永島勝司


東京スポーツで新日本プロレス番記者を務め、新日本プロレスでは取締役、WJプロレスでも取締役を務めた永島勝司さんが死去したことが明らかになった。享年82歳

東京スポーツでは運動部記者、整理部長として活躍後、故アントニオ猪木の右腕となり。1988年に新日本プロレスに入社、現場監督だった長州力と二人三脚で北朝鮮・平壌での「平和の祭典」、同年10月の「新日本対UWFインナーナショナル全面戦争」に、98年4月の「アントニオ猪木引退試合」など、様々なイベントをプロデュースしてきた
2003年に長州と組んでWJプロレスを旗揚げするが、様々なトラブルが重なって失敗、長州と袂を分かち、プロレス評論家、ライターに専念。2023年にはDDTで開催された屋形船プロレスでは乗船を予定されていたが、体調不良で辞退していた。

ご冥福をお祈りいたします

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