負けたら即引退?橋本真也vs小川直也!②1・4事変…追い詰められた破壊王


新日本プロレスとUFO、様々な思惑が絡む中で1999年1月4日の東京ドーム大会が開催され、橋本真也と小川直也が再び対戦することになった。ことのきっかけはUFO旗揚げ前にアントニオ猪木がドン・フライ、ケンドー・カシン、藤田和之の起用法を巡って新日本プロレスを批判し、新日本プロレスへ引き抜くことを表明したからだった。
現場監督である長州力はUFOを相手にするつもりでなく、橋本真也も「引き抜き云々ではなく、猪木さんにはUFOの選手を育てて欲しい」とエールを送りつつ相手にするつもりはなかったが、UFO旗揚げ戦で赤字を出したことで存在自体が疑問視されたとしても、このまま失敗に終われば猪木の面子は丸つぶれになることから、新日本プロレスも猪木やUFOの存在を無視するわけにはいかなかった。
UFOの第2弾興行が12月30日に大阪城ホールで開催されることが発表されると、猪木は橋本に対して「小川にジェラシーを感じているなら、正々堂々と12月30日に出てきて、小川とやればいい」と発言したことで、新日本プロレスは猪木率いるUFOと対抗戦をやることになり、対抗戦の大将格に橋本を指名したが、新日本プロレスは猪木の存在を無視できず、猪木にしても新日本プロレスとの関係は切り難いだけでなく、フライ相手でも好勝負が出来ない小川とまともにやりえるのは橋本しかいない、それは新日本プロレスにしても同じ意見だったと思う。双方が思惑が絡んでいたことで、橋本と小川が3度目の対戦が実現することになった。

この頃の橋本は1997年8月31日の横浜アリーナ大会で佐々木健介に敗れてIWGPヘビー級王座から転落してからは、IWGPヘビー級戦線から大きく後退してしまい、また引退しても現場監督として留まる長州力と対立したことで、新日本でも扱いづらい存在になっていた。
10月には王者となっていたスコット・ノートンに挑戦して敗れて、IWGPヘビー級戦線からも外されてしまうと、新日本プロレスはIWGPヘビー級挑戦者決定トーナメントの開催を発表し、橋本をエントリーさせたことで、長期に渡ってIWGPヘビー級王座を守り抜いた橋本は他の選手と横一線にされたことで、怒り新日本プロレス側を批判、これを受けて新日本プロレスは橋本に対して無期限の謹慎処分を言い渡す。後に渉外を担当していた永島勝司氏は「あのときの新日本は橋本真也がいらなかった」とコメントしていたが、この頃の新日本は武藤敬司や蝶野正洋がおり、陰りが見え始めていたがnWo人気もまだまだ健在だったこともあって、橋本は必ずとしても必要とされるの存在ではなくなっていた。
謹慎を言い渡されてしまった、橋本は新日本プロレスや長州への不信感から来るストレスでますます練習をしなくなっており、謹慎処分が降される前から決まっていたカードだったこともあって予定通りに行われた。だが橋本は新日本への不信感から来るストレスでますます練習をしなくなり、謹慎前にも高血圧で倒れるなどコンディションは最悪のまま1・4東京ドーム大会を迎えてしまった

試合はローキックを仕掛ける橋本に対し、小川は掌底で応戦、橋本は胴タックルからコーバーへと押し込むが、膠着したためタイガー服部レフェリーが分ける。スタンディングで打撃戦で橋本がロープへと押し込むと小川がフロントスリーパーを決めながら、橋本の首筋や背中あたりにエルボーを落とし、プロレスでは禁じ手のため服部レフェリーは分けようとするが小川は離さず、倒れこむ橋本にマウントで捕らえてパウンドを落としてから腕十字で捕らえる。
橋本はたまらずロープへ逃れるが、小川は倒れている橋本に蹴り、後頭部にパンチを浴びせる。挑発する小川に橋本は胴タックルから再度ロープへ押し込むが、小川はフロントスリーパーで捕らえ、服部レフェリーは試合を軌道修正しようとして分けようとするが、橋本は試合を壊そうとして服部レフェリーを蹴る。おそらく橋本自身も小川が仕掛けてきたことを察知して、試合にならないと判断したと思う、ところがレフェリーが完全にダウンしてしまったことでリングは無法地帯となってしまい、セコンドもどう対処していいかわからず、誰もリングに入って試合を止めようとしない。


 ルール無用の状態となった小川は亀になった橋本を容赦なくバックマウントで捕らえてパウンドで殴りつけ、スリーパーを狙うも逃れた橋本を横四方からアームロック、それでも逃れる橋本にパウンドを落とし、ダウンする橋本の後頭部を殴り蹴りつける。橋本は花道に逃れるもダウンしたまま立ち上がれず、小川が挑発しているところで試合終了のゴング、試合は無効試合となるも、内容的にも小川は橋本の攻撃を全く受けず、一方的に仕掛けてくる小川の前に橋本は全く対処できないまま無残にも潰された。

試合後に小川が「みなさん、目を覚ましてください」とアピールして飛行機ポーズを取ったところで、リングに上がっていた新日本プロレス勢とUFO勢が乱闘を始め、現場監督の聴衆もリングに上がって小川に詰め寄るなど一触即発となった

後年、小川はバラエティー番組に出演した際に「猪木さんに、ちょっと来いと言われて」と試合前にハッパを掛けられたことを告白。「これは世紀をかけた一戦にするから、お前やってこい」と肩を押され、「一方的に蹴りまくって、最後は蹴って、リングから出すまでやれ、と言われたんです」と、裏で指示を受けていたことを明かし「結局、最後は猪木さんが絵を描いたんだな、と。そこまで読んで」と猪木の描いたシナリオであることを明かしていたが、果たしてここまで一方的な試合になるとは想定していただろうか、大会当日は猪木が毛嫌いしている大仁田厚も参戦したこともあって、大仁田の存在を消すには、それ以上の大きなインパクトを出さなければならない、だから小川に仕掛けることを命じたが、橋本もプロレスラー、小川から仕掛けられても、柔道をベースにしている橋本なら対応できると考えていたのではないだろうか、だが橋本はストレスと練習不足も重なり心身ともに最悪のコンディションで、小川との試合に臨んでしまったことから対応できなかった。それを考えると猪木からしてみれば、1・4事変は橋本のコンディション不良から起きたハプニングだったのかもしれない。

 試合が終わってから新日本とUFO側との駆け引きが始まり、全試合終了後に長州が会見を開くと「オレは今日という今日はアントニオ猪木にブチ切れた。今日のUFOとの一件は、全てオレが対処する」と猪木に対してへの果たし状を突きつける。長州も1・4事変は新日本とUFO双方ともセコンドが駆けつけて乱闘状態となったことで、小川とUFOという美味しい素材が手に入ったと考えていた。
ところが社長である坂口征二が「UFOとは絶縁します、UFOの3月14日横浜アリーナには新日本の選手は出ないし、4月10日のウチの東京ドーム大会もUFOの選手が上がることはない」と一転してUFOとの対抗戦を否定してしまう。1・4事変を受けて橋本が選手会長を務める選手会から「UFOや猪木と縁を切ってほしい」と現場監督の長州を通さずに社長である坂口に抗議していた。選手会は橋本が選手会長を務めることで事実上牛耳っており、橋本自身が新日本に対して意向を通し、権力を振るえる場ともなっていた。坂口も選手会の意向を無視するわけにはいかず、新日本はUFOを絶縁せざる得なくなっていた。
2月24日に猪木と坂口が会談して、猪木が1・4事変のことで坂口に謝罪する。猪木が坂口に頭を下げたのは、これまでUFOの興行は新日本がバックアップしてきたものの、新日本が撤退したことで独自で運営せざる得なくなっていたが、3月14日UFO横浜アリーナ大会のチケットが売り上げが伸び悩んでおり苦戦を強いられていたことから、猪木も「やっぱり新日本のバックアップが必要」と感じて頭を下げに来たのだ。猪木から頭を下げたことで坂口の態度も軟化したが、選手会の決定事項は簡単に覆すことは簡単でないことから、猪木に協力することは出来ず、時間を要することが必要と考え、最終的に新日本のUFOの関係は絶縁から冷却期間へと変わったことで落ち着いた。

 新日本の協力を得られなかったUFOは独自で3月14日の横浜アリーナ大会を開催、NWAと提携したことで格闘路線からアメリカンプロレス路線へ転換し、小川もダン・スバーンを破ってNWA世界ヘビー級王座を奪取したが、観客動員は6割の入りで惨敗に終わってしまう。大会終了後のパーティーでは佐山が猪木から小川をPRIDEに出場させるつもりだと明かされると、小川にMMAの練習をさせていないことから、佐山が猛反発して猪木と口論となったことがきっかけにUFOから撤退してしまう。佐山は元々格闘技は神聖なものと考えており、興行として行うことに抵抗を感じていた。

 橋本は新日本との契約更改は終えたものの復帰のめどが立っておらず、ジャイアント馬場死去後の全日本プロレス5月2日の東京ドーム大会で川田利明相手に復帰戦を計画されたが、オーナーだった馬場元子から丁重に断られていた。それでも永島勝司取締役は橋本の復帰戦の場を設けるために奔走し、新日本プロレス6月8日武道館大会で天龍源一郎相手に復帰戦が決定、橋本もウエートを絞るなどベストコンディションで臨もうとしていたが、橋本は練習中に右肩を脱臼してしまい、痛み止めを打って復帰戦に臨もうとした試合前に、長州によって副現場責任者に就任していた越中詩郎から選手会の経費問題のことで追及されてしまう。橋本は復帰戦の前に選手会長を辞任し平田淳嗣が新会長になったが、引き継ぎの際に経費の杜撰さが明らかになっていた。試合前に越中に問題を追及された橋本はメンタル面を低下させてしまい、試合でも天龍のノド笛チョップの前にあっけなく敗れてしまった。

 新日本の状況も変わり、猪木の意向で坂口が社長から会長へと棚上げされ、社長には自身の意向が通りやすい藤波辰爾を就任させた。猪木は最初こそはvsUFOを肯定していた長州に社長就任を打診していたが、長州はジャパンプロレス時代に社長に就任したものの、代表権もないお飾り的な社長を経験していたのもあって、自分が就任しても猪木がオーナーで自身はあくまでお飾り的な立場には変わらないと考えた上で断っていた。

 新社長となった藤波は橋本と連絡を取った。藤波が橋本と直接会おうとしたのは、橋本が長州のことを嫌っていたことを充分にわかっており、藤波の尊敬する徳川家康にちなんで、押しでダメなら引いてみろ、長州の強気な態度では、橋本はますます打ち解けようとしない、柔軟な対応で橋本を口説き落とそうと考えていたのかもしれない。橋本は新日本への不信感、長州への不満が募って人間不信の陥りなかなか電話を取ろうとしなかった。それでも藤波が何度も橋本に連絡したことで、やっと橋本がファミレスで藤波と会ったが、誰にも会いたくないということで、ファミレスで待ち合わせしたのは午前1時だった。藤波はUWFがUターンした際に、誰もが対戦を嫌がった前田日明戦を一身に引き受け、何が何でもやり通した経験談を話して、小川との再戦を促す。話を終えた頃には夜明けの6時となって、返事は保留となったが、2度目に会談でやっと橋本が前向きとなって、小川との再戦を決意する。これでフロントも選手会もvsUFOも猪木や長州の思惑通りになったが、藤波が橋本を手なずけてしまったことで、橋本vs小川の主導権は長州ではなく、猪木と藤波に握られてしまった。

10月11日東京ドーム大会で橋本vs小川の第4戦が小川の保持するNWA世界ヘビー級王座をかけて実現とし、立会人として猪木、藤波がレフェリーとして裁くことになった、試合はローキックの連打を浴びせた小川が橋本にSTOを何度も決め、ダウンする橋本を蹴りつける。それでも立ち上がった橋本は小川の脛にローキックを浴びせ怯ませたかに見えたが、小川が再びSTOを炸裂させるとバックドロップで投げ、再びSTO、払い腰、STOで橋本を追い詰める。


橋本は一旦場外へエスケープすると再びリングに上がるが、小川はミドルキック、払い腰、STOを連発する。橋本はダウンしてなお抵抗して起き上がるが、小川はナックルを浴びせて橋本はダウン、それでも立ち上がる橋本を小川が殴りつけてダウンさせるも、橋本は必死で立ち上がる。
小川は橋本の頭部を何度もキックを浴びせて橋本はダウンするも、ここで立会人の猪木が乱入して小川を殴りつけて試合をストップさせ、小川が勝利となり、完敗を喫した橋本は完全の追い詰められた状況となっていった。

(参考資料 宝島社「証言1・4 橋本vs小川」金沢克彦「子殺し」ベースボールマガジン社Vol.16「引退の余波」)

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