アントニオ猪木vsグレート・ムタ、ムタワールドに染めきられた猪木


 1994年1月4日の東京ドーム大会、天龍源一郎と対戦、天龍のパワーボムの前に敗れた猪木は、2月24日の日本武道大会で近い将来の引退へ向けたシリーズ「INOKI FINAL COUND DOWN」を開催することを発表、その第1弾カードとして5月1日の福岡ドーム大会でグレート・ムタと対戦することになったが、ワールドプロレスリングでは対戦カードのテロップを出すだけだった

 この頃の新日本プロレスは長州力、藤波辰爾の時代から闘魂三銃士の橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋の時代へ移り変わろうとしており、猪木は参議院議員選挙に出馬して当選してからは、政界での活動が中心となって、新日本への参戦はビックマッチのみのスポット参戦に留まっていたが、猪木自身も50歳を超えたことを契機に引退を考えていた。新日本は猪木引退までの「INOKI FINAL COUND DOWN」を企画、その最初の相手にムタが選ばれたが、ムタを指名したのは猪木自身だった。(武藤)「たぶん当時、猪木さんの中では武藤よりムタのほうが評価がデカかったんだよ、確かにリングの上で描く絵を思い浮かべた時、武藤よりムタの方がキレイだよな」と答えていたが、確かに新日本では武藤よりもムタの方が存在感が多く支持を集めていた、猪木にしてみればムタと対戦することで自身の存在感の大きさを示そうと考えていたのかもしれない。

 しかし1993年に、猪木のが公設女性秘書とスポーツ平和党の幹事長だった新間寿氏によって政治資金を含めた様々なスキャンダルを告発されたことで、新日本からも試合出場どころか来場すら遠慮され、1993年の試合出場も1試合に留まったが猪木自身もスキャンダルの対応で試合どころの騒ぎではなかったのかもしれない。その影響もあって天龍との試合も「ワールドプロレスリング」ではお蔵入り状態となり、後日にセルビテオで販売されたが、猪木vsムタも行われたとしてもワールドプロレスリングでの放送はお蔵入りになる可能性が高くなっていた。

 4月4日の広島グリーンアリーナ大会、この日はワールドプロレスリングの収録があったが、武藤は蝶野と組んで長州&天龍と対戦した際に、開始早々から天龍からマイクで「ムタで来い!」と挑発されると、武藤が一人バックステージへ下がり、蝶野が一人で長州と天龍を二人を相手にするが、しばらくしてムタが花道に現れ、向かってくる天龍や長州にラリアットを浴びせ、花道では天龍、リング内では長州に側転エルボーを決める。
 試合は大混乱の中で天龍が蝶野にパワーボムを決めるも、ムタは天龍だけでなく、味方の蝶野までも毒霧を噴射、長州が蝶野をカバーして3カウントとなるも、長州にも赤い毒霧を噴射、担架を持ち出して天龍を殴打するなど暴れ周り、この日は馳浩と組んで藤原喜明&石川雄規組と対戦していた猪木が上半身裸となって現れ、ムタと睨み合いになったが、猪木の試合どころかムタと猪木が向かい合ったシーンすらTV上でカットされた。

 5月1日の福岡ドームで猪木vsムタが実現、ムタは先に入場するも、後入場の猪木が花道に現れるとムタが駆け寄り、花道上で猪木と睨み合いとなり、猪木がガウンを脱いで臨戦態勢を取れば、ムタもコスチュームを脱ぐと、ロープを開いて猪木をリングに招きいれ、猪木はムタを睨み警戒しつつリングインする。

 試合開始となるとムタは前転し赤い毒霧を噴射して牽制、リングから降り場外で設置された梯子をチェック、再びリングに戻るとムタはなかなか猪木と組み合わず、また場外へ降り、エプロンの幕を開いて戻ると、猪木はビンタを浴びせるが、ムタはバックを奪ってグラウンドへ引きずりこみ、アームロックや卍固めを狙いつつ腕十字で捕らえようとする。
 猪木はロープに逃れると、ムタは今度は片足タックルからアンクルホールド、逆片エビ固めへ移行しようとするが、切り返した猪木はアキレス腱固めで捕らえるも、ムタはロープに逃れて場外でテーブルの上に乗ると梯子にぶら下がり、またリング下から何かを探そうと物色、さすがの猪木も焦れ始め、リングに戻ったムタにローキックを浴びせる、ところがムタはカウンターで猪木の顔面に毒霧を噴射、更にもう一度噴射して猪木を花道へ連行すると、花道上でのブレーンバスターから、花道ダッシュで猪木の後頭部にラリアットを浴びせる。

 リングに戻ったムタは猪木にバックドロップから場外へ投げ捨て、鉄柵に叩きつけてから本部席でテーブル貫通パイルドライバーを敢行、更に鉄柱に叩きつけて、猪木は流血、緑の毒霧で染まった猪木の顔面は血で染まった。

 ムタは猪木を踏みつけるようにストンピングを浴びせてから、スリーパーで捕らえ、ソバットを浴びせると、猪木もたまらず場外へ逃れ、花道へ上がったところでムタが強襲、放送用のコードを取り出そうとしたところで猪木が延髄斬りを炸裂させるが、ムタは缶コーヒーの缶で猪木を殴打して応戦、リングに戻ると猪木は浴びせ蹴りからナックルを浴びせ、ようやく自身のペースを掴む。
 猪木は場外戦を仕掛けるが、ムタが柵に叩きつけると、梯子で猪木の首を絞めたところで突然会場が暗転する、これは武藤が仕掛けた演出で「照明を消したのは、オレが試合当日に閃いて、スタッフに指示したことなんだよ、梯子も前の年のホーガン戦で使っていたんだ。試合前にリングで練習したときに、『また使えるな』と思ってスタッフに頼んで残してもらったんだよ。ただ照明は、消えたらもっと暗くなるかと思ったけど明るかったんだよな、あれはオレのイメージじゃなかった。オレ達の動きに光(スポットライト)が後から追いかけてくるぐらいになって、見ている側が『今、何が起きているんだって風になって欲しかったけど、そうにはならなかった。」と答えていた通り、会場のあらゆるものを使って再び猪木をムタワールドに引きずり込んだ。
 リングに戻るとムタはブレーンバスターを狙うが、堪えた猪木は魔性のスリーパーで捕獲してムタがダウン、猪木はタイガー服部レフェリーにダウンカウントを数えるように命じるが、服部レフェリーが数えないため、猪木が起こそうとしたところでムタが再び毒霧を猪木の顔面に噴射してから、勝負と見たムタは月面水爆を投下するが、猪木はカウント2でキックアウトすると、ムタはもう一度月面水爆を投下するが、猪木はカウント2で意地でキックアウトする。
 ムタはジャーマンスープレックスホールド、ドラゴンスープレックスホールドと畳み掛けるが、側転エルボーを避けた猪木は魔性のスリーパーで捕らえて、そのまま押さえ込み3カウントを奪い逆転勝利を収めるも、勝った猪木に笑みはなく、去っていったムタに対して「ムタ!どんな手でも受けてやる!オレの命を取ってみい!ムタ!、こんな勝負じゃなくて、オマエのな、本当のとどめを刺してやる!本当の勝負の厳しさを教えてやる!」と叫んだが、いつもの大会を締めくくるような笑みは最後までなかった。

 後年、武藤は「あの試合の雰囲気が面白かったよ、オレは先に入場して、猪木さんを止めてしまったんだよな。ヤバかったのは猪木さん、血が出ちゃったんだよ。猪木さんは糖尿だから血が止まらなくて大変なんだ。あの時の猪木さんは、なぜだかわからないけど、リング上でメチャ怒ってたよ」「もちろん、猪木さんへのリスペクトはあるよ、だけど、オレにとって重要なのは、ムタをどう作ることであって、ムタを作り上げなければいけないじゃん、だから猪木さんがリングインする時にロープを広げて招いたのは『ムタワールドへようこそ』みたいな世界に染める意味があったんだよ、照明を消したアイデアも、この試合の背景とか、猪木さんが相手とか考えた末に行き着いたムタのための演出だったよ。それは、武藤敬司じゃなくてグレート・ムタだから出来たことなんだよ」

 猪木にしてみれば政界スキャンダルで自身を遠ざけようとする新日本に対して存在感を示すためには、ムタは格好の美味しい素材で、ムタを鮮やかに下すことで、自身の存在感をムタより大きく示したかったはずだった。しかし勝つには勝ったもののムタワールドに染めきられてしまい、敗れたムタの方が存在感を示すことで猪木自身の評価を下げる結果となった。そういった意味では本当の勝者はムタだった。

 猪木は後年大仁田厚に対して「大仁田のプロレスに勝ち負けは関係ねえんだから、終わってみれば会場は大仁田の世界になっている。自分から『オレは弱い』だの『強さを求めてない」って、最初から勝負論を必要としない人間としたら、新日本プロレスがやってきたことは否定されることになるだろう、試合に負けたって、あいつの世界は崩れることはない。だから大仁田の存在を消すのは不可能なんだよ」と猛反対していたが、猪木はムタと大仁田とは似たようば部分があることを感じ、自身が作り上げたプロレスがムタを作り上げようとする武藤によって根底から崩されることを怖れた。武藤は後に猪木とのプロレス観の違いを理由に全日本プロレスへ移籍したが、プロレス観の違いは既に猪木vsムタ戦で現れていた。

 猪木vsムタは猪木の政権スキャンダルの影響で「ワールドプロレスリング」では放送されず、後日セルビデオで販売され、翌年の特番ではやっと猪木の試合が放送解禁となって天龍戦と共に放送された。

 再び猪木とムタはもう交わることのないと思われていたが、1997年8月10日に名古屋で行われたグレート・ムタvs小川直也戦で、猪木がレフェリーを務めることになったが、開始直前で猪木に毒霧を噴射して退場に追いやり、試合も小川の誇りである柔道の黒帯で小川の首を絞めあげ、小川のSTOからの三角絞め狙いも毒霧を噴射して阻止するなどやりたい放題、最後は反則技である指折りを決めながらの腕十字で完勝を収めた。「猪木さんが小川を使って、新日本のリングを格闘色にしようとしていたけど、ムタがプロレスを守るために小川を自分の世界に引きずり込んだんだよ」と武藤が語っていたとおり、猪木は今度は小川を使って、再び存在感を示すはずが、またしてもムタの世界を打ち破ることが出来なかった。そういった意味ではムタはプロレスの守護神だったのかもしれない。

 11月2日にNOAH両国国技館大会でムタは丸藤正道と対戦する、数々の選手を自分の世界に引きずりこんで飲み込んだが、猪木でさえも飲み込んだムタを丸藤がどう打ち破っていくのか・・・

(参考資料 イーストプレス刊「さよならムーンサルトプレス」GスピリッツVol.34 「グレートムタ」新日本プロレスワールド 猪木vsムタは新日本プロレスワールドで視聴できます)

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