2022年11月発行された「GスピリッツVol.35」(今回の参考資料)でこんなものが発掘された。

見た目はハーリー・レイスモデルのNWA世界ヘビー級ベルトだが、かつて新日本プロレスに存在し、全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級王座の前身であるインターナショナルジュニアヘビー級ベルトだという。
1948年7月に世界最大のプロレス組織であるNWAが誕生、ヘビー級王者はルー・テーズ、ジュニアヘビー級王者にはレロイ・マグガークが王者なったが、その3か月後にマグガーグが交通事故で失明し引退に追いやられる。そこでNWAはこれまでのマグガーグの功績を称え、ジュニアヘビー級王座の管理・運営権を一任し、マグガーグは地元であるオクラホマでプロモーター業を開業する。空位となったジュニアヘビー級王座決定トーナメントを開催され、後にAWAの帝王となるバーン・ガニアが新王者となり、マグガーグのエリアはオクラホマだけでなくアーカンソー、ルイジアナ、ミシシッピと勢力を拡大し、以降マグガーグのエリアはNWAトライステートと呼ばれるようになった。

ジュニアヘビー級王座はフレッド・ブラッシー、ドリー・ファンク・シニア、マイク・デビアスなどが王者となったが、1960年にダニー・ホッジが王者になると8度王座に就くことで一時代を築き、ホッジを破ったヒロ・マツダが王者になったことで日本に知られる王座となった。


1976年にホッジも交通事故での首の負傷で引退すると、1979年にネルソン・ロイヤルが王者となるが、NWAのメンバーでない国際プロレスのリングで阿修羅・原相手に防衛戦が行われる事態が起きる。これにはNWAのメンバーである全日本プロレスのジャイアント馬場、新日本プロレスの新間寿氏が揃って会見を開き、「国際プロレスが行う選手権は無効だ」と声明を出す。


新日本プロレスは当時国際プロレスと提携をしていたが、密かにWWFジュニアヘビー級王者だった藤波辰巳をNWA世界ジュニアヘビー級王座にするプランを立てており、NWA世界ジュニアヘビー級王座はロイヤルの前王者だったマド・マドリルが返上してから空位と確認し、マグガーグのエリアでブッカーをしていたビル・ワットとNWA総会で会った際に王座決定戦に藤波をエントリーさせたいと働きかけていた。ところが、どういうわけかロイヤルが王者と名乗って私物化してしまい、国際プロレスで防衛戦をすることになったことで、NWAの面子を重視する馬場を利用してストップをかけようとしたのだ。
結局、国際プロレスでのNWA世界ジュニアヘビー級選手権は予定通りに行われたが、ロイヤルの持ち込んだベルトはロイヤルの個人所有のベルトで正規のベルトではなく、選手権も引き分けになったことで王座移動はならなかった。
新間氏も空位となったNWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦に藤波を出場させることを発表したが、いつになっても王座決定戦が開催されないどころか、”もう開催している””来年開催する予定”と情報が錯綜してはっきりしない、理由はこの時点でマグガーグとワットの間で対立が生じており、ワットはルイジアナを拠点としてMSWAを旗揚げしてトライステート地区は分裂状態に陥っていたからで、またMSWAにはトライステートに属していた選手がほとんど移籍してしまい、マグガーグの影響力は低下していた。新間氏がマグガーグではなくワットと交渉したのは、高齢で影響力が低下したマグガーグは総会に出席しなくなり、代わりにワットが出席していたからだった。
そのためNWA世界ジュニアヘビー級王座の管理・運営が杜撰になっていたことに気づいた新間氏はNWA会長にもなったフロリダの有力プロモーターであるエディ・グラハムに働きかけて新しいジュニアヘビー級王座を創設する。それがNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座だった。
初代王者にはグラハムのエリアからスティーブ・カーンが認定され、オクラホマで開催された王座決定戦で王者になったという触れ込みで来日、藤波が挑戦したが、用意されたのは正規のベルトではなく、新設されたベルトだったが、レイスモデルのベルトではなく、全く別物のベルトだった。

なぜレイスモデルが使われなかったのかというと、ベルトを制作する際にライターや財布等貴金属加工を手掛ける吉永プリンスに発注し、その際にレイスモデルそっくりのベルトを製作するように依頼していた。ところが思ったより手が込んだため納期に間に合わず、鉄板にありもののパーツを貼り付けただけのベルトが使われることになり、グラハムの要望でフロリダへ送られ、そのまま使われたのだ。
1980年1月にエディと元NWA世界ジュニアヘビー級王者であるマツダが立会人として来日し、その場で「今までアメリカの一部(オクラホマ)と日本の一部(全日本プロレス、国際プロレス)で行われてきたタイトルとは違い、インターナショナルという名称を加える」ということで、NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座と名付けられた。新間氏もインターナショナルという名称は考えてなかったが、エディの強い要望で名付けられるも、テレビ朝日の「ワールドプロレスリング」では一貫してNWA世界ジュニアヘビー級インターナショナル選手権と呼んでいた。
カーンvs藤波によるNWAインターナショナルジュニアヘビー級選手権は2月1日の札幌で行われ、藤波がカーンを破り新王者となってWWFジュニアヘビー級王座も含めて2冠王となったが、NWA世界ジュニアヘビー級王座の管理権を持つマグガーグも黙っておらず王座決定戦を開催しロン・スターを新王者とする。だが、グラハムもマグガーグの動きは事前に察知しており、初代王者であるカーンとNWA会長だったボブ・ガイゲルと一緒にインタビューした映像を収録していた。その映像ではガイケルが「このタイトルは世界の門戸を広げて挑戦者を募るために新設された」と説明されたことから、事実上NWAが認めたベルトとなり、その映像は「ワールドプロレスリング」でも公開された。これを見た馬場も総会を無視してベルトを創設したことに怒り、ガイゲルに抗議したと思うが、ガイゲルもNWA会長とは言え、NWAの有力プロモーターの一人であるグラハムの意向を無視することは出来なかったのかもしれない。その後、NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座はNWA総会で正式に承認された。

こうしてNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座は藤波が王者となって始動するが、15日にフロリダで行われた初防衛戦でグラハムの息子であるマイク・グラハムに敗れ王座から転落し14日天下となってしまうも、4月4日の川崎で行われたマイク・グラハムとの再戦では破って王座を奪還、再び2冠王になる。

ところが藤波は6月27日の苫小牧大会でアントニオ猪木と組んでバットニュース・アレン&ジョニー・マンテル組と対戦した際に、乱入したタイガー・ジェット・シンと上田馬之助に右手を鉄柱に叩きつけられ、藤波は右手薬指の複雑骨折の重傷を負い、7月2日に予定されていたマンテルとの防衛戦は藤波の欠場で中止になり、王座は返上を余儀なくされる。

23日の福岡で藤波のライバルとして売り出されていた木村健吾(木村健悟)がブレット・ハートとの王座決定戦で破り新王者となり、9月25日の広島で藤波が王者となった木村に挑戦したが、両者KOで王座奪還はならなかった。


11月3日の蔵前大会でチャボが木村を破って新王者となり、その際にチャボは主戦場にしていたロサンゼルスで防衛戦をしたいと要望すると、新間氏も認めて1月に再来日することを約束させたうえで、チャボがベルトを持ち帰らせたが、なんとチャボがロサンゼルスのプロモーターであるマイク・ラベールとギャラを巡って揉めてしまい、ベルトを持ったままロサンゼルスのエリアから離脱してしまう。

ロスアンゼルスから離脱したチャボはNWAが認めたベルトということを大いに利用してNWA主要エリアで防衛戦を行い、家族ぐるみで付き合いがあったザ・ファンクスの誘いを受けて全日本プロレスへ日本での主戦場を移し、王座も大仁田厚に渡ったことで、インターナショナルジュニアヘビー級王座は全日本プロレス王座となり、その後NWAから管理・運営をPWFへ永久に一任されることになってPWF認定の世界ジュニアヘビー級王座として生まれ変わり、ベルトも新設、現在は5代目のベルトが使われている。


その後、レイスモデルのベルトはどうなったのかというと一応は完成するが、その後マグガーグが1982年にプロモーターから引退し興行権を全てワットに譲渡する。ワットはNWA世界ジュニアヘビー級王座の管理権は引き継がなかったため管理者不在のベルトになってしまい、それに目をつけた新間氏が個人所有として防衛を続けていた王者だったレス・ソントンに初代タイガーマスクが挑戦し王座を奪取したことで正規のベルトを獲得、そのまま新日本プロレスのベルトなったことでレイスモデルのベルトは不必要な存在になり、東京・西新宿西落合で「レストラン香港」のオーナーである高梨正信氏の手に渡った。

高梨氏はかつてリキスポーツパレスで総料理長を務め、リキパレスが売却された後はレストランを経営しつつ新日本プロレスの興行を請け負うプロモーターの一人となっていた。高梨氏は新日本プロレスの営業マンから「使わなくなったから引き取ってくれ」とレイスモデルのベルトを置いてってしまい、高梨氏もそのまま所有、一旦は長年世話になった知人に譲ったものの、その知人が亡くなり家族が遺品が整理した際にベルトを見つけたことで、高梨氏に返却され現在も高梨氏は保有している。そのベルトは現在高梨ベルトと名付けられている。
新間氏も発見された高梨ベルトを見て製作した経緯を語り、藤波も取材で来店して高梨ベルトを肩にかけた。もし納期に間に合っていたら高梨ベルトを藤波の腰に巻かれていたかもしれない。



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