スコット・ホール


新日本プロレス、WWE、WCWなどで活躍したスコット・ホールさんが死去した。享年63歳、ホールさんは近年股関節の手術を受けたが合併症を起こし、3度の心臓発作に見舞われ、生命維持装置が着けられていた状態だったが、家族の意向で生命維持装置が外されたという。

ホールさんは1984年にデビュー、1985年にAWAに参戦した際にマサ斎藤のブッキングで初来日を果たし、第5回IWGPにも出場、1987年12月には『’88ジャパン・カップ争奪タッグリーグ戦」では当初ディック・マードックと組んでエントリーする予定が、マードックのパートナーがアントニオ猪木に変更したことを受けて、ホールさんは坂口征二と組んでエントリーし、1990年には後にジ・アンダーテイカーとなるパニッシャー・ダイス・モーガンと組んで橋本真也&マサ斎藤組の保持するIWGPタッグ王座に挑戦、また坂口とタッグを組んだ恩義もあって久留米での坂口の引退試合の相手も務めた。

新日本プロレスとの契約が終えるとプエルトリコマットやWCWを得てWWEに参戦してレイザー・ラモンに変身すると大ブレイクを果たし、ショーン・マイケルズと抗争を繰り広げるなどトップとして活躍したが、契約面での不満からケビン・ナッシュと共にWCWへ引き抜かれると、ハルク・ホーガンと共にnWoを結成して一大ムーブメントを巻き起こし、1997年3月にはnWoとして新日本プロレス・大阪ドーム大会にも参戦した。

しかしアルコール依存症による無断欠場や暴力事件を引き起こしてしまうとWCWから解雇され、2001年に新日本プロレスに蝶野正洋率いるT-2000の一員として参戦、WWEやWCWでもトップを張っていたホールの参戦は注目され、武藤敬司の保持する三冠ヘビー級王座にも挑戦が決まっていたが、直前でデビュー2年目の棚橋弘至と対戦した際に、レイザーズエッジで完全KOしたということで油断したのか、武藤に対してマイクアピールしたところで、棚橋に丸め込まれて敗れるという失態をやらかして、ファンをがっかりさせてしまい、武藤にも敗れて三冠王座奪取にも失敗、以降は新日本プロレスに参戦することはなかった。

その後ホールはナッシュ、ホーガンと共にnWoとしてWWEに復帰したが、全盛期のような活躍を見せることが出来ず、ナッシュ共にハッスルにも参戦して、様々な団体を渡り歩き、2014年にはレイザー・ラモンとして、2019年にはnWoとしてWWE殿堂を果たしていた。

酒で身を持ち崩すことがなければ、もっと長生き出来ていたのかもしれない。ご冥福をお祈りします。

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