1990年5月14日、全日本プロレス東京体育館大会、タイガーマスクとして川田利明と組んでいた三沢光晴が谷津嘉章... 続きを読む →
全日本プロレス旗揚げ50周年 ジャンボ鶴田の意識を変えた”天龍革命”
2015年11月、39年に及ぶプロレス人生に幕を閉じた天龍源一郎は引退会見で「一番のライバルは?」という質問に... 続きを読む →
全日本プロレス旗揚げ50周年 馬場全日本の起死回生の一打!スタン・ハンセン、全日本電撃移籍!
倉持アナ「ブルーザー・ブロディとジミー・スヌーカが入場して参りました。おっと、誰でしょうか?その後ろにはウエス... 続きを読む →
全日本プロレス旗揚げ50周年 スーパールーキー・ジャンボ鶴田のデビューと苦悩
1972年10月21日に、全日本プロレスが旗揚げしたが、その10日後の10月31日に後にジャンボ鶴田とリング... 続きを読む →
全日本プロレス 旗揚げ前夜③PWFヘビー級王座誕生!旗揚げ戦へ!
話は戻って7月29日の独立会見で記者団はジャイアント馬場に「保持しているインターナショナルヘビー級王座とインタ... 続きを読む →
全日本プロレス 旗揚げ前夜②悪戦苦闘する外国人ルート確保…ファンク一家、サンマルチノが全面協力!
日本プロレスを去ったジャイアント馬場はプロレス中継のプロデューサーだった日本テレビの原章と共に行動を開始、原氏... 続きを読む →
全日本プロレス 旗揚げ前夜①日本テレビによる日本プロレスへの最大の報復…
1972年7月29日の午後6時、東京・赤坂プリンスホテルにてジャイアント馬場が会見を開き「今日の午2時ちょっと... 続きを読む →
鶴見五郎と独立愚連隊
1979年10月3日、国際プロレス青森県黒石大会で、自身のカードが組まれなかったことで鶴見五郎が怒り、吉原功社... 続きを読む →
越中詩郎と三沢光晴…運命を分けた1984年
1978年8月に一人の若者が全日本プロレスにデビューを果たした。その若者の名は越中詩郎、越中は小学校からプロレ... 続きを読む →
ジャパンプロレスが野心に燃えた1985年③BIという厚い壁に阻まれ夢破れる
念願だったテレビ局も着くことになって独立へ秒読み段階と思われていたジャパンプロレスだったが、急転直下の事態が起... 続きを読む →
ジャパンプロレスが野心に燃えた1985年②カルガリーハリケーンズ結成!プレ・オールスター戦計画
長州力が1985年8月5日、ジャパンプロレス大阪城ホール大会で「俺たちの時代」を叫んだ頃、全日本プロレスの”総... 続きを読む →
1981年の田園コロシアム決戦…イケイケだった新日本プロレス
「プロレスブーム?いや、新日本プロレスのブームですよ。マスコミが公平に報道するというなら、新日本プロレスと全日... 続きを読む →
ジャンボ鶴田がAWA世界ヘビー級王座を奪取…全日本プロレスを立て直した男・佐藤昭雄
1981年1月、ジャイアント馬場の付き人を務め、アメリカ・カンザス州に拠点を置いていた佐藤昭雄が帰国した。佐藤... 続きを読む →
王道vs神様、ジャイアント馬場vsカール・ゴッチが幻に終わった理由
1961年5月に開催された日本プロレスの「第3回ワールドリーグ戦」でドイツ人ながらもベビーフェースとして扱われ... 続きを読む →
全日本プロレス大激震の中で誕生した『超世代軍』
1990年6月8日、全日本プロレス日本武道館大会で三沢光晴がジャンボ鶴田を降した。全日本プロレスはこれまで牽引... 続きを読む →
創立50周年記念…旗揚げ1年目で負債を抱えた新日本プロレスに坂口征二が合流!
1972年3月6日に旗揚げした新日本プロレスだったが、当時資金源とされたテレビ局がなく、観客動員も苦戦を強いら... 続きを読む →
引退危機のジャイアント馬場を復活させたスタン・ハンセンとの戦い!
1982年1月、全日本プロレスの「新春ジャイアントシリーズ」から新日本プロレスのトップ外国人だったスタン・ハン... 続きを読む →
新日本プロレスvs全日本プロレス 奇跡の対抗戦!雪解けの中の緊張
1990年1月18日、歴史的事件が起きた。新日本プロレスの社長に就任したばかりの坂口征二がジャイアント馬場に「... 続きを読む →
スタン・ハンセン全日本プロレス電撃移籍を独占スクープしたプロレス専門誌
1981年5月、新日本プロレスがアブドーラ・ザ・ブッチャーを全日本プロレスから引き抜いたことを発端として、新日... 続きを読む →
夏休み最後の日にテリー・ファンクが涙の引退…なぜカンバックが支持されなかったのか?
1980年10月、「ジャイアントシリーズ」に参戦するためにテリー・ファンクが来日したが、ロード・ブレアースPW... 続きを読む →
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