秋山準と永田裕志、数々の弊害を乗り越えて生まれた戦友関係


全日本プロレス2月3日横浜文化体育館大会で野村直矢&青柳優馬組の保持するするアジアタッグ王座に秋山準と新日本プロレスの永田裕志が挑む予定だったが、青柳が負傷欠場で王座は返上され、崔&野村vs秋山&永田との王座決定戦に変更された。  

 二人は92年にデビューした同期だったが、全日本でデビューした秋山はでいきなりデビュー戦で小橋健太と対戦するなどエリートとして扱われたのに対し、新日本でデビューした永田はヤングライオンの一人として下積みからスタートするなど好対照だった。その二人が始めて交わったのは2001年3月2日に両国国技館で開催されたZERO-ONE旗揚げ戦で秋山は三沢光晴、永田は橋本真也と組んで試合に臨み、先発で出た秋山と永田は、永田のキックを正面から受けた秋山はエルボー合戦からフォアアームを浴びせ、秋山は控える橋本を挑発すると、永田は「相手はオレだ!」といわんばかりに背後を奪ってジャーマンで投げるなど火花を散らす攻防を展開、試合は三沢が橋本を投げ放しジャーマンで降したが、試合後に武藤敬司だけでなく藤田和之、小川直也までも現れ、三沢が小川にエルボーを放って大混乱となるも、永田とのファーストコンタクトを終えた秋山が「永田さんはやっぱりいい!組んでみたい。オレが新日本に行く」と意気投合して新日本参戦を表明し、永田からの報告を受けた現場監督の長州力も秋山の参戦を大歓迎する意向を見せるも、肝心の三沢が「アイツの自由。ただ、向こう(新日)の状況が納得できなければ、出せない」と秋山の出場には前向きな姿勢を見せつつも慎重な態度を取り、5月13日のディファ大会でも秋山は「いつ腰が、駄目になるか分からない。できるときにやりたいことをやる」と訴えたが、三沢は「個人的には分かる。意志を尊重したい気持ちもあるけど、会社としては難しいだろうね」と慎重な姿勢を崩さなかった。三沢はNOAHを地上波で独占放送していた日テレへの配慮もあったが、新日本が本当にNOAHを必要としているのかわからないままだけでなく、後で語るもう一つの理由でもあって、秋山を簡単に送り出すことは出来なかったのだ。 

 それでも秋山は新日本参戦を三沢に再度訴え、三沢も折れて「(実現に向けて)動くことは動く」と返答し、永田も「ノーテレビならやれるよな。お互いの興行を行き来してもいい」と構えを見せ、新日本の社長だった藤波辰爾も「馬場さんと猪木さん、オレとジャンボ鶴田と同じことはさせない。時代は進歩している(テレビ問題については)絶対に解決法はある」と馬場、猪木という大きな壁に阻まれたことで鶴田との対戦が実現できなかった悔しさを後輩達にはさせたくないという思いもあり、秋山の新日本参戦に前向きな姿勢を見せ、藤波がテレビ朝日側と話し合い承諾を得たことで、三沢も重い腰を上げて日本テレビ側と話し合い、5月28日に三沢と藤波が会談、新日本の受け入れを確認したうえで秋山の新日本参戦にGOサインが出された。 

 まず秋山が行動を起こし「永田裕志選手を通して、かねてから興味を持っていた新日本プロレスを自分自身の目で確かめるために、まずは6月6日(水) 日本武道館大会へ足を運びたいと思っています。」と来場を予告、秋山は金丸義信を伴って新日本武道館大会に来場、業界の先輩で新日本のオーナーであるアントニオ猪木、会長である坂口征二に挨拶すると、大会前に永田と会談すると、最前列でIWGPヘビー級選手権試合である藤田vs永田を含めて第1試合から観戦、永田の入場の際には秋山が永田と握手をかわし、大会終了後には「次に来る時はしっかりタイツはいてきます。永田選手と俺だったら、俺の方が早く試合をしたいだろうし」と発言すれば、7月27日NOAH武道館大会には今度は永田が来場して三沢ら関係者に挨拶した後で、三沢vs秋山のGHCヘビー級選手権試合を視察、秋山が入場する際に永田と握手をかわし、秋山は三沢を垂直落下式のエクスプロイダーからリストクラッチ式エクスプロイダーで3カウントを奪い、永田の眼前でGHCヘビー級王座を奪取、試合後に永田も「凄いの一言。ホレ直した。時代を開こうという刺激を受けた」と試合も三沢の雪崩式タイガードライバーを喰らいながらも、三沢越えを果たした秋山を称えつつ 「10月8日は何かが起こります」と新日10.8東京ドームの秋山参戦を示唆する発言をした。永田はこの年のG1 CLIMAXで武藤敬司をナガタロックⅡでギブアップを奪い優勝を果たし、藤田からIWGP王座を奪取できなかったが、三冠ヘビー級王者の武藤を破ったことで、秋山と対等な立場でタッグ結成へ向かうはずだった。

  秋山と永田のタッグ結成で新日本とNOAHの間に交流への扉を開いたかに見えたが、暗雲が立ち込める事態が発生する。NOAHは新日本との関係を築きつつも、新日本との関係が切れたZERO-ONEとの関係も保っていたが、ZERO-ONEが8月末から開催するシングル総当りリーグ戦「火祭り」開幕直前で、PRIDEに参戦していたマーク・ケアーのZERO⁻ONE参戦を巡って、ケアーの出場を了承していたはずの猪木が突然白紙に戻したことで猪木側とトラブルとなり、これを受けて猪木またPRIDEの息がかかっていた村上和成、石川雄規、アレクサンダー大塚などが火祭りをドタキャンしてしまった。

 猪木のやり方に不快感を示した三沢はリーグ戦には参戦できないものの池田大輔、杉浦貴など所属選手をZERO-ONEに派遣、「現場に出てない人間の言う事に従うのは考えなきゃいけない」と名前は出さずも公然と猪木を批判し、猪木もさすがに面白くなかったのか「秋山組vs武藤組はつまらない」と発言したことで、新日本とNOAHの間で摩擦が生じ始める。元々猪木はNOAHに関しては「流行に過ぎない!」と斬って捨てていたことから良い感情を持っておらず、三沢も猪木に対して師匠である馬場の影響を受けてか「あの人」呼ばわりするなど相容れない関係だった。三沢が秋山の簡単に貸し出せないもう一つの理由は猪木の介入で、猪木の介入に新日本は対処してくれるのか、わからないままで秋山を簡単に貸し出すことは出来なかったのだ。 

 そこで猪木が新日本に対してIWGPヘビー級選手権として藤田vs小川直也を10・8東京ドームのメインとして行うように要求してくる。この頃の新日本は長州が猪木によって現場監督から失脚し、それを受けて渉外担当だった永島勝司氏も発言力が低下、現場は合議制で仕切られていたが、まとまりがなかったことで猪木の介入に対応仕切れていなかった。ドーム大会はテレビ朝日が午後6時半から~8時までと1時間半に渡ってゴールデンタイムで放送されることが決定していたが、裏番組ではフジテレビがフジテレビでは7時から9時まで「K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKA」を生放送することになっていた。猪木は純プロレスより知名度の高い小川の起用することでK-1との視聴率を稼げるだけでなく、純プロレスの秋山組vs武藤組の試合より、格闘技色の強い藤田vs小川をメインにしたほうが面白いと対抗意識を持った上でぶつけてきたのだ。 

 これに対して秋山も「やる前からつまんないって 言われたのは解せない。今の新日本ではオレの やりたい“純プロレス”が否定されてるんだろう と思うし。必要とされてないなら、行っても しょうがない」と猪木や新日本を批判し、永田も「情熱を込めて 秋山とのタッグをオレは実現する。なのに藤田と小川をやらせようとするところがうちらしい。試合(内容)で勝負する。どっちの試合が面白いかをお客さんに判断してもらう。秋山と凄いことをやってやるよ」と小川vs藤田に対して内容で勝負することを訴える。

  ところが小川vs藤田は交渉段階で小川がゴネたため決裂となり、藤田の相手はアメリカでMMA特訓をしてきた佐々木健介が据えられることになったが、これに猪木が激怒して新日本に対して小川の重要性を訴え、猪木自ら交渉に当たったが、猪木と距離を取りつつあった小川は試合はせずも来場だけに留まり、新日本の意向通り秋山&永田vs武藤&馳、藤田vs健介が決定となった。秋山と永田の相手は武藤&ケアを希望していたが、全日本がまだ馬場元子体制で、NOAHとの関係が良好ではなかったため、元子社長の息がかかっていない馳が代わりに全日本代表として武藤と組むことになった。

  メインで登場した永田&秋山vs武藤&馳は4選手がテクニックの攻防を繰り広げ、61500人の大観衆にプロレスの魅力を訴える攻防を展開、秋山もNOAH浜松大会での第1試合を終えた後でドームに駆けつけたが、移動やダブルヘッダーにも関わらず、初めて対戦する武藤、全日本以来の対戦となる馳と見事な攻防を繰り広げる。終盤には永田の延髄斬りを馳がかわすと、武藤が馳を踏み台にしてシャイニングウィザードを炸裂させると、秋山が武藤に対して掟破りのシャイニングウィザードを敢行、だが馳も秋山を裏投げで投げ4選手がダウン、館内は大興奮となる。そして秋山が武藤をフロントネックロックで捕らえている間に、永田は馳をバックドロップからバックドロップホールドで3カウントを奪い、ドームの大観衆を大熱狂させた。試合後には今度は永田がNOAHへ出場すると秋山に約束し、武藤自身も秋山を通じてNOAHに興味を持ち、三沢との対戦を視野に入れ始め、藤波も「永田&秋山をドームのメインに持ってきたのは大正解だった」と誇らしげにコメントした。だが猪木は自身の意向が通らなかったとしてドームには来場せず、K-1福岡大会に来場したことで秋山組vs武藤組の試合を見ることはなかったが、秋山も永田もこの時ばかりは猪木も関係なかった。

  二人の一騎打ちは2002年1月4日東京ドームで秋山の保持するGHCヘビー級王座をかけての対戦することになった。当初は永田が藤田の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦する予定だったが、藤田が「INOKI-BOM-BA-YE2001」でのジェロム・レ・バンナ戦へ向けてトレーニングしている際にアキレス腱を断裂したため欠場となり、ドームのメインが白紙になったことで困った新日本側が急場凌ぎでNOAH側に打診して実現したものだったが、さすがの猪木も他団体のベルトをドームのメインにするのは何事かと横槍が入り、藤波も猪木に配慮してか「IWGPヘビー級王座決定トーナメントの1回戦も平行して行い、秋山vs永田のGHCヘビー級選手権もトーナメントの1回戦として行う」と発表すると、秋山が「IWGPトーナメントの件は聞いてない。新日本がガチャガチャするなら、(永田戦は)辞退する」と激怒する。だが秋山がボイコットした場合は三沢自身が代わりに出ることを示唆すると、秋山も「三沢さんの顔を潰すことになる」と一転してドーム出場を決断、藤波も秋山の激怒を受けて秋山vs永田戦はIWGPヘビー級王座決定トーナメントは行われず、GHCヘビー級選手権がメインになることが正式に決定した。大会当日の猪木は車椅子で登場した藤田からIWGPベルトを受け取ったが、秋山vs永田だけは見ずに会場を後にし。秋山がリストクラッチ式エクスプロイダーで王座を防衛も、永田も「INOKI-BOM-BA-YE2001」でミルコ・クロコップと対戦し秒殺KO負けしたことでファンの批判を背負ったまま試合に臨んだが、永田自身はミルコ戦や秋山戦を乗り切ったことで涙を流した。

  秋山と永田は2・17NOAH武道館大会でもタッグを組み、膝の手術のため長期欠場していた小橋建太の復帰戦の相手を務め、その後も対戦や互いの20周年記念大会でタッグを組んだ。永田は一選手として新日本一筋で通したが、秋山はNOAHから全日本に戻り団体を仕切る立場となり、好対照となるも、二人の交流は続いたが、二人の関係は様々な弊害を乗り越えた上で築かれた関係であり戦友でもあった。全日本2・3横浜文体大会では二人が久しぶりにタッグを組んでアジアタッグ王座に挑戦するが、自分はこの試合が二人の集大成的な試合になるような気がしてならない。野村だけでなく全日本のファンに秋山と永田が自分らのこれまでをどう伝えていくのか注目したい。 

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