初代タイガーマスク、最初で最後のマスカラ・コントラ・マスカラ


1981年10月8日、新日本プロレス蔵前国技館大会で初代タイガーマスクvsマスクド・ハリケーンによる敗者覆面剥ぎマッチ、マスカラ・コントラ・マスカラが行われた。

10月18日の新日本蔵前大会は新日本vs崩壊した国際プロレスとの全面対抗戦が行われ、初代タイガーマスクも全面対抗戦として国際プロレス側のマッハ隼人との対戦との一戦が組まれていたが、マッハが対抗戦に出るのを拒否して海外に渡ってしまったため、タイガーの相手は宙に浮いた状態となっていた。

そこで初代タイガーの相手として謎の覆面レスラー、マスクド・ハリケーンが抜擢され、マスカラ・コントラ・マスカラ戦で対戦することになった。

開始前からハリケーンは初代タイガーに張り手を噛ませて開始となり、序盤は互いに出方を伺い、フィンガーロックからリストロック、初代タイガーはメキシカンストレッチで捕らえると、ハリケーンはボディーブローで逃れる。初代タイガーはスピニングレッグシザースでハリケーンを倒すと、ハリケーンは足を固めて返し、そのままキャメルクラッチで捕らえるが、抜けた初代タイガーはダブルレッグロックで反撃してスリーパーで捕獲する。
初代タイガーの手に噛みついて脱出したハリケーンはアームホイップ、タイガーはクロスフィックスで返し、腕を取るハリケーンにローリングソバット、首投げからヘッドロックで捕らえ、ハリケーンもヘッドシザースで返すが、抜けたタイガーは張り手のラリーからローリングソバットも、ハリケーンは連続ヘッドスプリングで立ち上がるが、これがきっかけになったのか突然動きが鈍ると初代タイガーはショルダータックルからドロップキックで返す、
タイガーは足を取ると、互いの足首を取るが、初代タイガーはスクリューキックでハリケーンを場外へ出して、コーナーからのプランチャを狙うが、ハリケーンが逃れて未遂となり、リングに戻ると初代タイガーは背負い投げ、ランニングエルボー、ローリングソバット、ハリケーンもエルボーで返すと、初代タイガーはドロップキックを連発してから風車式バックブリーカーで3カウントを奪い勝利を収めた。

初代タイガーはダウンしているハリケーンのマスクを容赦なく剥ぐと、正体は千の技を持つ男と言われるボビー・リーであることが明らかになったが、なぜ千の技を持つ男と言われたボビーがハリケーンとなって、あっさり初代タイガーに敗れたのか?

ボビーはメキシコUWAで活躍していたマスクマンでウェルター級王座も奪取するなど輝かしい実績を持っていたが、エル・サントとのマスカラ・コントラ・カベジェラに敗れてから素顔となっており、またメキシコ修行中だった初代タイガーこと佐山聡もボビーの高度な技術を見て魅了されるほどの選手で、旧知の間柄でもあった。

しかし1981年に入るとボビーはビジャノⅢとのスパーリング中にティヘラを仕掛けようとしたが、ピジャノⅢはパワースラムで叩きつけてしまい、ボビーは股関節を脱臼するだけでなく脊髄まで損傷してしまう。
日常生活には支障はなかったが、試合が出来る状態ではないところで、新日本プロレスからマスクド・ハリケーンとして初代タイガーと対戦して欲しいとオファーがかかった。ボビーは試合が出来る状態ではないと断ったものの、新日本とUWA側の強硬なオファーを断ることが出来ず、最悪のコンディションのままで来日して初代タイガーと対戦したが、皮肉にもボビーに魅了された一人である初代タイガーがボビーを介錯することになってしまった。

ボビーはシリーズには帯同できず、そのまま東京に残って新日本プロレスの道場で若手たちを指導しつつ、治療先の整体院に通ったことがきっかけとなって、整体師になることを決意、一旦メキシコへ戻った後で自費で再び来日して整体院に留学、メキシコに戻って整体師として第二の人生を送った。

しかし、11月26日、ボビー・リーが新型コロナウイルスに感染して死去したことが発表された。脊髄の損傷がなければ間違いなく初代タイガーマスクのライバルになった選手でもあった。享年70歳、ご冥福をお祈りいたします。

(参考資料 新日本プロレスワールド、タイガーマスクvsマスクド・ハリケーンは新日本プロレスワールドで視聴できます)

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