日米を席巻したnWo④崩壊はアメリカから始まった…


1998年には入り、新日本プロレスでは1月4日に長州力が引退し、4月4日にアントニオ猪木の引退が決まっても、nWoの蝶野正洋と武藤敬司を中心としたnWo JAPANの勢いは衰えず、新日本プロレスを席巻し続けていたが、噂されていたnWoのボスであるハルク・ホーガンの来日はWCWのWWEの視聴率戦争である「マンデーナイトウォーズ」の激化によって実現せず、蝶野だけでなく武藤もWCWへ遠征する機会を失い、新日本プロレスとWCWの業務提携も危ういものになりつつあった。

nWo JAPANも「マンデーナイトウォーズ」激化の余波を受けてバフ・パグウェルが来日しなくなり、WCWではさほど出番のないスコット・ノートン、マイケル・ウォールストリート、nWoスティングがnWo JAPANの外国人選手と中心となるが、蝶野も独自でFMWやWARにも参戦していたビック・タイトンを獲得するなどテコ入れをしていた。

一方アメリカではnWo効果でWWEより圧倒的有利な立場にいたWCWもnWoを世界展開するために日本の次にnWoメキシコも設立を計画したが、WWEもビンス・マクマホンとスティーブ・オースチンの抗争路線で盛り返し、視聴率で拮抗するようになり、nWoも世界展開どころではなくなっていく、またnWoも入れば注目されるとベテランや中堅レスラーがnWo入りたがるレスラーが続出して20名になるなど大所帯となるなど膨れ上がり、nWoもベテラン選手が中心となったことで団体内の世代交代を阻むようになり、nWoを中心とした展開にマンネリが生じ始めていた。

またWCWで権力を握っていたハルク・ホーガンとケビン・ナッシュがいつしか対立するようになり、nWoどころかWCW内の統率が乱れ、エリック・ビショフはWCWでは現場責任者でありながらも、絶対的権限は与えられていないこともあって、収拾がつかなくなっていった。そこでビショフはホーガン、ナッシュの対立を利用してnWoを分裂させ、ホーガン率いるnWoハリウッドとナッシュ率いるnWoウルフバックの対立路線を作り上げるも、マンネリは打破できず、次第にWWEに押されるようになっていった。

日本では蝶野と武藤によってnWoは活性化し、保持していたIWGPタッグは武藤の膝の手術で一旦王座を返上するが、蝶野は天山との蝶天タッグで再びIWGPタッグ王座を奪取するなど,、nWoの存在を誇示するも、この頃の新日本プロレスは引退しても現場監督として現場を仕切り続ける長州力と橋本真也が対立しあうようになり、4月に引退した猪木も小川直也の存在を使って新日本プロレスを揺さぶり続けるなど、90年代の繁栄に暗い影が差し込もうとしていた。

そして8月8日の大阪ドーム大会で蝶野が藤波辰爾をSTFで破り念願だったIWGPヘビー級王座を奪取、頂点に立った蝶野はビショフの承諾を得てnWoのアジア進出を狙ったが、蝶野は頸椎板損傷の重傷を負い、蝶野は初防衛戦を行えないままIWGPヘビー級王座を返上したため断念し、返上した王座は凱旋帰国したばかりの永田裕志を王座決定戦で破ったノートンが奪取した。

蝶野の留守の間に武藤がnWoを取り仕切るようになるが、蝶野のいないことをよいことに小島聡をnWo入りさせたことで蝶野が反発するも、天山やヒロ、ノートンまでも武藤に着いたことで蝶野は孤立する。

1999年1月4日、武藤がノートンを破ってIWGPヘビー級王座を奪取し、nWo JAPANの天下は続くいたが、同日には小川が橋本を潰すセメント事件を引き起こし、大仁田厚が参戦するなど武藤の王座奪取はインパクトの弱いものになり、新日本プロレスの主役は次第に猪木と長州の対立を背景に小川、大仁田に奪われるようになる。

東京ドーム大会同日にとんでもない事件がWCWで起きてしまう。1月4日ジョージア・ドームで行われた「WCWマンデーナイトロ」でケビン・ナッシュとWCWで連戦連勝で売り出していたゴールドバーグと対戦することになった。ナッシュvsゴールドバーグは8日前に開催されたPPVイベント『スターケード’98』で対戦していたが、スコット・ホールがゴールドバーグにスタンガンを浴びせてナッシュをアシストし、ナッシュがゴールドバーグを破りWCW世界ヘビー級王者となって、ゴールドバーグの連勝を止めたものの、この結果に納得しなかったナッシュが再戦を要求して実現したものだった。

ところが対戦当日になるとゴールドバーグはミス・エリザベスに対するストーカー行為を働いたということで逮捕されてしまい、ホーガンが代役としてナッシュと対戦する。二つのnWoのリーダー同士の対戦ということもあって注目されたが、二人が対戦するとナッシュが先に小突き、ホーガンがナッシュを軽く指で突くと、ナッシュは大げさに倒れる。そしてホーガンがカバーして3カウントを奪い、ホーガンが勝利を収め、試合後にはナッシュがホーガンを祝した二つのnWoが一つになって再結成されたことで館内は騒然となる。

警察から釈放されたとしてゴールドバーグが駆けつけ、ホーガンらに襲い掛かるも、味方のはずだったレックス・ルガーの裏切りに遭ってnWoに袋叩きにされ、挙句の果てには手錠に繋がれてロープに拘束されると背中に赤スプレーでnWoと印されてしまい、前代未聞の結末に館内のファンは怒り、物を投げつけた。

この事件は後に「フィンガーポーク・オブ・ドゥーム(破滅への指突き)」と言われたが、nWo統一は新しい展開を求めるファンから猛反発を招き、WCWは世界ヘビー級王座の権威は失墜するだけでなく、ファンからの信用も落とし、視聴率でもWWEに逆転を許してWCWは劣勢に立たされる。ファンからの反発を受けたことでnWoはWCWから消え、散発的に復活はしたものの、「フィンガーポーク・オブ・ドゥーム」事件でWCWにおけるnWoは事実上崩壊した。

(参考資料=(参考資料 福留崇広著イーストプレス「さよならムーンサルトプレス 武藤敬司35年の全記録」、ベースボールマガジン社「WWEの独裁者」、新日本プロレスワールドnWo JAPANの試合は新日本プロレスプロレスワールドで視聴できます)

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