1980年3月28日から「第8回チャンピオンカーニバル」が熊谷市民体育館から開幕した。「チャンピオンカーニバル... 続きを読む →
WWE殿堂入り記念!魔界の住人…グレート・ムタ誕生
1989年3月18日、ジョージア州アトランタのWCW TVマッチにてリック・フレアー率いるフォー・フォースメン... 続きを読む →
日本人で最初にWWFヘビー級王者になったのはアントニオ猪木だった
2019年7月14日、新日本プロレスの所属で現在WWEと契約している中邑真輔がWWEでは最も歴史のある王座とい... 続きを読む →
全日本プロレス旗揚げ50周年 馬場全日本の起死回生の一打!スタン・ハンセン、全日本電撃移籍!
倉持アナ「ブルーザー・ブロディとジミー・スヌーカが入場して参りました。おっと、誰でしょうか?その後ろにはウエス... 続きを読む →
全日本プロレス旗揚げ50周年 スーパールーキー・ジャンボ鶴田のデビューと苦悩
1972年10月21日に、全日本プロレスが旗揚げしたが、その10日後の10月31日に後にジャンボ鶴田とリング... 続きを読む →
全日本プロレス 旗揚げ前夜①日本テレビによる日本プロレスへの最大の報復…
1972年7月29日の午後6時、東京・赤坂プリンスホテルにてジャイアント馬場が会見を開き「今日の午2時ちょっと... 続きを読む →
リック・フレアー時代到来!最後のNWA世界王者
1981年9月17日、カンザス州カンザスシティにてNWA世界ヘビー級王者だったダスティ・ローデスにリック・フレ... 続きを読む →
1981年の田園コロシアム決戦…イケイケだった新日本プロレス
「プロレスブーム?いや、新日本プロレスのブームですよ。マスコミが公平に報道するというなら、新日本プロレスと全日... 続きを読む →
ジャンボ鶴田がAWA世界ヘビー級王座を奪取…全日本プロレスを立て直した男・佐藤昭雄
1981年1月、ジャイアント馬場の付き人を務め、アメリカ・カンザス州に拠点を置いていた佐藤昭雄が帰国した。佐藤... 続きを読む →
夏休み最後の日にテリー・ファンクが涙の引退…なぜカンバックが支持されなかったのか?
1980年10月、「ジャイアントシリーズ」に参戦するためにテリー・ファンクが来日したが、ロード・ブレアースPW... 続きを読む →
ジャンボ鶴田試練の10番勝負、7番目に対戦したオリンピックメダリスト
1976年3月10日、日大講堂大会にてジャンボ鶴田の試練の十番勝負がスタートし、初戦の相手としてAWA世界ヘビ... 続きを読む →
猪木、敵地・韓国で最初で最後のインターナショナルヘビー級王座に挑戦
1975年3月27日、韓国・ソウル市奨忠体育館でアントニオ猪木が大木金太郎が保持していたインターナショナルヘビ... 続きを読む →
日本プロレスクーデター③こうして猪木は日本プロレスから追放された
1971年12月4日の仙台大会を終えた日本プロレスの選手らは帰京、名古屋大会から姿を消していた上田馬之助も出席... 続きを読む →
テリー人気爆発!オープンタッグから世界最強タッグが始まった!
1977年12月に全日本プロレス創立5周年の一環として「全日本プロレス創立5周年記念・世界オープン・タッグ選手... 続きを読む →
天龍源一郎とディック・スレーターの命運を分けた1981年
1980年3月28日、埼玉・熊谷市民体育館から「第8回チャンピオンカーニバル」が開幕した。この頃の全日本プロ... 続きを読む →
IWA JAPAN最初で最後の大勝負!川崎球場進出
1995年8月20日、IWA JAPANが川崎球場へと進出、デスマッチ王者を決める最凶トーナメントを開催、大会... 続きを読む →
チャンピオンカーニバルヒストリー③ ジャンボ鶴田、念願の初優勝!
ジャンボ鶴田は1974年の第2回から、中断を挟んで1992年の第12回までチャンピオンカーニバルにエントリーし... 続きを読む →
世界最強タッグリーグ戦事件史 番外編 超獣コンビが世代交代をかけた”春”の最強タッグ
1982年晴れて全日本プロレスに移籍したスタン・ハンセンは4月の「'82グランド・チャンピオン・シリーズ」に参... 続きを読む →
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