オレイ・アンダーソン


ジョージア州アトランタでブッカー、またレスラーとしても活躍したオレイ・アンダーソンさんが死去した、享年82歳

オレイさんは、ミネソタ州ミネアポリス出身で1967年にAWAにてプロレスデビュー、以降ジン・アンダーソン、ラーズ・アンダーソンと組んでミネソタ・レッキング・クルーの一員となり、1970年1月に日本プロレスに初来日となった。
ミネソタ・レッキング・クルー解散後は、NWAの有力エリアであるジョージア州のGCWでブッカーとなって辣腕を振るい、ジム・バーネットの片腕的存在となったが、経営に携わっていたジャック&ジェリー・ブリスコのブリスコ兄弟と対立し、バーネットもブリスコ兄弟側に立ったことで、クーデターを起こしてGCWを一時掌握したが、バーネットとブリスコ兄弟が持ち株を全てWWEに売却したため失脚した。

失脚後はCWGを運営していたが、ジム・クロケット・ジュニア時代のWCWに吸収され、オレイ本人もブッカーとして携わりつつ、アーん・アンダーソンとのタッグで活躍、リック・フレアーのユニットであるフォーフォスメンの一員にもなった。
クロケットプロモーションがテッド・ターナーに売却されてからは、一線を退きブッカーに専念していたが、1994年に解雇され、以降マット界からの係わりを絶っていた。
日本へは来日は、ブッカー業が多忙だったため、日本プロレスの後、国際プロレス、1983年に全日本プロレスと3度しかなく、スタン・ハンセンとは盟友関係で、ハンセンからもベストブッカーと称えられた。

ご冥福をお祈りいたします

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