1977年12月に全日本プロレス創立5周年の一環として「全日本プロレス創立5周年記念・世界オープン・タッグ選手権大会」が開幕した。
全日本は2年前の1975年12月にシングルのリーグ戦である「オープン選手権」を開催、全日本だけでなく国際プロレス、NWA、AWAなどのトップ選手が20名集まって行われ、ジャイアント馬場が優勝して幕を閉じたが、マッチメイク方式が複雑で、短期間の日程や、スケジュールの都合で6選手が帰国し、全公式戦を消化しきれず終わるなど、反省点が残ってしまった。
全日本も当然第2回も検討したが、短期の日程では全公式戦は消化しきれない、そこで参加選手にタッグを組ませれば短期間で全公式戦が消化できると考えたのが「オープンタッグ選手権」だった。
日本プロレスは過去「NWAタッグリーグ」を3回に渡って開催したが、馬場ではなく猪木や坂口を主役にしたため、当時の猪木は馬場ほど人気がなかったこともあって興行的に不振に終わり、「タッグ・リーグ戦や年末の興行は不振である」というジンクスが根付いていた。しかし馬場は過去のジンクスを払拭するために豪華なメンバーをそろえた。
出場チーム
ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田組(日本代表)
ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク(ザ・ファンクス=アメリカ代表)
アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組(アフリカ・中近東代表)
大木金太郎&キム・ドク組(韓国代表)
ラッシャー木村&グレート草津(国際プロレス代表)
ビル・ロビンソン&ホースト・ホフマン(ヨーロッパ代表)
ザ・デストロイヤー&テキサス・レッド(マスクマン代表)
高千穂明久&マイティ井上(全日本&国際連合タッグ)
天龍源一郎&ロッキー羽田(全日本プロレス推薦)
実行委員会が選抜し各エリア代表と言う形でチームを揃え、総勢10チームがエントリーし、インターナショナルタッグ王者の馬場&鶴田を筆頭に、全日本常連だったファンクス、馬場&鶴田とインタータッグを巡って抗争していた大木&ドク、提携していた国際プロレスからは木村&草津のトップ2、井上は高千穂(ザ・グレート・カブキ)と越境タッグを結成、ロビンソンは昨年のオープン選手権の参加選手だったホフマンと組み、デビューしたばかりの天龍もエントリーしたが、まだキャリアが浅いことで参加資格があるのか疑問視されていた。だが、当時馬場のマスコミ側のブレーンの一人で、鶴田と天龍のプロレス転向に一役買った森岡理右氏が天龍を強力に後押しし、天龍は羽田と組んでエントリーを果たす。そして注目だったのはブッチャー&シークで、当時の二人は犬猿の仲とされたが、全日本の常連で後にWWEで副社長となるジム・デュラン(J・J・ディロン)の仲介でタッグを結成し、大物悪役同士のタッグはリーグ戦の台風の目になると予想されていた。
12月2日の後楽園ホール大会から「世界オープンタッグ選手権」が開幕し、ファンクスは天龍&羽田と対戦してテリーがスピニングトーホールドで羽田からギブアップを奪い白星発進する。
馬場&鶴田はブッチャー&シークと対戦し、シークが馬場を押さえ込んでいると、試合権利のあるブッチャーが毒針エルボードロップで馬場から3カウントを奪い、ブッチャー&シークがいきなり馬場&鶴田を破って白星発進し、試合後にテリーが乱入しようとすると、ブッチャー&シークが凶器攻撃で襲い掛かり、テリーは流血に追い込まれてしまう。ファンクスとブッチャー&シークは9月にシークがプロモートするエリアであるミシガン州デトロイトで対戦しており、日本同様テリーがブッチャー&シークの凶器攻撃によって腕をメッタ刺しにされて流血に追い込まれていたことから、デトロイトでの抗争が日本でそのまま持ち込まれたのだ。
リーグ戦は7点のファンクスがトップ、大木&ドク、木村&草津、ブッチャー&シークが6点で追いかける展開となり、リーグ戦中盤での宮城県スポーツセンター大会では黒星発進で大きく出遅れていた馬場&鶴田組が木村&草津と対戦、全日本vs国際プロレスのタッグ頂上対決が公式戦という形で実現したが、実は宮城大会だけは国際プロレスがプロモートする興行で、全日本が木村&草津を1シリーズ借り受けたこともあって、ギャラの代わりとして宮城大会のプロモート権を国際プロレスに与えたものだった。国際プロレスは宮城県では強い地盤があったことから、6000人動員して超満員札止めとなるも、しかし肝心の試合では馬場が16文キックの連発で草津から3カウントを奪い、馬場&鶴田が勝利、この試合は日本テレビ系列で全国に生放送されたこともあって、その後国際プロレスが単独で宮城大会を開催しても、タッグ頂上対決での敗戦が大きく影響して観客動員が大きく低下させ、オープンタッグで国際プロレスが儲けても、後で大きく損する結果となってしまい、また公式戦でも木村&草津の勝った試合は一切放送されないなど冷遇を受けた。
国際プロレスとのタッグ頂上対決を制して弾みをつけた馬場&鶴田も追い上げて優勝戦線に加わり、終盤では11点のファンクスに10点の馬場&鶴田、ブッチャー&シーク、8点の大木&ドク、木村&草津が追いかける展開となった。最終戦直前の14日大阪府立体育会館大会で行われたブッチャー&シークがロビンソン&ホフマンを破って12点目を獲得、馬場&鶴田vsファンクスの直接対決は45分時間切れ引き分けでファンクスが12点、馬場&鶴田が11点、大木&ドクvs木村&草津は両軍リングアウトの無得点試合となり、両チームが脱落となったことで、優勝争いはファンクス、ブッチャー&シーク、1点差で追いかける馬場&鶴田に絞られた。
15日の蔵前大会では馬場&鶴田は大木&ドクと対戦して、馬場がジャンピングネックブリーカードロップでドクから3カウントを奪い、13点トップとなって全公式戦終了、メインのファンクスvsブッチャー&シークの勝者が優勝で、両軍リングアウトだと馬場&鶴田が優勝、時間切れ引き分けと馬場&鶴田組との優勝決定戦となるため、馬場&鶴田はメインの結果待ちとなった。
メインのファンクスvsブッチャー&シークは、後入場のブッチャー&シークをファンクスが襲い掛かって試合開始、ドリーはシークを持ち込んだ紐でシークの首を絞め、テリーもブッチャーに頭突きを浴びせるが、ブッチャーは地獄突きで反撃してドリーを捕らえ、交代したテリーにもシークが凶器、ブッチャーがフォークで腕をメッタ刺しにするなどなど痛めつけ、館内のファンから悲鳴が起きる。
テリーはブッチャーに左のナックルを浴びせて反撃してドリーに代わり、テリーが場外で切り裂かれた腕に応急処置を施している間に、ブッチャーはドリーに毒針エルボードロップ、シークが凶器攻撃で痛めつけるも、ドリーがナックルで反撃してシークから凶器を奪い取ってブッチャー&シークに襲い掛かるなど孤軍奮闘する。

ブッチャー&シークにドリーが攻め込まれたところで、テリーが戦線に復帰してブッチャーに左ナックルを浴びせ、テリーとブッチャーが場外で乱闘を繰り広げる間に、リング内でシークがドリーに凶器攻撃を狙うと、ジョー樋口レフェリーが制止に入ったが、シークは樋口レフェリーを突き飛ばしたため、試合終了のゴングがなり、ファンクスが反則勝ちとなって優勝を飾った。
この試合の模様はクリスマスイブの24日に放送され、腕を切り裂かれたテリーがブッチャー&シークに真っ向から挑む姿に感動を呼び、後にテリー人気が起きるきっかけになるも、フォーク攻撃など凄惨なシーンも多かったこともあって、視聴者からむクレームも多かったという。しかし、このファンクスvsブッチャー&シークの試合がきっかけとなってオープンタッグ選手権は大成功を収め、「タッグ・リーグ戦や年末の興行は不振である」のジンクスを覆すことに成功、オープンタッグ選手権も翌年には「世界最強タッグ決定リーグ戦」とタイトルを改めて、現在も続くロングセラーのシリーズとなるだけでなく、テリーの頑張りも反響を呼び、瞬く間にアイドル的な存在となった。
その後、ファンクスvsブッチャー&シークの抗争は続いて全日本の看板カードとなり、1978年の世界最強タッグ公式戦では、ブッチャーのベアハックに捕まるテリーにシークが凶器攻撃で援護すると、怒ったドリーがゴング持ち出し、制止する樋口レフェリーも殴打してからシークを殴打する。そしてシークの持っていた凶器をドリーが奪ってシークの腕を刺し、KOされた樋口レフェリーに代わってサブレフェリーに入った和田京平も突き飛ばしたため、ファンクスが反則負けとなり、腕を刺されたシークは途中帰国を余儀なくされ、また最強タッグも最終戦でファンクスが馬場&鶴田と対戦して、時間切れ引き分けとなるも、1点差で馬場&鶴田に優勝をさらわれてしまう。
1979年の最強タッグでは最終戦で両チームが対戦し、シークがドリーを羽交い絞めにして、ブッチャーが地獄突きを狙ったが、シークに誤爆すると、ドリーがシークをカバーして3カウントを奪いファンクスが優勝も、ブッチャーの誤爆の激怒したシークはブッチャーの顔面に火を浴びせて仲間割れとなったことで、ファンクスvsブッチャー&シークの抗争は決着を見た。
シークは1981年の世界最強タッグを最後に全日本からフェードアウト、ブッチャーは新日本に引き抜かれた後、全日本に戻り、1987年の世界最強タッグではファンクスと久しぶりに対戦も、時代は移り変わってファンクスやブッチャーが主役を張る時代ではなくなっており、二人は全日本のリングを離れ、テリーはシークとFMWのリングでも対戦したが、シークは2003年1月18日に死去、2010年の新日本プロレスのリングで二人はテリーとブッチャーはタッグながらも対戦した。

2011年にブッチャーがWWE殿堂入りを果たすと、インダクターを務めたのは旧敵のテリーだった。ブッチャーはインダクターを務めるテリーにフォークを突き立てようとするなど往年のシーンを再現しようとしていた。タッグリーグが日本に定着したのも、最強タッグがロングセラーになったのも、テリーとブッチャーだけでなくドリーやシークの功績であることは永遠に変わらない

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