パトリオット


全日本プロレスに一時は常連として来日した覆面レスラー・パトリオット、本名デル・ウィルクスさんが心臓発作で死去した、享年59歳。

パトリオットは1990年、全日本プロレス「サマーサクションシリーズⅡ」に初来日したが素顔のザ・トルーパーとしての来日で、超世代軍を結成したばかりの後にタッグを組むことになる小橋建太やジョニー・エースともシングルで対戦し、アジアタッグ王座をかけて何度も対戦したカンナム・エクスプレス(ダニー・クロファット&ダグ・ファーナス)とも対戦したが、この時は単なる下っ端レスラーでメインに出ることはなく印象に残るレスラーではなかった。

その後パトリオットに変身して1992年「スーパーパワーシリーズ」に全日本プロレスに参戦、この時は初来日とされていたと思うが、下っ端レスラーだったトルーパーの変身だったとは全日本プロレスだけでなく小橋やエースもわからなかったのではないだろうか…6月3日の新潟で小橋と対戦し、小橋がウラカンラナで丸め込んで勝利となったが、これ以降は常連外国人選手となって、全日本プロレスに頻繁に参戦するようになり、この年のジャイアントシリーズでは小橋ともタッグを結成した。

92年の最強タッグではジ・イーグルと組んで参戦し、以降はイーグルとのコンビでアジアタッグ戦線が中心となり93年6月には小橋&菊地毅からアジアタッグ王座を奪取、カンナムとはアジアタッグ王座を巡って好勝負を繰り広げた。

94年にはWCWに転出してマーカス・パグウェルとのコンビでWCWタッグ王者となったが、1995年には再び全日本プロレスに戻り、7月に行われた三冠ヘビー級王座挑戦者決定リーグ戦では小橋を破ったものの、挑戦権は得ることが出来ず、95年の最強タッグではエースとのコンビで参戦して開幕戦で川田利明&田上明と時間切れ引き分けになるなど活躍し、4位に食い込んでまずまずの成績を収め、96年には小橋とタッグを結成して優勝争いにも加わったが、シングルでは小橋を破っても三沢光晴、川田利明、スタン・ハンセン、スティーブ・ウイリアムスの大きな壁を破ることが出来なかった。

1997年5月に小橋、エースとのユニットGET(グローバル・エネルギッシュ・タフ)を結成し、スティーブ・ウイリアムス、ゲーリー・オブライト、ザ・ラクロスとのTOP(トライアングル・オブ・パワー)と抗争を繰り広げるはずだったが、パトリオットは右肘の負傷を理由に欠場すると、シリーズ途中でWWF入り(WWE)入りが発覚、後になってWWFへ転出することが全日本プロレスもわかっていたという。

WWFではヒールターンしたブレット・ハートと抗争を繰り広げていたが、負傷欠場を繰り返すようになり、WWFから解雇された後は、事実上引退し、パトリオットのキャラも他のレスラーに譲り渡した。

引退後のパトリオットは薬物依存症に苦しみ、鎮痛剤の処方箋を偽造した罪で逮捕されたこともあった。その後はその後は自動車販売の仕事に携わりつつ、レスラーのOB会にも度々顔を出すこともあった。

パトリオットも90年代の全日本プロレスを盛り上げてくれた立役者の一人だった。

ご冥福をお祈りいたします

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