鈴木みのると矢野通がパンクラスでニアミスした日


2002年、空前のK-1、PRIDEによる空前の格闘技ブームの中、新日本プロレスどころかプロレス界全体が低迷するなか、特に新日本プロレスは観客動員が低迷し、業界トップの座をプロレスリングNOAHに取って変わられようとしていた。

そこで当時執行役員に就任し、オーナーだったアントニオ猪木から信頼を得ていた上井文彦氏が新日本プロレス人気復活のために新しい企画を打ち出す。それはパンクラスとの全面対抗戦だった。

2003年8月31日にパンクラスが10周年記念大会として両国国技館大会を開催、それに新日本プロレスが協力して、新日本プロレスの所属だったジョシュ・バーネット、矢野通、飯塚高史が参戦、ジョシュは猪木の推進する格闘技路線によって新日本プロレスに参戦、2002年1月4日の東京ドームではIWGPヘビー級王者だった永田裕志に挑戦し、プロレスが大好きということで新日本プロレスのシリーズにもレギュラー参戦していた。また矢野は日本大学出身で大学卒業後の2001年4月、福田富昭を通じて新日本プロレス傘下の闘魂クラブに入団し、2002年より即戦力ルーキーとして新日本プロレスに入門、5月にデビューしたばかりで、飯塚は橋本真也とのタッグで小川直也&村上和成のUFOと抗争を繰り広げるも、UFOとの抗争がひと段落し、橋本が新日本プロレスを退団すると、首の負傷で長期欠場に追いやれたこともあって中堅選手の位置に甘んじていた。

その新日本プロレスを迎え撃ったのは当時パンクラスISM所属だった鈴木みのる、近藤有己、渋谷修身で、鈴木は2012年11月にパンクラスルールで獣神サンダー・ライガーと対戦しており、パンクラスが2000年に開催された「コロシアム2000」におけるヒクソン・グレイシーvs船木誠勝戦を契機にプロレスカラーを薄めMMAを中心とした競技団体へ移行しつつあり、鈴木はライガー戦を契機にプロレスへの回帰を目指すことを決め、4月にはパンクラスのプロレス部門であるパンクラスミッションが設立されると、鈴木はその第1号選手となり、鈴木は試合前の会見でも新日本プロレスのシリーズ参戦し、参戦していた高山善廣とのタッグを訴えるなど、新日本プロレス参戦に意欲的な態度を示していた。

鈴木は対抗戦では新日本プロレス時代にデビュー戦の相手だった飯塚と対戦、ルールは打撃なしのキャッチレスリングルールで、第1Rは互いに出方を伺うも、最終の2Rは鈴木がアキレス腱固めで捕らえたところで、勢い余って場外へ転落も、その後で鈴木が脇固めで捕らえたところで試合終了、3-0で鈴木の勝利となり、試合後は鈴木も新日本プロレス時代からリスペクトしていたこともあって、飯塚と握手を交わして健闘を称えるも、試合後には放送席でゲスト解説に招かれていたライガーに対して「これがパンクラスだバーカ!」と挑発、鈴木は事実上新日本プロレスに宣戦布告を果たす。

矢野は渋谷にパンクラスルールで挑み、第1Rでは体重差でテイクダウンを奪うが、キャリアがないせいもあって、その後のテクニックが出てこないため極められず、第2Rになると矢野は渋谷のマウントに捕まるとパンチを浴びてしまい、その後で腕十字で捕らえられてギブアップとなり、完敗を喫した。試合後には渋谷は「こういう試合形式は初めてなんだから、僕が勝って当たり前、矢野選手はこれからこのスタイルを練習していけば、もの凄い選手になる」と称えたが、渋谷はパンクラスではバス・ルッテンと引き分け、鈴木にも勝っていることから、デビューしたての矢野が敗れたのも無理はなかった。

対抗戦の最後にはジョシュが近藤の保持するパンクラス無差別級王座に挑戦して勝利を収め、王座は流出、こうして10月13日の新日本プロレスの東京ドーム大会でパンクラスとの5vs5による全面対抗戦が浮上するが、新日本プロレスの東京ドーム大会には当時K-1で大人気を誇っていたボブ・サップが参戦、また坂口征二も限定復帰することが決まったことで、新日本プロレスvsパンクラスによる全面対抗戦は完全に宙に浮いてしまい、矢野もパンクラス参戦は1度きりになった。

矢野は2004年になると金髪・田吾作タイツ・半被・下駄という酒飲みキャラのヒールとなり、鈴木も新日本プロレスに参戦していたが、まだ二人には接点はなかった。2004年には新日本プロレスは社長が草間政一に代わると、草間社長と対立した上井氏は退社、新日本プロレスは内部を充実するとして一転して鈴木を始めとしたフリー選手の契約を打ち切り、ジョシュも客が呼べないとして新日本プロレスのカードから外され、フェードアウトされてしまう。

鈴木はNOAH、全日本プロレスを転戦、2011年5月に新日本プロレスに再び参戦するが、鈴木が去っている間に矢野は着実に力をつけ、2011年1月の東京ドームでロブ・ヴァン・ダムと対戦した際に、「ヤノ・トー・ルー」とアピールすることによってヒールでありながらコミカルな面が顕著に見せる二面性を持つレスラーに開眼、ファンから支持を集めるようになっていた。

そして新日本プロレスに定着した鈴木みのるとの抗争を勃発させると、同じくヒールへと変貌を遂げ矢野とコンビを組んでいた飯塚も矢野を裏切り鈴木軍入りし、飯塚を交えた二人の抗争は鈴木が出向していたNOAHマットでも繰り広げるようになり、2022年にもKOPW2022を巡って再び抗争を繰り広げることになった。

鈴木はパンクラスに参戦したいた頃の矢野を憶えているかと聞かれたら、おそらく「そんなの憶えているか!バーカ!」と答えているかもしれない、現在ではパンクラスは完全に格闘技団体となっていったが、矢野にとって格闘技への挑戦は貴重なものだったであることは間違いないと思う。

(参考資料 ベースボールマガジン社「日本プロレス事件史Vol.9 対抗戦・天国と地獄)

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