国際プロレス、全日本プロレスで活躍したジェリー・モローさんが7月28日に死去していたことが明らかになった。享年75歳。
モローさんはジャック・クレイボーンさんの実弟で、1971年に兄が日本での主戦場としていた国際プロレスに留学入門、同年7月6日のに、エティフィア・ジェラールの名で佐野浅太郎を相手にデビュー、後に稲妻二郎のリングネームを与えられた、


モローさんは日本陣営側で戦っていたが、国際プロレス側の都合でザ・ワイルド・ヌウやザ・キラーなどのマスクマンに変身し、外国人陣営側でも参戦したことがあり、ラッシャー木村とも金網デスマッチで対戦、素顔に戻ると韓国遠征の際には大木金太郎の保持しているインターナショナルヘビー級王座にも挑戦した。

1975年にはカナダへ遠征したことをきっかけに、カナダに主戦場を置き、カナダと日本を股にかけて活躍、1981年にはカルガリーを主戦場にしていたが、国際プロレスは崩壊、古巣の崩壊にはモローさんも涙をしたという。
1983年からはジェリー・モローのリングネームで全日本プロレスに参戦、国際プロレスで一緒だったマイティ井上、阿修羅原の保持するアジアタッグ王座に、国際プロレスのエース外国人だったジプシー・ジョーと組んで挑戦、全日本プロレスでは中堅外国人選手として活躍した。

1984年には顧問を務めていた吉原功氏の誘いで、新日本プロレスに参戦、第5回MSGタッグリーグではアンドレ・ザ・ジャイアントと組んでエントリーし、1987年にはレフェリーも務め、越中詩郎vs髙田伸彦戦のIWGPジュニアヘビー級選手権を裁いた。
それ以降は来日が途絶えたが、1989年にはSWSに参戦、以降PWCやIWA格闘志塾にも参戦、1998年2月に当時カナディアンロッキーズとして組んでいたエッジ&クリスチャン・ゲイジと共に新東京プロレスに参戦した後で引退、近年では『Gスピリッツ』で連載している『実録・国際プロレス』でインタビューに答えていた
ご冥福をお祈りします


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