天山広吉凱旋!長州が大ギレした「2・12事変」という長い一日


1995年1月4日、海外武者修行に出ていた山本広吉こと天山広吉が凱旋した。ドイツCWAでジュニアヘビー級王者となるなど実績を積んだ天山はカナダへと飛び、当時外国人ブッカーとなっていたジョー大剛氏の下で肉体改造に励み、一回り大きくなった姿を見せた天山は凱旋マッチとなった中西学戦では圧倒的な強さを見せ、最後は天山プレスで3カウントを奪い、ファンに大きなインパクトを与えたが、全ては天山の凱旋帰国から始まった。

天山は山本小鉄が主宰する新日本プロレス学校を経て1990年に新日本プロレスに入門、翌年1月にデビューを果たし、先輩である小原道由、同期である小島聡と共に前座戦線を沸かせてきた。1993年に若手中心のリーグ戦である「ヤングライオン杯」に優勝を果たすと、6月より海外武者修行のため、グラーツを本拠地とするオットー・ワンツ主宰のCWAに武者修行に出されていた。

成長した天山を見た長州は「天山をトップに押し上げる」と天山をプッシュすることを断言、2月4日に行われた札幌中島体育センター大会では天山をIWGPヘビー級王者だった橋本真也の挑戦者に大抜擢したが、天山の周囲では争奪戦も始まっていた。当時の新日本プロレスは前年から自主興行も開催していた平成維震軍は青柳政司が新日本から離脱したことを受けて新戦力を求めており、また前年度のG1 CLIMAXでヒール転向を果たしていた蝶野正洋がヒロ斎藤、サブゥーと共に新軍団結成を結成に動いていた。

シリーズ中には天山獲得に積極的だった平成維震軍はワゴン車に天山を拉致して維震軍入りを迫るなど積極的に天山獲得に動き、本隊も佐々木健介とのタッグで売り出そうとプランを練っていたが、蝶野もわざわざ天山の遠征先であるドイツにまで訪れて勧誘するなど、本隊か平成維震軍か、それとも蝶野との共闘か、天山の今後の方向性に注目していた。

IWGPヘビー級選手権は、橋本がレッグロックからの足攻めで先手を奪い、天山の繰り出す逆水平に対して、袈裟斬りチョップやミドルキックで応戦、だが天山もモンゴリアンチョップで応戦するなど、かつて付き人を務めた橋本に対し一歩も引かない姿勢を見せる。橋本はミドルキックで攻勢に出ると、ジャンピングエルボードロップ、コーナーからのダイビングエルボードロップと攻勢に出ると、DDTで勝負に出るが、ニールキック狙いをマウンテンボムで迎撃した天山はテリー・ゴーディ式パワーボムからダイビングヘッドバット、天山プレスで猛反撃したが、再度のマウンテンボム狙いを潰した橋本は腹固めで捕獲して絞めあげると、ニールキックからハイキック、垂直落下式DDTで3カウントを奪い勝利となったが、前日の大会ではオリジナルTTD、橋本戦では天山プレスも披露したことで大きなインパクトを与え、評価もまた上がった一戦となるも、この時点では今後の方向性に関しては明確な答えを出さず、しばらくして「2月12日後楽園大会で答えを出す」とコメントするだけで、2月12日を迎えた。

  2月12日後楽園ホール大会、この日は昼間は平成維震軍、夜は本隊と新日本が昼夜興行を開催していた。平成維震軍興行の第1試合の小原道由vs高木功(嵐)が終わると、越中が現れ「天山いるなら出て来てくれ!俺達と一緒にやっていこう!どうだ!天山!」と天山を呼び出し「俺達と一緒にやろう」を手を差し伸べる。ところが天山の出した返答はモンゴリアンチョップで拒否、これに怒った小原が天山とのシングル戦をアピールし、セミファイナルで小原vs天山が組まれたが、勢いに乗る天山の前に先輩である小原もなす術はなく変形サイドバスターで天山が圧勝する。  

 メインイベントでは越中が後藤達俊、ザ・グレート・カブキと組んで昭和維新軍の長州力、マサ斎藤、谷津嘉章の予定だったが、長州が寝坊で会場入りしていないハプニングが発生し、長州の代役として平田淳嗣が登場、長州の欠場に関して事前にアナウンスもなかったことで館内も野次が飛び交う。試合は平成維震軍が勝利を収めたものの、試合後に天山が蝶野と共に乱入し両軍を襲撃、この時点で蝶野との共闘が明確となり、バックステージでは夜の本隊興行に参戦するために長州がやっと会場入りすると、長州が昼に出場しなかったことで越中が怒鳴りこんでくるが、長州も怒って私服姿のままでイスを持って殴りかかるなど、平成維震軍と一触即発となる。

  夜の本隊興行では天山が蝶野との共闘を選んだことで、本隊のカードが変更され、長州は橋本、平田と組んで蝶野、天山、ヒロ組と対戦。試合も本隊を裏切った天山を制裁するために長州組は徹底的に狙い撃ちにして、長州もリキラリアットを3連発して追い詰めるが、蝶野がケンカキックでカットに入ると、蝶野の激を受けた天山が長州に猛反撃しモンゴリアンチョップや頭突きを乱打、最後はヒロとのハイジャックパイルドライバーからダイビングヘッドバットで長州から3カウントを奪ってしまう。

  試合後にまさかの敗戦に怒った橋本と平田は天山を客席へ連行して暴行を加え、リング内では蝶野とヒロがダウンしている長州に暴行を加えて蝶野がケンカキックでダメ押しする。そしてリングサイドに戻った橋本と平田はイスで天山を殴打、長州もイスを持ち出して蝶野に暴行を加えるが、サブゥーが駆けつけて蝶野らを救出、そしてコーナー下にテーブルをセットして橋本を寝かせると天山がテーブル貫通ダイビングセントーンで橋本をKOする。

平田がイスを振り回し、馳浩も駆けつけ蝶野らは去っていくが、怒りの収まらない長州はミスター高橋レフェリーを蹴り、バックステージでもカットに入れなかった橋本や平田にイスを投げつけて大荒れとなり、長州から指示を受けた橋本と平田は蝶野側の控室に殴りこんで乱闘となるなど、リングだけでなくバックステージでも大荒れのままで、2月12日という長い一日が終わった。 

天山は「僕が海外から日本に帰ってきたとき、最初は平成維震軍が迎えに来たんですよね、そうしたら、今度は蝶野さんが声をかけてくれて 、そもそも蝶野さんとは若手時代、そんなに接点はなかったんですけどね、あの人は道場に滅多に来なかったし、たまに練習してたらみんなで『大雨振るんじゃないか?』とざわついて(笑)」と答えていたが、天山が蝶野を選んだ理由は狼群団はまだ新しく誕生したユニットだったこともあって将来性があると考えたのかもしれないが、それを考えると天山に先見の明があったのかもしれない。

 この結果、蝶野は天山、ヒロ、サブゥーと共に新軍団「狼軍団」を結成し、平成維震軍を凌ぐ1大勢力となっていったが、長州力が「プロレスは常にインパクトだよ」と答えていた通りに、凱旋帰国した天山は大きなインパクトを与え、更に劇薬を投入することで一気にトップの一角に食い込んだ。1995年2月12日はまさしく天山にとってはターニングポイントなった日でもあり、主役を奪い取った日でもあった。

 (参考資料、新日本プロレスワールド、1995年1月4日の天山vs中西、2月4日の橋本vs天山、2月12日の蝶野&天山&ヒロvs長州&橋本&平田は新日本プロレスワールドにて視聴できます) 

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