アントニオ猪木vsブルーザー・ブロディ②二人にバーニングスピリットはあったのか?


アントニオ猪木vsブルーザー・ブロディの初対決は4月18日、この年にこけら落としとなった両国国技館で行われることになった。本来なら両国は新日本が真っ先に初使用するところだったが、前年度の段階で2月7日に猪木vsハルク・ホーガン戦をメインに使用申請を出していたものの、公式行事が入っていることを理由に断られ、新日本も1984年の第2回IWGPでの暴動事件もあったことで、相撲協会には強く抗議できなかった、また大塚氏らジャパンプロレスが全日本に走ったことは営業面でも大きく響き、例年2月に開催されていた札幌大会も、ジャパンプロレスと組んだ全日本プロレスに取られてしまっていた。どうしても全日本より先に両国大会を開催したい新日本だったが、3月も予定がいっぱいで押さえることが出来ず、妥協して4月18日にずれ込んでしまい、両国初進出を全日本に先を越されていた。

 一旦アメリカへ戻ったブロディはアメリカで再調整して再び来日、4月15日の後楽園で猪木vsブロディに向けて公開練習がわざわざ後楽園ホールを借りて観客を入れて行ったが、それだけ新日本もブロディに大きく期待をかけていた証拠だった。
 ブロディは公開練習でブラック・キャットを挙げてドロップキックからキングコングニードロップでKO、金秀洪もパイルドライバーでKOして新日本ファンにキングコングパワーを見せつける。そしてもう一人の主役である猪木も登場して3分間にわたって睨み合いとなり、ブロディの退場後も猪木は基礎練習や寝技中心のスパーリングを披露したが、決選前の予想では誰もがブロディが有利で、ピークの過ぎた猪木では勝てないと予想しており、一部のファンからは「猪木はブロディにとどめを刺され、引退する」と言うものもいたぐらいだった。

試合当日、猪木vsブロディを前にして事件が起きた。第7試合の坂口征二vsビリー・ジャックの試合中に、ブロディが突如猪木の控室に殴り込みをかけ、チェーンで猪木の左肘を滅多打ちにする。猪木の周りはセミを控えていた藤波、若手も付き人の蝶野正洋だけで、ほとんどが試合中のリングサイドに集まっており、また現場責任者の坂口も試合中で誰もブロディを止めることが出来なかった。ブロディが凶行に走った理由は、全日本3月9日の両国大会に参戦した際に、チェーンを振り回したが升席に当たり傷をつけてしまったため、新日本も両国初使用に関してなるべく問題を起こさないようにと考えた新日本が前日になってブロディからチェーンを取り上げようとしており、ブロディのチェーンはアイテムだけでなく自身の魂と考えるブロディは拒否して朝まで揉めていた。その抗議も兼ねてブロディは試合前の猪木を襲撃したが、新日本はもうこの時点でブロディをコントロールできていなかった。

襲撃を受けた猪木は付き人の蝶野に「なんでこんなことするんだ。チクショー! 俺はベストな状態で戦いたかったのに」としゃべりながらも号泣、左腕は大きく腫れあがって曲げられない状態となっており、応急処置を施すためにセミの藤波辰巳vsストロングマシン1号の後で10分間のインターバルが取るなどして対応が取られた。

猪木は入場したものの、いつものガウン姿ではなく臨戦態勢でブロディに痛めつけられた左腕には包帯、拳には赤いタオルが巻かれたままだった。

 試合開始もいきなり猪木が右のパンチで牽制、ブロディが迫り猪木は後ろへ下がりながらいなし、ブロディが迫るとビンタをかますなど、左腕を狙われないように巧みに距離を取る。猪木がヘッドロックからブロディがロープへ振ると、猪木はカウンターでドロップキックを放つが、ブロディは「そんなものは効かない」といわんがかりに叫び、猪木の痛めた左腕を捕らえてハンマーロックで捕らえる。

 猪木はショルダータックルも、キャッチしたブロディはアバランシュホールドからキングコングギロチンドロップを投下し、キングコングスラムから再びハンマーロックで猪木の左腕を狙うが、猪木はナックルで脱出も、ブロディはビックブーツを連発して、圧倒的なパワーを見せつける。
 ブロディは再びハンマーロックで捕らえると、切り返した猪木はブロディの左腕にショルダーアームブリーカーで捕らえ、更に長らく使用していなかったアルゼンチンバックブリーカーは阻止されるも、ブロディのショルダースルー狙いを猪木が蹴り上げ、ミドルキックの連打から延髄斬りを連発して、やっとブロディを膝まつかせる。
 猪木はナックルを連打も、ブロディはドロップキックを放ち、顔面にストンピングを放って場外戦を仕掛けるが、猪木はブロディのペースには付き合わずに先にリングに戻ると、エプロンに昇ったブロディをロープ越しのナックルで強襲、額にも打ち込んで、首投げから首四の字とやっと猪木のペースに持ち込み、逃れたブロディが四つん這いになってノーガードになったところで顔面を蹴り、ナックルを連発してダブルアームスープレックスも、左腕が言うことを効かずに崩れてしまう。
 グラウンドになると猪木はスリーパーで捕らえるが、ブロディは立ち上がるとブレーンバスタースラムも、再度狙うと猪木がブレーンバスターで投げ返し、腕を捕らえて裏十字を狙ったが、体勢が不十分で極めきれず、ブロディが持ち上げようとするが、猪木はブロディの下腹部を蹴って逃れ、怯んだブロディに猪木はナックルも、串刺し狙いはブロディはビックブーツで迎撃すれば、猪木は起こそうとするブロディに顔面蹴りからショルダースルーを狙うも、ブロディは蹴り上げて阻止し、コーナーへ昇るが、猪木は距離を取ったため、ブロディは仕方なくコーナーから降りる。

 猪木は組みつくとコブラツイストで捕らえ、必殺の卍固めへ移行するが、ブロディは払いのけて脱出してボディープレスを投下、ボディースラムからキングコングニーで勝負を狙ったが、猪木は間一髪避けて自爆させると、コーナーからニードロップを投下して延髄斬りを放ち、ブロディはたまらず場外へ逃れる。

 リングに戻った猪木はブロディの足にローキックを連発、関節蹴りやストンピングでブロディの足を狙い撃ちにして、エプロンからも関節蹴りの連打、鉄柵を使った足攻め、アキレス腱固め、ナックル、ローキックとキングコングニーを自爆させた右足を狙い撃ちにして、ブロディの右足が腫れあがって血が滲み出てくる。

 さすがのブロディも猪木からの足への集中攻撃を嫌い、キックで抵抗してコーナーからブレーンチョップを投下、しかし威力がなかったため、猪木は再度ローキックを連発してナックルの連打からバックドロップで投げるも、両者ダウンとなってしまい、猪木がカバーも遅れてカウント2でキックアウトされる。
 猪木は場外へブロディを放り投げると、ブロディの右足にエプロンからストンピング、リングに戻ってローキックも、ロープに倒れ込んだブロディを蹴ったところでミスター高橋レフェリーを巻き込んでしまい無法地帯となってしまう。
 猪木は構わずブロディの足にストンピングを打ちまくり、場外戦でも鉄柵を使ってブロディの足を攻めるも、高橋レフェリーはダウンしたままで起き上がる気配はない。そこで実況席で解説をしていた山本小鉄がリングインして代わりに裁くことなって試合は続行、その間に猪木のドロップキックがタイミングが合わずに失敗すると、ブロディはジャイアントスイングを狙うが、足に来たため失敗し、猪木は延髄斬りを連発して場外へ追いやり、猪木もブロディを場外へ引きずり出してパイルドライバーを敢行も、ここで試合終了のゴングが鳴って両者リングアウト引き分けとなったが、猪木は客席に逃れたブロディにローキックを放ったままバックステージへ雪崩れ込んでいくと、猪木一人がリングに戻って館内の声援に応えた。

 今思えば猪木vsブロディの初対決は噛み合っていたというか、猪木が無理やり噛み合わせようとしていた試合で、ブロディは従わないと言わんばかりに抵抗していた風に感じた試合だった。ブロディがキングコングニーを自爆をしたことで、猪木はローキックで切り崩しにかかったが、あの攻めは明らかにブロディが嫌がるどころか、最後のパイルドライバーも負けを嫌がったブロディが強引に引き分けに持ち込んだ風にも見えた。

 試合後にブロディが徹底的に痛めつけられた右膝に応急処置が施されると「こんな傷は1週間や2週間で快復する。だが、今夜、猪木がやったことはオレの頭から永久に離れないだろう。チェーンを使うなと言われれば、オレは使わない。そんなもの使わなくてもオレは猪木を倒せる。オレは再戦を望む」と再戦をアピールすれば、猪木も「ヤツが望むなら、精根尽きるまでとことんやりたい」と応じる構えを見せて、再戦への機運を高めが、本音は「とんでもないやつを呼んでしまったな」と思っていたかもしれない。

ブロディは7月に新日本に再び参戦、4月は最終戦のみのスポット参戦だったが、今度はシリーズにフル参戦し、タッグで猪木と何度も闘い、7月28日の大阪城ホール、8月1日の両国で2度に渡ってシングルで対戦したが、大阪城では猪木がブロディのチェーンを奪い取り、両国ではイスで殴ったため反則負けを喫し、8月5日はハワイで対戦となったが両者リングアウトとなる。

10月4日の札幌ではブロディは来日前にルー・テーズからグラウンドテクニックの指導を受けたことで、グラウンドテクニックで猪木を圧倒、パイルドライバーなどで猪木を追い詰める。猪木はロープ越しのブレーンバスターから場外戦を仕掛けるも、先にリングに戻ろうとするブロディを猪木が強引にしがみついて場外心中を図って両者リングアウトとなり、猪木は両者リングアウトに持ち込むのがやっとだったと感じで場外でグロッキーも、ブロディは猪木をリングに引きずり戻してパイルドライバーでKOするなど大ダメージを与えた。

 10月31日の東京体育館ではブロディはランバージャックデスマッチを要求すれば、猪木は時間無制限の3本勝負を要求するなど、試合直前までルールでもめ、ブロディ自身も試合をボイコットすることを示唆する。猪木は「結局、自分を高く売ることばかり考えてたんですよ。プライドの高さをそのまま即ギャランティとかに結びつけちゃう…プロですからそれは当然構わないんだけど、ちょっとそのやり方が度を越してたね。こっちが『よし、今日は徹底的にやるぞ!』ってテンションを高めているときに、直前になって突然、『試合をやらない』って言い出すんだから…。これから闘おうってときに、俺が控え室まで乗り込んだこともありましたよ」』と後年答えていた通り、新日本はブロディを完全にコントロールできない状態に陥っていた。

 馬場がブロディを無理に引き留めようとしなかった理由の一つは、新日本はブロディをコントロールと出来ない見ていたからで、馬場はおそらくNWAの各エリアからブロディの評判を聞いていたことから、ブロディを単独で主役にせず、常に同格のレスラーを参戦させて、ブロディ一人のワガママを押し通さないようにしていたが、新日本の場合は常にブロディを主役にしてしまったため、わがままを言いやすい環境になっていた。

 先に入場していた猪木に対してブロディは後で入場するも、なかなか姿を見せないため、焦れた猪木はバックステージへと下がってしまう。そこで入れ替わりにブロディが現れて、実況席でゲスト解説を務めていた藤波を襲うと、猪木が颯爽と現れてブロディに襲い掛かって試合開始、後半にブロディがアメフトタックルの連発、セカンドコーナーのキングコングニー、パイルドライバーで猪木を追い詰めていったが、場外戦でのパイルドライバー狙いを猪木がリバースして流れを変え、延髄斬りやナックルで反撃する。これに怒ったブロディはチェーンを持ち出して猪木に襲い掛かったため反則負けとなり、これが猪木がブロディ戦での唯一の勝利となった。

 ブロディは全日本プロレスの「81世界最強タッグ決定リーグ戦」で優勝した時のパートナーであるジミー・スヌーカーとの野獣コンビを再結成させて、「IWGPタッグリーグ戦」にエントリーした。ブロディのパートナーにスヌーカーを起用したのはワガママなブロディに対してのストッパー役として期待したからだった。リーグ戦は野獣コンビがトップで、猪木&坂口の黄金コンビ、藤波&木村健悟のニューリーダーズが2位で同点となり、黄金コンビvsニューリーダーズの勝者が優勝決定戦で野獣コンビと対戦する予定になっていた。ところが、ブロディは最終戦が行われる仙台行きの新幹線に乗っていたのにも関わらず、スヌーカーと共に途中下車して東京へ戻ってしまい、出場をボイコットしてしまった。ブロディは前日に坂口とシングルで対戦した際に徹底的に坂口の足を痛めつけて負傷させていたという。ブロディがボイコットしたと報告を受けた猪木は「止めなくていい」と引き留めるつもりもなく、優勝決定戦は黄金コンビvsニューリーダーズで行われ、藤波がドラゴンスープレックスホールドで猪木から初フォールを奪うという感動的な試合をしたことで、ブロディの穴を埋めた。

 ブロディは同日に全日本プロレスの武道館大会に現れるのではないかと噂されていたが、馬場は「アイツにそんな度胸はないだろう、うちには一切関係ない、迷惑だ」と否定し、帰京したブロディは馬場の予測通りに全日本には現れずホテルで会見を開き「新日本を選んだのはミステークだった」「約束通りにギャラをもらってない、新日本は約束を守らない」と批判して新日本と絶縁して日本を去っていった。

 ブロディがなぜボイコットをしたのかわからない、馬場がブロディを引き留めなかった理由の一つとして「ハンセンや長州ほど集客力がなかった」と話していた通り、新日本で名を売ったハンセンと長州と比べ、全日本一本だったブロディは常に客を呼べるレスラーではなく、新日本プロレスマットでは移籍時のインパクトや猪木との激闘でブロディの商品価値が上がったかに見えたが、この時期の新日本プロレスは長州ら大量離脱の影響もまだ残っており、思ったより集客に繋がっていなかったことで期待外れとなっていたのだ。そういう状況で新日本がタッグリーグ戦中に前田日明らUWF勢が現れ参戦をアピールしたが、前田らの参戦もブロディにも大きな影響を与えていたと思う。WWFとも提携を切ったことで自身中心で周り始めた新日本に前田らが参戦することで主役を取って代わられることをブロディが嫌がったのではないだろうか…

 ブロディがタッグリーグをボイコットしたことで、新日本との接点は消えたかに見えたが、猪木が遠征先のハワイのビーチでブロディと再会、新日本に再び参戦することをアピールしたが、この時はがIWGPタッグリーグ戦のギャラが未払いだったこともあって、未払い分の清算を求めての参戦だった。猪木とブロディは9月16日の大阪城ホールで対戦し試合は60分フルタイムドローに終わったが、この試合は「ワールドプロレスリング」でダイジェスト程度しか放送されなかった。実は試合直前でもブロディと新日本側は揉めており、試合が無事行われるかわからないということで放送できなかったという。

ブロディは86ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦に特別参戦が決まり、前田とのシングルが組まれていたが、新日本側とまたトラブルとなって来日をキャンセル、これを受けてブロディは新日本から追放され、全日本との引き抜き防止協定にもリストに入っていたことから、1988年に全日本プロレスに復帰するまではブロディは日本マットから締め出された。猪木にしてみればボブ・ループ同様にブロディとは二度と関わり合いたくないレスラーの一人だったのかもしれない。

(参考資料=ベースボールマガジン社「日本プロレス事件史Vol.27 反逆・決起の時 GスピリッツVol.40 金曜8時の新日本プロレスPART3 狂騒の80年代編、猪木vsブロディは新日本プロレスワールドで視聴できます)

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