負けたら即引退?橋本真也vs小川直也!① 暴走王デビュー!UFO旗揚げ


 1997年3月7日、新日本プロレスは記者会見を行い、バルセロナオリンピックで柔道無差別世界王者の小川直也のプロ転向を発表、4月12日の東京ドームでIWGPヘビー級王者だった橋本真也相手に異種格闘技戦でデビュー戦が行われることになった。

 小川の相手が橋本になった理由は、橋本の相手は元キング・オブ・パンクラシスト王者でUFCではホイス・グレイシーとも引き分けたウェイン・シャムロックが予定されていたが、新日本と契約を結びながらも、シャムロックはWWF(WWE)と契約して、そのままWWF入りを果たしてしまい、橋本の相手が宙に浮いた状態になっていた。

 この頃のアントニオ猪木は世界規模の格闘統一組織というコンセプトで「世界格闘技連合」を発足していた。UFCの出現、K-1の発足から格闘技が台頭し始めたことで、「自分こそ格闘技戦のパイオニア」であることを自負していた猪木はプロレスだけでなく格闘技にも君臨すれば、新日本はもっと活性化すると考えていた、猪木は初代タイガーマスクこと佐山聡と和解を果たし、佐山も世界格闘技連合に加わることになった。シューティング(修斗)を佐山聡もヒクソン・グレイシーを招聘するなど、格闘技界で独自の地位を築いたことに目をつけていた。

 最初こそは小川は坂口征二の仲介で新日本プロレス入りとなっていたが、プロレス式のトレーニングに根を挙げてしまう。それを見た坂口は小川を猪木に預け、佐山に弟子入りさせてUFO入りとなった。猪木からしてみれば新日本では扱いきれなかった柔道のメダリストは新組織のエースにふさわしい素材だった。

試合は橋本が柔道家は足技が少ないため、足が弱いとセオリー通りにローキックで攻めるが、得意の寝技に持ち込んだ小川は腕十字から三角絞めを狙う。
ロープに逃れた橋本は袈裟斬り、爆殺ミドルキックで反撃するが、小川は抱え上げてから叩きつけると再び寝技に持ち込み橋本を圧倒、再びロープに逃れた橋本はローキック、袈裟斬り、キチンシンクから得意の左での払い腰を決めると、小川はたまらず場外へ逃れ、リングに小川が戻ると橋本はローキックも、足を払って倒した小川は膝十字固めで捕獲も、スタンディングになると不要に飛び込んできた小川に橋本がキックを打ち込むも、小川は巴投げからチキンウイングアームロックで捕獲、いったん場外へ逃れた橋本は再びローキック、袈裟斬りを打ち込み、小川はダウン、袈裟斬りが有効と考えたのか橋本は袈裟斬りを乱打してからバックドロップで投げる。
橋本はDDTを狙うが、小川が堪えたところでSTOが炸裂、そしてスリーパーで絞めあげると、橋本が絞め落ちたため、タイガー服部レフェリーが試合をストップ、ノンタイトルとはいえIWGP王者だった橋本からの勝利でセンセーショナルなデビューを飾った。

デビューしたての小川にまさかの敗戦となった橋本は背水の陣を敷き、5月3日の大阪ドームではIWGPヘビー級王座をかけて再戦、再戦でも小川の寝技に苦しんだ橋本だったが、小川がSTOを決めた瞬間の間を突いて、脛めがけてローキックを浴びせると、足へのローキックで切り崩してからの顔面蹴りで小川をKO、王座防衛してリベンジを果たした。

 ここで橋本vs小川の抗争は一旦ひと段落となり、小川は実戦経験を積むために新日本へ参戦し続け、7・6札幌では山崎一夫に勝ったが、8・10名古屋ドームでのグレート・ムタ戦ではムタワールドにいいように翻弄されてしまい完敗を喫してしまう。

 それでも小川はスコット・ノートンやブライアン・ジョンストンには勝利を収めるが、1998年の1・4東京ドームではドン・フライに敗れ、2・15武道館での再戦では勝利を収めるも、1999年4月4日東京ドームで猪木の引退試合の相手を決める「ザ・ファイナル猪木トーナメント」決勝戦ではまたしてもフライに敗れてしまい、大舞台での勝負弱さを露呈してしまう。

 現役を引退した猪木は「世界格闘技連合」の名称をUFOに改めた。新日本はUFOを新日本の別ブランドとして扱い、コントロール下に置こうとしたが、猪木がUFOを立ち上げてから小川は新日本のコントロールを受け付けなくなり、6・5新日本武道館大会では会場に乗り込んできた小川と坂口と直接話し合いがなされる予定だったが、小川は明大の大先輩である坂口の胸倉をつかんで壁に押し倒してしまい、激怒した坂口は小川だけでなくUFOとの決別を宣言した。

 猪木も坂口に手を出したのはまずかったとして小川に建前上謹慎を言い渡したが、猪木もこのままでは黙ってはおらず、石井和義館長とのラインを使ってK-1ナゴヤドーム大会に小川を参戦させ、安生洋二とUFOルールで対戦させた、小川は肉体改造に成功してシェイプアップした姿を見せるも、急激に減量した影響でスタミナ不足を露呈してしまい。安生の掌底が目に入ったことに怒った小川が頭突きを浴びせて反則負けとなったが、小川の不甲斐なさに怒った猪木は日本刀を持ち出して抜き、小川に刃を向けて気合を入れる。

 10月24日でUFOが両国で旗揚げされ、観客は10000人を動員も満員マークがつかず、小川はメインでフライと対戦して勝利を収めたが大きなインパクトを残せなかったことで成功とは言い難い結果となった。また表向きはUFO主催されていたが、実際は新日本が仕切っており、興行的には赤字で大損を出していた。しかし、UFOを継続するために資金を求める猪木と、成果の出せないものに金は出せないだけでなく継続すら疑問視する新日本側、それぞれの思惑が絡んで1999年1月4日の東京ドームで起きた事件に繋がった。

(参考資料 宝島社「証言1・4 橋本vs小川」金沢克彦「子殺し」ベースボールマガジン社Vol.16「引退の余波」)

コメントは受け付けていません。

WordPress.com でサイトを作成

ページ先頭へ ↑

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。