日米を席巻したnWo③グレート・ムタ&武藤敬司が衝撃のnWo入り!


3月5日、新潟大会で武藤敬司が中西学、小島聡と組んで、蝶野正洋、天山広吉、ヒロ斎藤と対戦するが、試合中に武藤が小島にフェースクラッシャーを決め、試合はその後で蝶野がケンカキックで小島から3カウントを奪い勝利、試合後は小島だけでなく中西も武藤の行動に怒ったが、武藤は「間違えただけだ」ととぼけてしまう。

蝶野は前シリーズから武藤をnWoに勧誘しており、試合前には武藤にnWoTシャツを渡し、また武藤をKOした後、黒スプレーでnWoと武藤の背中に印すなど執拗に勧誘、また2月16日の両国でのグレート・ムタvs越中詩郎戦でも試合後に蝶野はnWoTシャツを渡すなどムタを勧誘する。この時はムタは「ファッキンnWo!、ファッキンハシモト!ファンキンムトー!」と明確な答えを出さなかったが、既に武藤=ムタのnWo入りは決定事項となっていた。

蝶野はWCW、新日本プロレスを股に掛けた同時進行のストーリーを描いており、そのため日米両国でファンが共感を覚えるカリスマが必要と考えていた。そんな壮大な役割を出来るのは、国際派スターである武藤敬司=グレート・ムタしかいない、それが武藤を勧誘する理由だった。

武藤もnWoが誕生したときは興味は持っていなかったものの、蝶野とマサ斎藤が話を持ってくると、美味しいビジネスになると思い話に乗った。武藤もUWFインターナショナルとの対抗戦がひと段落し、新しい刺激を求めていたが、すぐnWo入りしても面白くないと考えたのか、武藤が本隊に残るのか、nWo入りするかで周囲を焦らしにかかり、蝶野がnWo入りを迫って武藤にTシャツを渡し、武藤が着用するが、蝶野にすぐ襲い掛かり脱ぎ捨ててnWo入りを拒否することを繰り返すようになった。

3・20愛知県体育館大会でもnWo vsh本隊のイリミネーションマッチが行われ、本隊は橋本真也、武藤、佐々木健介、中西学にWCWからロード・スティーブン・リーガル(ウイリアム・リーガル)が助っ人に加わり、nWoも蝶野、スコット・ノートン、バフ・パグウェル、天山にnWoスティングが加わった。nWoスティングはスティングの偽物としてWCWに登場したが、nWoというブランドが大きく響いたのか、日本では本家スティングより人気を呼び、日本に定着するようになっていった。

試合も武藤が蝶野にスペースローリングエルボーからフェースクラッシャーと畳みかけ、天山を蹴散らした後でムーンサルトプレスを蝶野に命中させたが、カバーに入らなかったため、怒った健介がラリアットを浴びせ、既に蝶野から交代を受けていた天山がカバーして3カウントを奪うも、健介は武藤に罵声を浴びせ、武藤が一人でさっさとバックステージへ引き上げてしまう。

イリミネーションマッチも武藤と健介の仲間割れで本隊は総崩れとなり、試合は進んでnWoは蝶野、ノートン、パグウェルの3人、本隊は橋本一人だけの状況となったところで、ムタが現われる。
リング内では橋本一人がnWo3人相手に孤軍奮闘するが、ムタはなかなかリングに上がろうとしない。そこで焦れた蝶野はムタをリングに呼び込み、やっとムタがエプロンに上がると、リングに招き入れようとした蝶野に緑の毒霧を噴射、橋本を痛めつけるノートンを蹴りつけたことで、これで武藤またムタのnWo入りはないと思われたが、ムタは橋本にも赤い毒霧を噴射すると、ノートンがジュラシックボムで橋本から3カウントを奪ったことでnWoの勝利をアシスト、こうして武藤=ムタは本隊に残るのか、nWo入りするのかはっきりさせず。煙を巻きまくった。

3月25日、東京体育館で行われた新日本プロレス&WCW連合軍vsnWo JAPANシングル6番勝負では、ヒロは小島のラリアットに敗れるも、天山が中西をダイビングヘッドバット、パグウェルがリーガルをローリングネックブリーカーと破ってnWoが勝ち越し、健介はnWoスティングをストラングルホールドγで降して2勝2敗になるが、蝶野が武藤を急所蹴りからのケンカキックで破ると、蝶野は敗れた武藤を黒バットで殴打してから背中に黒スプレーでnWoと印されてしまう。武藤は黒スプレーで書かれたnWoを落とすためにバックステージへ引き上げる。

大将戦であるノートンvs橋本でもノートンがパワーボムで橋本を降し、対抗戦は4勝2敗でnWo JAPANが勝利、試合後もバックステージへ引き上げていた武藤がnWo JAPANに襲い掛かり、まだ正規軍であることをアピールする。

、4月2日の東京ドームで行われた蝶野vsムタでも、ムタが月面水爆で蝶野を降し、今度はムタが蝶野に暴行を加えて、蝶野の背中にnWoと掟破りの逆ペイントを記すなど、まだまだ周囲を焦らしまくった。

そして5月3日の大阪ドーム(京セラドーム)大会では本家nWoからケビン・ナッシュ、スコット・ホールのジ・アウトサイダーズがエリック・ビショフ、シックス(ショーン・ウォルトマン)と共に上陸、蝶野はアウトサイダーズと組んで武藤&リック・スタイナー、スコット・スタイナーの新日本プロレス&WCW連合軍と対戦、試合もスタイナーブラザーズが合体ブルドッキングヘッドロックの後で乱戦になり、コーナーに昇るホールがレイザーズエッジでリック、蝶野ケンカキックの援護からナッシュがジャックナイフで3カウントを奪い、試合後も武藤はリング内に残されたスタイナーブラザーズを振り向かずに退場。nWo全員でリングジャックを果たすなど、nWoの勢いを見せつける。

そして5月12日、再びWCWへ飛んだ蝶野はムタと対戦、テネシー州ナッシュビル大会で蝶野がムタと対戦し破った後で、ムタがnWo入りを正式に果たし、6月2日オハイオ州デイトンで蝶野とムタが組んでスタイナーブラザーズと対戦して勝利を収めたことで、nWoムタに注目が集まった。

日本に帰国した武藤は6月5日の日本武道館大会で橋本の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦、試合に敗れて正規軍にケジメを着け、nWoムタとして6月22日から始まる「サマーストラグル」にフル参戦し、6月22日の後楽園ホールでは蝶野とnWoスティングと組んで橋本&中西&小島と対戦、試合も蝶野が小島にケンカキックから、ムタがトップロープからのブレーンチョップを命中させ5分でnWo JAPANが完勝、試合後もnWo JAPANが橋本を袋叩きにした上で、マウントを奪ったムタが橋本の顔面に毒霧を噴射、翌日24日の長野大会では週刊ゴングのカメラマンを捕まえて胸だけでなく背中にも黒スプレーでnWoと印してムタが記念撮影するなどやりたい放題暴れまくる。

シリーズ途中からマイケル・ウォールストリートがnWo JAPANに合流、7月6日の北海道真駒内アリーナ大会では、98年1月4日に最初の引退を控えていた長州が橋本と組んで蝶野&ムタと対戦、長州が蝶野をサソリ固めで捕らえようとするが、ムタがバットで殴打してカットに入り、更にトップコーナーからバットで一撃を狙ったが、蝶野に誤爆したところで、長州がリキラリアットを連発して3カウントを奪い、この誤爆で蝶野が怒り、ムタの間に亀裂が生じる。

そんな状態の中で蝶野とムタは再びWCWへと参戦するが、7月20日のテレビマッチ収録中に蝶野は右足を脱臼、この年のG1 CLIMAXを欠場せざる得なくなる。蝶野不在の中で9月シリーズに開催された「三軍地対抗トーナメント」でムタが天山と組み、本隊の健介&山崎一夫組と対戦も、ムタがダイビングヘッドバットを狙う天山に毒霧を噴射したことで、ムタとnWoの亀裂が決定的になる。

9月23日の日本武道館大会で復帰した蝶野とムタが組んで健介&山崎と対戦、蝶野のダイビングショルダータックルがムタに誤爆すると、ムタはバックステージへと消えてしまい、代わりにオレンジタイツを着用した武藤が現われる。誰もが武藤は正規軍に戻るかと思われたが、武藤は健介にドロップキックを放つとスペースローリングエルボーからムーンサルトプレスを投下して3カウントを奪い、ムタの代わりに武藤がnWo入りとなり、ファンも大興奮となって武藤のnWo入りを歓迎した。

実は武藤のnWo入りも蝶野と武藤が考えた計画の一つで、蝶野はムタもnWoに入ったなら武藤敬司も入らなければ意味がないと考えており、武藤も最初から武道館でnWo入りすることを考えていた。絶対的ベビーフェースだった武藤がヒールターンする、ハルク・ホーガンがnWo入りしてヒールターンしたのと同じ大きなインパクトを与えられる。まさに武藤と蝶野の狙い通りになった。

10月シリーズはシリーズ名は「nWoタイフーン」と銘打たれた通り、nWo JAPANの主役のシリーズになり、いつしか現場監督の長州もnWo JAPANの考える仕掛けは全て蝶野と武藤に任せるようになっていた。蝶野と武藤が揃ったことでnWo JAPANは本隊の人気を凌駕、健介&山崎を破ってIWGPタッグ王座を奪取し、その際にタッグベルトに白いスプレーでnWoと印したが、IWGPヘビー級王座には蝶野が挑戦したものの敗れて奪取することは出来なかった。

武藤&蝶野は「SGタッグリーグ戦」にもエントリーし、開幕戦ではnWo JAPAN入りが決定しながらも、裏切った後藤達俊&小原道由の犬軍団と対戦した際には、後藤の脇腹を負傷させて戦線離脱に追いやると、孤立した小原を徹底的に痛めつけ、フェースクラッシャーで3カウントを奪った後で、小原の背中にロスプレーで犬と印し、テーブル貫通ハイジャックパイドライバーでKOするなど、現場監督だった長州から叱られるぐらいやりたい放題に暴れたが、武藤のヒールぶりも、蝶野も引いてしまうほどだった。リーグ戦も健介&山崎には敗れたものの、優勝決定戦では橋本&中西を破って優勝を果たす。

またnWo Tシャツも爆発的に売れたことで新日本プロレスに大きな利益を与え、メディア展開によって横浜ベイスターズのエースだった三浦大輔も、Jリーグ・ジュピロ磐田の中山雅史、K-1でもピーター・アーツがnWo Tシャツを着用するなど、プロレスだけでなくプロ野球、格闘技でもnWoの存在を大きくアピールした。

蝶野はこの年のプロレス大賞MVPを受賞する。nWoが世間的にも大きくアピールした功績を讃えての受賞だったが、この年の10月に髙田延彦がヒクソン・グレイシーに敗れ、K-1も台頭するなど、格闘技ブームは席巻しようとしていたが、新日本プロレスはnWo人気でどこ吹く風のはずだった。

(参考資料 福留崇広著イーストプレス「さよならムーンサルトプレス 武藤敬司35年の全記録」、ベースボールマガジン社「日本プロレス事件史Vol.19『軍団抗争』:、新日本プロレスワールドnWo JAPANの試合は新日本プロレスプロレスワールドで視聴できます)

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