ペドロ・モラレス


2月12日、WWFヘビー級王者にもなり、日本プロレス、全日本プロレス、新日本プロレスに来日したペドロ・モラレスさんが死去した。享年76歳、モラレスさんは晩年マサ斎藤と同じパーキンソン病を患っていたという。

自分がモラレスさんの試合を見たのはテレビで1回、1985年の第3回のIWGPで、この年のIWGPはリーグ戦ではなくトーナメント方式で開催されたが、モラレスさんは中盤戦のみの特別参戦でTVマッチではスーパー・ストロング・マシンと対戦していたが、モラレスさんの来日はこれが最後となった。

モラレスさんの1966年、日本プロレスの第8回ワールドリーグ戦に参戦、この時はWWA王者だったが、この年のワールドリーグ戦はモラレスさんが32文キックを教えたという、馬場が初優勝を果たした記念すべき大会だった。モラレスさんは後年馬場さんの32文キックに関して「コーチ料を取っておけばよかった」と後悔していたという。

 馬場との縁で1974年に全日本プロレスに来日したが、意外にも全日本への参戦は1度だけで、WWFと提携を結んでいた新日本への参戦を重視した。この辺ところがWWF王者でありながらも馬場との友誼を重視して全日本への参戦し続けたブルーノ・サンマルチノと違うところなのかもしれない。

 新日本プロレスで開催された「第3回ワールド大リーグ戦」では坂口征二と優勝を争い、この試合はCSで放送されている「ワールドプロレスリングクラシック」で見たが、正統派だけでなくラフも織り交ぜ気性の激しさも見せていたことから、プロレスに関しては幅の広い選手だという印象を受けた。

 アントニオ猪木とも対戦したが、1度だけ体調が最悪だった猪木からNWFヘビー級王座を取りかけた試合もあったという。(試合は猪木が逆さ押さえ込みで逆転勝利も、TV収録されたにもかかわらずお蔵入りになった)

 来週に馬場さんの20回忌追善興行が開催されるが、馬場さんを知る証人がまた消えてしまった。

ご冥福をお祈りします。

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