ジャンボ鶴田vs長州力、最初で最後の対決は名勝負だったのか…?


1985年11月4日、ジャパンプロレス「ニューウェーブ・イン・ジャパン」大阪城ホール大会で長州力vsジャンボ鶴田の一騎打ちが実現した。

1985年1月から全日本プロレスに長州力率いるジャパンプロレス勢が参戦することで、これまで日本人vs外国人が主流だった全日本プロレスは日本人抗争路線に大きく舵を切った。

しかしvs長州の前面に出たのは天龍源一郎で鶴田は一歩引いた立場でいた。理由は「AWA世界王者にもなっている鶴田は世界的なレスラーであり、長州より格上である」と全日本プロレスが方針を打ち立てており、鶴田自身も「僕の場合は長州だけに的を置いているわけじゃないから、いろいろな敵がいる中の一人に長州も入ってきたという感覚で捉えてますよ」とあくまで長州の全日本プロレス参戦を冷静にとらえており、そのせいもあって長州も鶴田とはタッグで対戦しても、天龍との戦いに軸を置いていた。

鶴田と長州は1972年に開催されたミュンヘンオリンピックにレスリングで出場、翌年に鶴田は全日本プロレス、長州が新日本プロレス入りするが、二人は共にミュンヘンオリンピックに出場しただけで縁があるわけでなく、ライバルとして意識し合う関係でもなかった。また鶴田もデビューしてすぐトップレスラーとして扱われたのに対し、長州はトップ候補として扱われながらもスランプとなってから中堅で燻り、1982年に革命戦士としてブレイクを果たすまで下積みを経験するなど、レスラー人生としても正反対の道を歩み、1983年のプロレス大賞席上でも二人は握手を交わした程度だった。

その接点がなかった二人が意識し合ったのは突然の事だった。1985年6月21日の日本武道館大会ではジャイアント馬場vsラッシャー木村のPWFヘビー級選手権、天龍vs長州のUNヘビー級選手権、タイガーマスク(三沢光晴)vs小林邦昭のインターナショナルジュニアヘビー級選手権の3大タイトルマッチが組まれ、鶴田は石川敬士と大熊元司と組みアニマル浜口&キラー・カーン&谷津嘉章との6人タッグマッチが組まれたが、長州が同席した会見の席上で鶴田が「正直言って不本意ですね…、どうせだったら天龍選手のように長州やカーンとシングルをやってみたいです」と突然発言する。
鶴田の発言に長州がカチンときたのか「おい、いい加減にしろよ!一方的に言いたいことを言いやがって!勘違いするんじゃない。オマエはいつも楽な立場に立って。オレ達に胸を貸していると思ってるのかよ!ふざけんな、いつも五分の戦いをやっているんだぞ、オレ達は!本気ならオレとの一騎打ちを代表(馬場)に頼めばいいだろう!」と激怒して鶴田に食ってかかり乱闘にまで発展、長州は「こんなふざけた会見があるか!?武道館のカードは白紙だ!」と退席してしまった。鶴田がなぜ長州を意識する発言を突然したのかというと、馬場の指示通りに長州との戦いには深く関わってこなかったが、武道館のカードを見てメインから外されたことで内心不満を抱いており、会見も出る必要はないのではと思っていたからだった。

結局カード変更は通らず6・21武道館は予定通りのカードで行われたが、鶴田の発言を受けてジャパンプロレス8月5日の大阪城ホール大会で長州vs鶴田のシングルが実現することになった。ところが3日前の札幌大会で鶴田&天龍vs長州&カーン組との対戦で、カーンの必殺技であるトップコーナーからのダイビングニードロップを右肘と右脚に受けてしまい、鶴田は負傷してしまう。この頃の鶴田はラリアットを使うようになり、周囲からジャンボラリアットと言われるようになったが、その反動で指が痺れ始め、肘を曲げるにも痛みが生じていた。診断の結果は右膝は手術の必要がなかったが、右腕の方が重傷で「変形性膝関節症急性悪化」と「遅発性尺骨神経麻痺」で手術の必要を要したことから、実現直前で鶴田は欠場を余儀なくされてしまうも、血液検査の際に母子感染のB型肝炎のキャリアであることもわかってしまった。

鶴田戦が急遽中止になったことを受けて天龍、谷津、カーン、ジャイアント・キマラの4人の中から観客投票から長州の相手を選び、投票の結果として長州の相手に谷津が選ばれ、谷津に勝った長州が「俺たちの時代」を宣言した。

流れてしまった長州vs鶴田戦は日を改めで行われることになり、ジャパンプロレス主催シリーズである「ニューウェーブジャパン」の第3戦、会場も同じ大阪城ホール大会で実現することになった。8月5日の大阪城ホール大会はテレビが入らずノーテレビだったが、秋から「全日本プロレス中継」が土曜日19:00とゴールデンタイムに移行しており、今回は長州vs鶴田が行われるためか、大阪城ホール大会もゴールデンタイム移行の目玉としてテレビ中継が入り、また観客も両者リングアウトなしの完全決着ルールとして行われることになったことから前売り券が伸びて9500人を動員した。
鶴田の発言を受けて長州も最初は怒りはしたが、ミュンヘンオリンピックに出た者同士でプロレス入りしたこともあって、比べられたこともあった時期もあったことから、鶴田との対戦がやっと実現するのかと感慨深げでいた。
試合はジャパンプロレス主催ということでタイガー服部レフェリーがメインレフェリーとして裁き、全日本プロレスの総帥であるジャイアント馬場もゲスト解説に招かれて放送席から試合を見守った。

クリーンに握手してから開始のゴングが鳴り、ロックアップから長州が押し込み、鶴田が体を入れ替えてコーナーに押し込みブレーク、今度は鶴田がタックルを仕掛けるが長州が切る。今度はロックアップから鶴田がヘッドロックも、腕を取って切り返した長州が力比べから長州がヒップトスで投げる。
今度はロックアップから鶴田が腕を取るとアームブリーカーを狙い、リストロックの応酬でも鶴田が制して、長州はロープに押しこんでブレークとなる。
長州はヘッドロックで捕らえて首投げ狙いも、鶴田は堪える。それでも長州はネックロックも、鶴田は無理せずロープエスケープ、鶴田はヘッドシザースで捕らると絞めあげ、やっと抜けた長州は鶴田の足をクロスしてフェースロック、首を取ってからヘッドシザース、鶴田は倒立から押さえ込むが、長州は再びヘッドシザースで捕らえ、鶴田は倒立から抜けるとヘッドロックで捕らえてから後頭部にエルボースタンプを落とす。
鶴田はダブルアームスープレックスを狙うが、長州がロープエスケープしてから首投げ、首四の字で絞めあげ、これも抜けた鶴田は足を取ってトーホールドで捕らえたところで10分が経過する。

鶴田のトーホールドを長州がフェースロックで逃れようとするが、鶴田はインディアンデスロックへ移行、これを嫌った長州は張り手で抵抗するが、鶴田はガードしつつ張り手で返し、アームロックへ移行、長州はロープに押し込んでブレークするが、キチンシンクを浴びせるが、鶴田もロックアップからロープに押し込んでキチンシンクを浴びせるが、長州の息が荒くなり始める。
今度は長州が足を取ってトーホールド、そしてサソリ固めを狙うがステップオーバー出来なかったため変形の足四の字で捕らえる。離れたところでフィンガーロックの攻防から鶴田がガットショットを連発、足を取って逆エビ固めを狙いつつ、レッグスプレットで捕らえ、長州はロープエスケープする。
長州は組みついてリバーススープレックスで投げると、フィンガーロックで押し込もうとするが、押し返した鶴田がガットショットからボディースラム、場外へ出して場外戦かと思われたが、長州はリングに戻って鶴田も戻る。
腕を取った長州は投げから腕十字を狙う、鶴田は立ってストンピング、ボディースラムからエルボースマッシュ、長州は張り手で返すが、鶴田は長州のペースに付き合わないように大きく構えてハンマーロックで捕らえたところで20分が経過する。

鶴田はグラウンドから押さえ込みにかかるが、レフェリーがブレーク、今度は鶴田が足を取ってトーホールドからサイキック、足四の字固めを狙い、長州は必死で防ごうとしてリバースするが、元に戻ってしまい、足四の字が解けかけたところで立った長州がサソリ固めを狙うが、ステップオーバーさせるまでには至らず解けてしまう。
コーナーに押し込んだ長州は鶴田の左腿を蹴り上げると、鶴田がガットショットから徴収をロープに振ってジャンピングニーパットを命中させ、ボディースラムから再び足四の字固めで捕らえ、長州は必死でリバースするが、元に戻ってしまい、長州は再びリバースして元に戻りつつ、ロープエスケープするが、試合は30分が経過、長州は30分以上の試合をしたことがないため、未体験ゾーンに突入する。

長州が場外へ逃れると追いかけた鶴田はストンピングで追撃してリングに戻り、長州がリングに戻るとニークラッシャーからサソリ固めを狙い、やっとステップオーバーさせることに成功。しかし鶴田はプッシュアップで逃れようとする。ギブアップを奪えないと判断した長州はリキラリアットを狙ったが、鶴田のジャンボラリアットと相打ちで両者ダウンとなる。
鶴田は場外へ逃れ、エプロンに上がったところで長州は鉄柱攻撃、リングに戻ると長州はヘッドロックで捕らえるが、切り返した鶴田がコブラツイストで捕らえ、グラウンドコブラで押さえ込む、足を取った長州はレッグロックも、そのままで張り手合戦になり、長州が不用意にヘッドロックで捕らえたところで鶴田がバックドロップで投げるが、鶴田はすぐカバーに入らず、ジャンボラリアットを炸裂させる。
グロッキーの長州に鶴田はストンピングを連打からヘッドロックで捕らえると、今度は長州が捻りを加えたバックドロップで投げるが、長州もスタミナロスですぐカバー出来ず、やっとカバーしたところで鶴田はロープ際まで逃れて足をロープにかけていたためブレークとなってしまったところで40分が経過する。

鶴田は場外へ逃れて試合をリセット、リングに戻ると鶴田がヘッドロックからトーホールド、そしてテキサスクローバーホールドを狙うが長州はロープエスケープ、長州はガットショットからバックエルボー、ボディースラムからトップコーナーへ昇るが、鶴田は雪崩式ブレーンバスターで投げ、ショルダースルー狙いは長州が回転エビ固めで丸め込み、ロープに長州を振った鶴田がカウンタースリーパーで絞めあげるが、抜けた長州がハンマーロックで捕らえると、足をクロスしてからキャメルクラッチを狙うが、鶴田がガードして絞めるまでには至らず、スタンディングで鶴田は河津掛けから再びグラウンド、長州が首を取って鶴田がコーナーに押し込むと逆水平、長州がヘッドロックからアームロック、首投げ狙いは鶴田が投げさせず、ニーから蹴り上げるとボディースラム、再び足四の字固めで捕らえ、長州がリバースしたところで50分が経過する。

鶴田が足四の字を元に戻すと、リバースしたところで足四の字が解け、残り時間がないことから、長州は鶴田をロープに振ってリキラリアットを炸裂させるが、鶴田はすぐエプロンに逃れ、リングに戻した長州に鶴田はジャンピングニーパットを3連発する。
長州はエプロンに逃れるが、鶴田はロープ越しでブレーンバスター、しかしヘッドロックで捕らえたところで長州がバックドロップで投げ、リキラリアットを炸裂させるがすぐカバー出来ず、やっとカバーに入るがロープ際だったため鶴田の足がかかってブレーク、長州は続けてサソリ固めでステップオーバーするが、鶴田はプッシュアップでひっくり返してしまう。
長州が再び足を取ったところで鶴田が延髄斬りを放ったところで残り5分、鶴田は逆エビ固めで捕らえるが、長州もプッシュアップでひっくり返す。鶴田はローキックの連打から延髄斬りを連発、長州も延髄斬りを連発するが、普段使わない技だったこともあり、足四の字のダメージもあって右膝を押さえてしまう。
鶴田はパイルドライバーで突き刺すと、関節蹴りから足四の字固めで捕らえる。解いた鶴田はバックエルボーも、避けた長州がリキラリアットは鶴田のジャンボラリアットの相打ちも、鶴田が打ち勝ってダブルアームスープレックス、しかし長州も普段見せることのないジャーマンスープレックスホールドで応戦するが、鶴田はカウント1でキックアウトすると、張り手合戦から鶴田が逆エビ固めで捕らえたところで60分時間切れ引き分けとなった。

試合が終わると鶴田は‟オー‟と腕を掲げてコーナーでまだやれるということを充分にアピールする、試合後は服部レフェリーが二人の腕を挙げると、長州は再戦をアピールしたが、疲労の色が見える長州に対し、まだまだやれると余力を残していることをアピールした鶴田が勝っていたことを充分に見せつけた。

なぜ鶴田の勝利というイメージだったのか、それは鶴田だけでなく馬場もこれまで歴代のNWA世界ヘビー級王者と対戦して60分フルタイムの試合を何度も戦ってきたことから、60分を戦い抜く術を知っており、王者のプロレスに徹したからだった。
試合後の鶴田は「リングの真ん中に立って、相手が僕の周りを動くようにすれば、僕の方が格上に見える。相手が殴ってきた時、殴り返したら、相手に互角と見られてしまうから、ちょっと間を空ける。善戦マン時代に凄いレスラーたちから習った僕の作戦勝ちですよ」と笑いながら答え、最後の逆エビ固めも「時間切れになる時は、必ず自分が上になっていろ、そうしたら引き分けでも勝ったように見える」と馬場からアドバイスを受けていたよるものだった。
全日本プロレス中継を担当していたプロデューサーである原章氏は「それは60分引き分けの試合を戦えるかどうかです。ボクシングでは12ラウンドを戦い抜く体力をつけるため物凄いトレーニングしますが、中には最初の3ラウンドまでは勢いよく攻めても後は息が上がって息が上がって動けなくなる選手もいます(中略)、プロレスもそうなんです。長州と鶴田で比較すると、新日本プロレスのレスラーは短い時間でKOするボクサー。最初に攻めてそれで終わる。全日本プロレスはじっくり見せるんです。長州は前半勢いよく攻めるんですが、途中で動けなくなりました。鶴田はずっと長州が立ち上がるのを横目でじっくり見て試合を組み立ててました。試合が終わったら控室で長州が動けなくなりました。一方、鶴田は若手を連れて『飯に食いに行こう』って誘ってました。この差はプロレスラーとして鶴田を尊敬すべきものなんです。NWAチャンピオンはみんな60分が出来ます、しかも1時間も飽きさせずリングに釘付けする技術は凄いことなんです。これが一流の証なんです」と力説し、長州戦は鶴田が一流のレスラーであることを見せつけた試合だったと語った。
そして裁いていた服部レフェリーも「ミツオ(長州の愛称)はジャンボの4倍ぐらい体力を使っていたと思うよ、だってジャンボの方が背はデカいし、体重も20キロぐらい思いでしょ、レスリングって競技は、下から行くっていうのが凄いエネルギーがいるんだよね、押し付けられないように下から上がるのは何倍も力を使うから、中に入ってグッと後ろに回ったりするんだけどね、上から被さるのが楽なんだよ、だからジャンボは巧いよ、スマート、狡さと余裕を持っていたよ、ジャンボは結構頑固なところがあって狡いから長州に何もさせなかったよ、あの人シェア(共有)しないんだよ、自分のスタイルは絶対変えない、2メートル近くのある人はシェアしてくれなかったら、相手は苦しいと思うよ、みんながジャンボに文句を言っていたのは、狡賢いというか、プロ的に崩せないというか、包まれちゃうというか、自分を出させてくれないっというか、そういうプロ的な部分でみんな文句を言っていたんだと思うよ」と答えていた。

試合全体を振り返っていても、長州もハイスピードレスリングだけでなくオーソドックスなスタイルでやれることを見せつけなければならないと鶴田と同じスタイルで挑んでいったが、途中から得意のパイスピード的なスタイルには転換できず、ずるずると鶴田のペースへと引きずり込まれ、反撃しても鶴田はインサイドワークとマイペースさで長州のペースには決してさせず、また普段見せない延髄斬りやジャーマンスープレックスホールドまで出させて限界以上まで引き出されてしまった。長州にしてみれば引き分けたものの、何やっても共有し合えるものがなく、熱い闘いをしてきたアントニオ猪木、藤波辰爾や天龍源一郎と違って、鶴田とは熱い闘いが出来ないと感じたのではないだろうか、また試合に関しては鶴田が最初から60分時間切れ引き分け狙いだったとされているが、仮に狙っていたとしたら、おそらく馬場の指示だったとみていいと思う。なぜ勝敗を着けなかったのかというと、長州は全日本プロレスにとって大事な商品であることから傷をつけるわけにはいかないが、鶴田との格の差は見せつけなければならない。だから60分を戦い抜かせることでまだまだ元気な鶴田と疲労困憊だった長州と比べさせて、鶴田の方が上だと示させたのではないだろうか…

鶴田vs長州は1985年度のプロレス大賞ベストバウトを受賞する。長州は過去に藤波、猪木戦でベストバウトを受賞したが、熱くなれなかった試合がベストバウトに選ばれたことで一番複雑な心境だったのは長州だけだったのではないだろうか、長州は後年、鶴田戦のことに関して「もう鶴田さんは亡くなっているんだから、そんなことはいいだろう」と答えていたが、鶴田のセコンドに着いていた天龍は「いい試合をやろうと必死にもがいている長州を見て…なんか、可哀そうだったよ、シャカリキになって向かっていく長州が小者に見えちゃって、”ジャンボ、もっと応えて真正面からぶつかってやりなよ、大阪城ホールが満員になって、お客さんが期待しているんだから、なんとかしろよ、もっとやり方があるだろう”と思うオレがいたよ、オレは長州を小者に見せて、自分を大きく見せようとするジャンボに逆にちっぽけさを感じたよ」と辛口なコメントを出したが、天龍のコメントを長州に伝えると「それは源ちゃんがオレに気を使っていってくれてるだけだよ」と笑うだけだったという。

1986年に入ると鶴田&天龍の鶴龍コンビvs長州&谷津の維新師弟タッグとインターナショナルタッグ王座を巡る戦いがメインとなり、2月5日の札幌では鶴龍コンビを破りインターナショナルタッグ王座を奪取、4月5日の横浜ではスタン・ハンセンを反則裁定ながら破りPWFヘビー級王者となるが、この頃の長州は鶴田との再戦どころか、ジャパンプロレス内の内部分裂に足元を取られ、新日本プロレスへのUターンが取り沙汰されるようになる。

1987年2月5日、長州&谷津は鶴龍コンビに敗れインターナショナルタッグ王座を明け渡す、これが鶴田との最後の対戦となり、そのまま全日本プロレスを離脱、新日本プロレスへUターンしていった。鶴田にとって長州力は何だったのか、鶴田が亡くなったことで永遠にわかることはない、また長州も鶴田のことは多くは語ろうとしない。
(参考資料 ワニブックス 「永遠に最強の王者 ジャンボ鶴田」 小佐野景浩著 「全日本プロレス中継を作ったテレビマンたち~テレビはプロレスから始まった~」福留崇広著)

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