1987年2月10日、アメリカ・フロリダ州に遠征した武藤敬司が試合中に赤の頭巾にホッケーマスクを被った男に襲撃を受け、この模様は「ワールドプロレスリング」でも放送された。
3月2日、新日本プロレス草加大会でも謎のホッケーマスクの男が試合中の武藤を襲撃、この謎のホッケーマスクの男は海賊男と名付けられるようになった。

この頃の新日本プロレスは1984年に長州力を始めとした選手が大量離脱し、またアントニオ猪木の衰えもあって「ワールドプロレスリング」の視聴率は思うように上がらず、テコ入れのために前田日明率いる旧UWFが参戦するが、視聴率も回復には至らず、1987年4月から、これまで長く放送していた金曜8時から火曜8時への移行も決まり、実況アナだった古館伊一郎氏も、この頃にはフリーとなっていたが、時間帯移行と共に番組の卒業が決まっていた。
そこで猪木はフロリダ遠征時にカーニバルで目撃した海賊のキャラクターをモデルにした海賊男を作り出したらどうだろうと考えたという。猪木がなぜ海賊男を考えたのか、おそらく旧UWFの参戦が当時新日本プロレスの主導権を握っていたテレビ朝日の主導であったことから、旧UWFはテコ入れにはならなかったことを考えると、テレビ朝日の連中には新日本プロレスは任せられないと考えて海賊男を作り出したのかもしれない。
この頃はジャパンプロレスを通じて全日本プロレスに参戦していた長州力ら数人の選手が全日本プロレスのシリーズを負傷欠場と称して消息を絶ち、新日本プロレスにUターンが取り沙汰されており、海賊男の正体も長州らグループの一人なのではと言われていた。
そして3月20日に猪木の誕生日を祝う「突然卍固めLIVE」に長州と共に行動していると目されていたマサ斎藤が現われる。斎藤はアメリカでケン・パテラが引き起こした器物破損事件に巻き込まれ、逮捕しに来た警官数人を殴ったとして有罪判決を受け1年半収監され、13日に出所したばかりだった。斎藤は猪木に対して対戦を要求、26日の大阪城ホールで行われる「INOKI 闘魂ライブ パート2」での対戦が決定となった。

25日の調印式では練習に専念を理由に斎藤が欠席して代わりに長州本人が現われて代わりに出席するなど、長州が大阪城決戦当日に現れるのではと煽るが、いざ試合となると長州らは現れず、斎藤一人で登場した。

試合は猪木がナックルから逆水平、袈裟斬りを浴びせて、トップコーナーからダイビングニードロップを命中させるが、斎藤はブレーンバスターからコブラツイストで反撃、抱え投げた猪木はキーロックで捕らえ、強引に脱出した斎藤はダブルハンマーからバックドロップで投げるも、猪木もバックドロップで応戦する。
猪木は延髄斬りから卍固めで追い詰めにかかるが、斎藤はロープエスケープしたところで、リングサイドに海賊男が現われ、その間に斎藤はアトミックドロップで猪木の股間をトップロープに痛打させる。
そこで海賊男がリングに上がって、ミスター高橋レフェリーから注意を受ける斎藤に手錠をかけ、怒った斎藤は海賊男に掴みかかる。猪木も海賊男に加勢する形で斎藤にナックルも、海賊男は斎藤を場外へ連行してしまい、猪木も海賊男が持参したステッキを手にするが、どうしていいのかわからず捨ててしまう。





猪木もリングに戻ろうとする斎藤だけでなく海賊男にもストンピングを浴びせると、斎藤と海賊男は手錠で繋がれたまま一旦引き上げるが、斎藤は手錠を引きちぎったのか、一人でリングに戻り、手首にまだ手錠の輪が残ったままだったため、斎藤は手錠の輪を着けたままでのナックルを連発して猪木は流血、高橋レフェリーも制止するが、斎藤は無視したため高橋レフェリーが斎藤を蹴ると、斎藤はラリアットで高橋レフェリーをKOしてから再び猪木を殴ったため、試合は終了して猪木の反則勝ちとなるも、館内は延長コール、完全に怒った猪木はコーナーの金具を緩めてロープを外しにかかり、斎藤は猪木にナックルを浴びせてから監獄固めで捕らえ、高橋レフェリーの制止も聞かないことから、坂口征二や武藤を含めたセコンドらが入って斎藤を引き離すが、怒りの収まらない猪木は斎藤にナックルを浴びせたため斎藤も流血、猪木はマイクで「死ぬまでやってやる!」と叫んで、再び二人が殴り合いも、セコンドが斎藤を無理やりバックステージへ下げ、それでも怒りの収まらない猪木は実況席で解説していた山本小鉄を呼び込んで二人は口論を始め、一触即発となるが、坂口と星野勘太郎が必死で制止し、星野が山本をバックステージへ下げ、残された猪木はマイクで再戦をアピールしてバックステージへ下がる。




しかし、TV中継が終わった後で不可解な結末にファンが怒ってイスをリングに投げ、「金返せ!」「新日本のバカヤロー」と怒号が飛び交い、中には新聞紙に火をつけたため、会場の一部が煙で立ち込め暴動騒ぎになる。
この騒ぎを受けて所轄警察署や機動隊、消防車は救急車まで出動して暴動は鎮圧され、田中秀和リングアナと営業スタッフは警察署へ出頭し事情聴取を受け、始末書を提出するなど1日、こってりとしぼられ、NHKの朝のニュースでも報道されるなど、暴動騒ぎは大きな話題となった。

海賊男はいったい何だったのか?というと、乱入はファンの関心を煽り、次のに繋げるアイデアのはずだったが、猪木vs斎藤における海賊男は、次に繋げるどころか、全くの不必要な存在だった。一説では正体であるBが手錠を繋げる相手を猪木と間違えたとされているが、映像を見てもわかるように斎藤に手錠を繋げたことによって試合は迷走してしまっており、猪木どころか誰もが落としどころをどうしていいのかわからないままだった。その海賊男の乱入が猪木の仕掛けたものだったら、斎藤や長州が帰ってくることで、自分が作り出した海賊男の存在は薄くなることを猪木自身が焦ったのか、無理やり猪木vs斎藤の戦いに加えたものの、猪木の焦りと海賊男も中に入っていた人間の失策のおかげで、猪木vs斎藤の結末どころか、海賊男というキャラも全て台無しにしてしまったのかもしれない。
海賊男はその後ビリー・ガスパーと名付けられ、その後身長2メートルのガリー・ガスパー、バリー・ガスパーと3人に増殖するが、ビリーの正体はBではなくWWEのランディ・オートンの父であるボブ・オートンJrに任せ、ガリーは後に全日本プロレスに参戦するスカイウォーカー・ナイトロン、バリーは新日本プロレスの常連で後にジェイソン・ザ・テリブルに変身するザ・ジャッカルだったが、ビックバン・ベイダーの登場で長続きせず、1988年8月を最後にフェードアウト、ビリーも素顔のオートン・ジュニアに戻っていった。
猪木vs斎藤の抗争は続き、長州問題も解決しないまま、「ワールドプロレスリング」も4月からは火曜日8時に移行し、タイトルも改めて「ギブアップまで待てないワールドプロレスリング」が始まった。(続く)
(参考文献 ベースボールマガジン社「日本プロレス事件史Vol.10『暴動・騒乱』 猪木vsマサ斎藤は新日本プロレスワールドで視聴できます)
コメントを投稿するにはログインしてください。