「地獄の墓掘り人」や「欧州の鉄人」の異名で知られたローラン・ボック氏が死去した。享年81歳
1968年のメキシコ五輪にグレコローマン・レスリングで出場し、ドイツ選手権でも数多くの優勝を果たすなど、当時の世界トップクラスの実力を背景に1970年代にプロへ転向、並外れた怪力と切れ味鋭いスープレックスの技術を武器に、ヨーロッパマット界の帝王として君臨した。
ボックの名を日本で不動のものにしたのは、1978年のアントニオ猪木との一戦で、ドイツのシュトゥットガルトで行われたこの試合は、当時全盛期だった猪木を、圧倒的なパワーとレスリング技術で制圧。猪木をジャーマン・スープレックスで投げ飛ばして完敗に追い込み、判定勝ちを収めた姿は、当時のプロレス界に大きな衝撃を与え、のちに「シュトゥットガルトの惨劇」と語り継がれることになった。


ファンからの来日が期待されたが、自身の怪我やプロモーターとしてのトラブルによる多額の負債などの影響で実現せず、1981年にようやく来日を果たし、長州力や木村健吾を秒殺劇することで強烈なインパクトを残したが、この時すでに血栓症の影響により、長時間の試合ができる体調ではなかったという。

1982年1月1日、後楽園ホールにて猪木との再戦が実現するが、心臓疾患と重度の血栓症を抱えていたボックにかつての精彩はなく、3ラウンド3分16秒、レフェリーの制止を無視したスリーパー・ホールドによる反則負けを喫するという消化不良の結末になり。これがボックにとって現役最後の試合となった。

引退後は事業に専念するも、1978年の欧州ツアーで発生した壊滅的な赤字による税金未払いや資金調達を巡る投資問題により、懲役2年の有罪判決を受けた影響で、表舞台から姿を消し、一時、死亡説も流れたが、近年では雑誌『Gスピリッツ』(辰巳出版)のインタビューで健在な姿を見せ、往年のファンを喜ばせていた。
ご冥福をお祈りいたします。
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