶴田軍がトップに立つも、中盤からは超世代軍も巻き返し15日の後楽園大会が終わった時点では超世代軍-17戦10勝7敗、鶴田軍-14戦7勝7敗、ハンセン軍-15戦6勝9敗と逆転する。

21日の大阪大会では鶴田軍vs超世代軍による4vs4の4代シングル戦も実現、小橋vs小川は小橋がムーンサルトプレスで勝利を収め、田上vs菊地はパワーボムで田上が勝利、三沢vs渕はフェースロックで三沢が勝利、メインで行われた鶴田vs川田は鶴田の後頭部ラリアットからバックドロップの連発で3カウントを奪い、2勝2敗と終わり、22日の半田大会が終わった時点で超世代軍-28戦17勝11敗、鶴田軍-25戦12勝13敗、ハンセン軍-21戦8勝13敗と超世代軍が鶴田軍を大きく突き放す。

しかし24日後楽園での鶴田&田上&渕vs三沢&川田&小橋での6人タッグ頂上対決を鶴田軍が制してから鶴田軍が巻き返し、最終戦直前で鶴田軍-32戦17勝13敗 超世代軍-34戦19勝15敗 ハンセン軍-28戦9勝17敗と逆転して優勝マジック1が点灯、超世代軍は1敗も落とせない状況で最終戦を迎えてしまった。

 最終戦の千葉大会は田上&小川vs川田&菊地、三沢&小橋vsエース&ブラック 三冠統一ヘビー級選手権(王者)鶴田vs(挑戦者)ハンセンが三軍対抗戦として行われたが、田上組vs川田組は田上がノド輪落としで菊地を下し勝利、この時点で鶴田軍の優勝が決定となる。三沢組vsエース組は消化試合となって三沢組が勝利も、勝った三沢に笑みはなかった。

メインの鶴田vsハンセンの三冠戦は、鶴田のジャンピングニーを喰らっても倒れなかったハンセンがそのままウエスタンラリアットを浴びせ3カウントを奪い王座を奪取、鶴田軍が優勝しても大将の鶴田が三冠王座転落で素直に喜べず、ハンセンもハンセン軍の戦力不足が響いてか負けが込み1度も首位に立てなかったが、最後でハンセンが三冠王座を奪取することで一矢報いた。だがハンセンに敗れた試合が鶴田にとって最後の三冠戦となった。 

 シリーズ終了後には専修大学レスリング部主将の秋山準(当時は秋山潤)の入団が発表されたが、今思えば1992年の新春ジャイアントシリーズは鶴田の三冠王座転落、秋山の入団を考えると、時代の移り変わりを予感させたシリーズだった。  最後に優勝した鶴田軍は鶴田&田上でゴーディ&ウイリアムス組に挑み、鶴田がバックドロップでウイリアムスを降し世界タッグ王座を奪取したが、まだこの時点では鶴田はまだまだ健在を思わせていた・・・

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