1983年8月4日の新日本プロレス蔵前国技館大会、セミファイナルでは初代タイガーマスクがNWA世界ジュニアヘビー級王座をかけて寺西勇と対戦、寺西の老獪なテクニックにタイガーが苦しみ、寺西もジャーマンスープレックスホールドを決めてあわやの場面を作ったが、タイガーがタイガースープレックスホールドで3カウントを奪い王座を防衛するも、誰もがこの試合を最後にタイガーがリングから去るとは思わなかった。

昭和56年4月にデビューしたタイガーマスクは大人気となり、昭和57年に絶対的エースだったアントニオ猪木が2度に渡って体調不良で欠場となっても、超満員が続くなど、猪木不在でも充分に穴を埋められる存在となっていった。
だがその反面タイガーこと佐山聡は、マーシャルアーツに挑戦してから格闘技に興味を持ち始め、猪木から新日本内で格闘技部門を立ち上げ、佐山を格闘部門の選手にするという約束を猪木としていたが、約束を果たされる気配はなく、自身の結婚の巡ってタイガーマスクのイメージが崩れるとして新間氏が海外の極秘結婚にしろと強要されるなど不満を抱えていた。また原作者の梶原一騎と新日本の間でもタイガーマスクの版権を巡ってトラブルも発生するだけでなく、梶原も別件の恐喝で逮捕される事態も起き、これを受けて新日本プロレスもタイガーマスクのリングネームを返上して改名することを検討していた。
タイガーの身辺でゴタゴタが続く中、タイガーは曽川庄司ことショウ・コンチャという人物と知り合う。コンチャは大塚直樹氏の知り合いの実業家で新日本の興行を請け負っていたが、反体制勢力との付き合いもあった人物だった。コンチャはタイガーの運転手となってから、タイガーに密着し始め、信頼を得るとタイガーの個人的マネージャーとなって、新日本の一員として振舞うようになり、新間氏もタイガーと話をしようとしても、コンチャが割って入ってくるため、満足な話し合いが出来ず、タイガーに対してコンチャと手を切るように迫っていた。

ところがコンチャはタイガーにギャラだけでなく、試合以外のサイン会などのイベント関係も、新間氏が搾取してアントニオ猪木の事業であるアントンハイセルに流れていることを吹き込む、この頃の猪木は「アントンハイセル」なる事業を起業していたが、資金がつぎ込んだのにも関わらず赤字が続いて軌道に乗らず、猪木や新間氏も補填のために新日本の莫大な売り上げをハイセルに注ぎ込んでしまっていた。タイガーも新日本に対して様々な不満が重なったこともあってコンチャの讒言を信じ込んでしまい、新間氏との関係も破綻寸前となる。
そういう状況の中でコンチャは大塚氏から退社して新団体を興す話を明かされる。大塚氏は新日本の株主総会で株主の一人として出席した際に売り上げが20億円もあったのにもかかわらず、繰越利益が725万円しかなかったことを知ると、愕然としてしまい、その売り上げがハイセルに流れていることを知っていたことから、新日本に嫌気を差して加藤一良氏らと共に退社して興行会社を興すことになっていたが、取締役の一人である山本小鉄に相談すると、藤波を中心とする新団体を設立することを持ちかけられていた。藤波も契約更改でギャラアップどころか現状維持で留められ、またかおり夫人の実家にも数千万単位で猪木が借りていることから、新日本に対して不満を持っていた。
コンチャは新団体に興味を抱き、大塚氏も人気絶大のタイガーが加わるならと、共に小鉄、藤波、大塚を中心とした新団体グループに加えたが、新団体構想にコンチャが加わっていないことがわかるとコンチャが不満を露にする。大塚氏もコンチャが反体制勢力に身を置いていることもあって信用しておらず、小鉄や藤波にも「決してコンチャと話し合わないで欲しい」と言い渡していたが、コンチャはタイガーに 「新間と大塚は絶対に離れない、新団体を作ったとしても、新間が大塚の上にきて上手い汁を吸われてしまう」 と新団体の黒幕は新間氏であるとタイガーを吹き込み、藤波と当時営業の一人だった上井文彦、吉田稔両氏を抱きこんで個人プロダクション設立へと動き出し、長州力をも勧誘しようとしていた。しかしこの話は表向きはコンチャと同調しながらも内心は不安視していた藤波が大塚、大塚氏が信頼していた永源遥に知らせ、タイガーらの動きを警戒しだしていたが、藤波は密かに別の人物にもこの話を知らせていた。
「83サマーファイトシリーズ」最終戦が8月4日の蔵前国技館で行われ、リング上でタイガーマスクのリングネームを返上=改名が発表された。新間氏によると新リングネームは梶原と決別する意味でタイガーの名を外し「空かける騎士」としてライダー・イン・ザ・スカイを考え、鉄仮面をイメージとしたマスクを予定していたという。次期シリーズはタイガーのさよならシリーズとして行い、新リングネームとマスクが公開される段取りとなっていた。
ところが8月10日、下関でサイン会を行う予定だったドタキャンし、そのまま消息を絶ってしまった。(続く)
(参考資料 宝島社「クーデター80年代COUP D ETAT 新日本プロレス秘史」大塚直樹著 GスピリッツVol.16 「続・猛虎伝説の最深部を探る」)